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【小説】 雲の影。


 楽屋に戻ってからも、しばらく頭がボンヤリしていた。身体には疲労感があり、終演した手触りは残っているのに、ライブの記憶が抜けている。四人で宙にプカプカ浮かびながら、自分達の演奏を眺めているという妙な映像だけが残っていた。夢を見ていたかのような、奇妙な体験だった。
 冗談めかして「私、ライブちゃんとできてた?」とマキコちゃんに聞くと、「何言ってんの?」と鼻で笑われた。たぶん、できていたんだと思う。

 会場を出てからも、家に着いてからも不思議な浮遊感は消えなかった。耳鳴りのように頭に靄がかかっている。あの時、宙から見た自分達の姿が忘れられない。笑っているようで苦しそうな私たち。変わってしまったしまった自分達のリアルを、もう一人の私たちが笑っている。とても皮肉的なシーンだった。
 もう戻れない。学生時代からは遠くへ来た。

 私たちにとって、バンドとは何だったのだろうか。
 アキちゃんの圧倒的なパフォーマンスを広めたくて、私はバンドを結成した。ろくに楽器なんて触ってこなかったのに、必死になって練習して文化祭でライブをした。世界が変わった気がした。観客の驚いた顔が面白かった。音楽に魅了されていく自分がいた。わずか数分の間に世界を生み出し、観るものを感動へと誘っていく。豊かな世界だと思った。
 幼少期から聞いてきたクラシックを聴き返すと、世界はどんどん広がり、カラフルに染まっていった。いつしか自分で設計図を書きたくなり、世界に色付けしたくなった。
 音楽は、いつも後からやってきた。

 元々音楽が好きだったワケではない。
 やればやるほど、好きになっていったのだ。好きになるほど、バンドとしてやりたいことが減っていった。自分の中の進みたい方向が見え始めると、演奏することの喜びが減っていくのが分かった。
 バンドを始めた当初の目的は、とうに達成されていた。早くからアキちゃんの才能は認められ、彼女のおかげで芸能プロにもスカウトされた。彼女の存在こそがバンドであり、続ける理由になっていた。私たちは、ずっとバンドに依存していた。アキちゃんのパフォーマンスに依存していたんだと思う。

 しかし、そんなアキちゃんもソロ活動を始め、次第にメンバーにも変化が現れた。自分の思想が強くなり、音楽がついてこなくなっていたのだ。バンドが手からこぼれていく。明らかにバランスが崩れ、バンドが重石になっていった。
 私たちは本当の意味で大人になろうとしていたのかもしれない。

家族の絆は血ではない。
一つの家族が、一つ屋根の下で成長し合うことはない。
だから私たちはここまでやってきた。

 アキちゃんがライブで言った言葉が耳朶を打った。その時、それまで続いた耳鳴りような靄が晴れた。代わりに、私の心は弾力を失い、暗く重い雲がのしかかる。バンドは家族だ。しかし、一つ屋根の下で過ごす時間の終わりが迫ってきている。もう、その流れは止められない。きっと、彼女も同じことを思っているのだろう。自分の中で決心が固くなっていくのが分かった。

 バンドは解散する。
 でも、離れたとしても、家族の絆は血ではないんだから悲しむことじゃない。成長するための、大人になるための通らなければいけない道なんだ。自分の意志が強くなるほど、雲の影も薄れていく気がした。

 

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