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【小説】 謝ろうと思った。


 マキコは奔走した。
 朝のバンドリハーサルを終えた後は、文化祭実行委員と体育館の客席導線や紹介段取りの最終確認をしなければならない。その後はクラス企画である縁日のスタッフシフトと作業確認。生徒会としての全体確認や、ゴミ捨て場など、風紀乱れのチェック。そして、投票で選出されてしまったミスコンのリハーサル。
 文化祭を楽しむ余裕なんてこれっぽちもなかった。
 しかし、この隙間のないスケジュールこそがマキコを充実感に満たし、逆に心に余裕を持たせていた。

 自分には背負わなければいけない役割がある。私にしかできないことがある。だから、素直に向き合えばいい。今までは、自らの立ち振る舞いや見え方を意識してきたけど、そんなことを考えている時間はない。表舞台と裏方の仕事を行き来するたびに、思考をスイッチできるほどの柔軟さはまだ持っていなかった。
 今の自分にできるベストを尽くそう・・・。
 マキコは小さく拳を握り、フッと息を吐いた。

 午前中はスタッフ作業がメインとなる。浴衣姿で縁日スタッフ。とはいえお客さんのメインターゲットを家族層に絞ったから、そもそも忙しくなることはない。それを狙って企画を設計したし、来てくれたお客さんとの時間を大切にしようというコンセプトになっている。スタッフも少人数で済むため、シフトを考えればクラス全員が文化祭を楽しむことができる。
 その後は生徒会の仕事として見回りなどをしなければいけない。腕章をつけて、いかにも「生徒会」っぽさを演出しながら校内を練り歩く。この時間に文化祭を楽しめる。遊ぶことはできないが雰囲気を楽しむには十分だ。
 
 すれ違う人たちが振り返ってこちらを見てるのが分かる。バンド活動が活発化した影響だ。「あの子、バンドやってる子だよ」「やっぱ、かわいいね」「サインもらう?」と囁く声が聞こえてくる。いや、聞こえるように喋っているのがわかる。最初の頃は、芸能人になった気分がしてちょっとした優越感を味わったけど、慣れてくると、決して気分がいいものではないと分かってきた。
 その視線には人間が隠しているベタついた欲望が含まれている。男女は問わない。みな、平等に持っている感情なんだと思う。
 普段の学校生活ならスルーすることができたが、文化祭ともなると他校の生徒や地域の人も訪れるため、いつも以上に意識させられてしまう。

 もしかしたら、自分がアキさんに対して向けてきた感情は同じものなのかもしれない。ただの嫉妬だけではない。羨望や自己承認欲求なども混じっている。欲深い視線。
 私が一方的に抱いていた気持ちを、アキさんは何も言わずに受け止めてくれていた。他のメンバーも、私には何も言わずに野放しにしてくれた。
 急に顔が暑くなった。ぐんぐん体温が上昇していくのが分かる。同時に自分の情けなさと自責の念も湧き上がってきた。すれ違う人から顔を背け、自分が行ってきた失礼の数々を思い出しながら廊下を闊歩する。
 
 謝ろう。
 ライブ前に謝らないとダメだ。
 誰かに対する嫉妬や怒りがモチベーションになってしまうと、瞬間的には効果を発揮できるが長持ちはしない。もし目的を達成したとしても、また違う敵を作るようになって前進していくのだろう。負の感情をモチベーションにすることでしか高みに登れないなんて、カッコ悪すぎる。そんな人間にはなりたくない。

 マキコの歩みは自然と早くなっていた。行き先はアキがいる三年生のクラス。リハーサル後は待合室もないから、きっと企画で使われない自分達のクラスにいるだろう・・・。
 もう、すれ違う人の声は消えていた。

 勢いよく扉を開けると、窓際に突っ伏す女子生徒三人の姿が目に入ってきた。皆、同じ体制で背中を丸めていた。文化祭が始まっていることもあり、他には誰もいない。信じられないかった。こんな状況なのに、呑気に寝てるなんて。しかも三人も。
 マキコは思わず吹き出してしまった。自分でもワケが分からなかったが、堪えることができないほど面白かったのだ。
 クラスに黄色い笑い声が響く。
 一人がピクリと反応し、ゆっくりと身体を持ち上げた。「うーん」と伸びをし、とてもスッキリした顔をしている。笑ってる私の姿を確認すると、目を擦り、今がどんな状況なのかを把握しようとしてるのか、周りを見渡した。
 私は笑いを抑えて、彼女に向かって言った。

 「アキさん、おはようございます!」

 アキさんは固まったような驚いた顔をした。そして、数秒をかけて、何かを理解したかのようにニッコリと笑って答えた。

 「マキコちゃん、おはよ!」

 クラスの外から太鼓の音やおもちゃのラッパの音、鐘の音が聞こえてきた。
 何かをお祝いしているみたいだった。


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