見出し画像

浮遊2(ヒロナ)

【茂木ヒロナ】

 アキちゃんの目に涙は浮かんでいなかったけど、奏でる音楽が泣いていた。彼女の周りに子どもたちが集う様子はなく、一人ぼっち。木々が黄色や紅に染まった葉をヒラリヒラリと落としているのが、涙を想起させるのかもしれない。
 曲が終わり、ベンチでポロンポロンと曲にも満たない音を弾いているアキちゃんに話しかけるのは勇気がいる。驚いて逃げ出してしまうかもしれない。それほど、彼女は怯えているようにも見えた。静かで整った横顔から、いつ、涙がこぼれ落ちてもおかしくない。

 未知なる世界に飛び込むことには躊躇はないが、すでに出来上がっている関係性や、起こりうる未来が想像できるところに飛び込むのは勇気がいる。
 関係が壊れてしまうかもしれない。怒っているかもしれない。嫌われてしまうかもしれない。泣き出してしまうかもしれない。だから、恐い。
 どこにもワクワクを感じることができなかった。
 逡巡しながらも、足は動いていた。落ち葉をシャリシャリ踏みながら、徐々に近づく。心臓の音が後からついてくるようにトクトクと音を鳴らしているのが分かる。
 恐いはずなのに歩みを進めることができたのは、安心したいからだ。
 今の状態を続けることの方が不安だからだ。

 「・・・あ、ヒ、ヒ、ヒロナちゃん」
 先に口を開いたのはアキちゃんだった。声をかける距離にしては、少し離れていたのに、彼女は思ったよりも大きな声を出した。
 「ヤッホー! アキちゃん、今の歌、なんて歌なの?」
 何事もなかったかのように振る舞って、緊張や不安を出さないように努めているが、どう映っているかは分からない。みんなが思うような“茂木ヒロナ”像を懸命に演じた。
 「ふふふ・・・き、き、聞いてたなら、な、な、なんでもっと早く来てくれなかったの?」
 アキちゃんが笑った理由は分からない。たぶん、私の不安を見抜いたんだと思う。少し意地悪な顔をしていたから。彼女なりのイタズラなのかもしれない。
 鼻の奥がツンとした。

 「あまりにもいい曲だったから、呆気に取られてたのー!」
 気恥ずかしさがありながらも、気丈に“茂木ヒロナ”らしく答えたが、言葉とは裏腹に目からは熱いモノが流れてきた。歌っている時は違う、普段のアキちゃんの控えな笑顔を見ているだけで、安心してしまったんだ。
 アキちゃんは、私が泣いていることには触れなかった。

 「ま、まだ、仕上がってはいないんだけど、い、い、今までよりも、もっともっと・・・・か、か、歌詞を・・・ス、ストレートに伝えたいなと思ってる曲なんだ!」
 このタイミングで、アキちゃんは逃げ出してしまいそうな表情をした。口を尖らせて、前髪を目にかけながら「こ、これ」と歌詞ノートを差し出した。
 アキちゃんは書き殴ったように歌詞を綴っていた。激しい感情がありありとノートに刻まれている。どうしようもない孤独さを感じる強い歌詞だった。

 「アキちゃん、ここ最近、全然バンドできてなくてごめんね。私、文化祭が終わってから浮かれてた」
 涙を拭い彼女の目を見ると、黒目が大きくなったのが分かる。心の言葉までも見透かされてしまいそうだったので、反応を待たずに言葉を続けた。

 「自分の想像通りにバンドが注目されたことが嬉しくて。アキちゃんの才能を学校中に知らしめることができたし」
 アキちゃんは真剣な顔で話を聞いてくれている。小さく頷きながら「ちゃんと聞いているよ」というサインを送ってくれた。

 「私すごいだろうって思ってた。頑張ったでしょって思って、燃え尽きちゃってた」
 こんなことを言うのは“茂木ヒロナ”じゃない。いつも明るく、冒険心を持って、挑戦しなければいけない。強くて恐れ知らずのヒロナでなければいけない。もっと背伸びをして、大きく見せなければいけないのに、どんどん身体が小さくなっていくような気がした。

 「安心したかったの。私は正しかったでしょ? って・・・この2週間、もてはやされて楽しかったけど、安心はできなかった。皆の興味はあっという間に誰かの色恋話になったり、次のイベントに移ってしまって。忘れられてしまう不安があった」
 アキちゃんは微笑んでくれた。「そんなこと最初から知ってるよ」と言われているような感じがする。

 「バンドが、私の安心できる場所なんだって思ったの。始めてから1年も経ってないのに、勝手だよねー!」
 笑いを誘うように言ったつもりだったが、アキちゃんは表情を変えず、首を横に振った。
 なぜか、その後も一人で延々とバンドについての想いを熱く語っていた。「私は、体育館は狭いと思ったんだ!」「もっと大きい場所じゃないと私たちは収まらないよ!」と、少しずつ、いつもの自分の調子を取り戻していく。
 アキちゃんもそれに応じるように、笑ってくれた。

 日が落ちるのが早くなった。
 木々たちも「もう、お帰り」といっているように葉を鳴らした。
 あっという間に時間が過ぎてしまう。入学式が昨日のように感じるが、私たちの制服はすっかり身体に馴染み、手のひらには沢山のタコができて、腕も太くなっている。

 遠くにミウと中草コウシが公園に入ってくるのが見えた。
 二人は、手を繋いでいた。
 アキちゃんは「や、やめなよ!」と制したが、野暮な“茂木ヒロナ”は大きな声で「ミウー! バンドやるよー!」と叫んでしまう。
 ミウは繋いでいない方の手をあげ、「なんだ! やっと、やる気になったかー!」と叫び返してきた。
 
 大人になっても、私たちの関係は続くのだろうか。
 未来のことは分からない。
 でも、未来は、私たちの手の中にある。

2時間23分 2260字

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?