【小説】 バニラアイス
【ミウ】
「ごめんね、わざわざ、ありがとう」
ヒロナは思ったよりも元気そうだった。熱は夜のうちには下がっていたらしい。学校で見た時よりも、表情にも明るさが宿っている。
「元気そうでよかった・・・」
「こ、ここ、こ、壊れちゃったのかと思ったよ」
お見舞いに来たはずだったのに、みんな揃ってリビングでバニラアイスを食べている。アキの家の文化を持ち込んだ。風邪をひいたときにはバニラアイスを食べるらしい。
ヘンテコな話だったが、ヒロナは喜んでくれた。
「私も、自分が壊れちゃうかもしれないなって思ってたんだけど、いっぱい寝たらよくなったんだよね!」
「うん、、表情が全く違うよ。本当に元気になったっぽいね!」
ヒロナがパクパクとアイスを口に運んでいる姿を見ると、ただ単に家に遊びに来たような気分になる。三人でのんびり喋るのも久しぶりな気がした。
「ほんと、色々ごめんね。完全に余裕が無くなってた。阿南さんが言うところの『忙しくて心を亡くしてた』ってやつだね」
「わかるわ・・・」
「ほ、ほ、ほ、ほんと、そんな感じだよね。は、初めてのことばっかりだったし。ずっと緊張してる感じ」
なんで私とアキまでアイスを食べているのかは分からない。アキが勝手に「全員の分」と言い出して買ったのだ。マキコの分まで。
だから、アイスは一つだけテーブルに残っていた。
「ねえ、最初に『あー、このまま行くとマズいかもな』って思ったの、いつだった?」
仄かにバニラの匂いが漂っている。
ヒロナは残ったアイスを見つめながら言った。
冷凍庫にしまわずに、わざわざ外に出している。
「うーん・・・。レコーディングの時に、マキコが悔し涙を流してる時かな」
二人とも共感の声を漏らし、首を優雅に縦に振った。レコーディングブース内で孤独と闘う、あの独特の空気を味わっていれば、誰でも未来への恐怖を抱くだろう。
次にアキが答える番だと思ったが、彼女は口を開かなかった。では、ヒロナはと視線を送ってみると、こちらはすぐにリアクションがある。
「私はね、MV撮影の時かな。アキちゃんは?」
ヒロナは特に撮影のことを掘り下げもせずに、すぐに話を振った。最初からアキに聞きたかったんだろう。
「わたしは・・・、じ、じ、実は、ヤ、ヤ、ヤバいって思ったことはないんだよね」
アキもテーブルに残ったアイスを見つめながら答えた。
「は、は、初めてのことが多くて大変だけど・・・、ヤバいと思ったことはないの。ぜ、ぜ、ぜ全部が楽しいから」
これは本心だと思った。やっぱりアキはトップクラスの人材だったんだ。
喰らい付いていこうと思ってしまう我々とは次元が違う。圧倒的な余裕を感じる。
「だ、だ、だから、みんなが疲れていることが理解できなかったの・・・。いや、も、も、もちろん疲労はあるけど、クッタクタにはならないというか」
「筋肉の使い方を知ってるみたいな感じなのかな?」
「なるほどね・・・」
プロにとっては我々の“もがき”は大したことがない。その意味で、アキも同じなのかもしれない。だから、感覚がズレてしまい、ますますマキコの反感を買ってしまう。
「じ、じ、じ、自分だけが浮いてるのも分かってた。い、い、いつもだったら自分の気持ちを抑えて、バランス調整できるんだけど。最近、それができてなくて・・・」
確かにアキは笑顔が増えた気がする。
スケジュールが埋まることに比例するように。
一体、アキにはどんな景色が見えているのだろうか。
一人だけ、どんな世界に行ってるのだろうか。
私たちは、思った以上にアキの足を引っ張っているのかもしれない・・・。
「そういうことだったんだ!」
「だ、だ、だ、だから、私は大丈夫。マ、マキコちゃんをフォローしてあげて」
アキは口をキュッと結び、決意の表情を見せた。何かを振り切ったような強さを感じる。電車内で「辞めたい」と言った人とは別人のようだ。
アキの言葉を信じようと思った。たぶん、高校を卒業するとき、私たちは大人になっている。今は、目の前に立ちはだかる壁を越えなければいけない時期なのだろう。壁沿いに歩いてもいい。とにかく、立ち止まってはいけない。
お互いに目で確認し合う。言葉にならない瞳の奥で会話する。
バニラアイスの最後の一口を、口に放り込んだ。
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