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【小説】 本物の淋しさ。


 何を思い出したかのか、リオンくんはアキちゃんのお墓参りに行こうと言い出した。私は意味もなく、ただ、ギョッとした。

「一緒にお参りしたら、谷山さんもきっと喜ぶと思うんだ」

 私はリオンくんの顔をしげしげと眺めた。一点の曇りもない。彼に「どうしたの?」と言われて、ハッとした。リオンくんは何も気づいていない。そんなことってあるの? あなたは彼女に惹かれていたのでしょう? あなたたちは互いの気持ちを分かっていたのでしょう?
 ドス黒い粒子が私の心の中で吹き荒んだ。全身にバチバチと砂が当たるような痛みを我慢して、私は目一杯、口角を上げて「そうだね」と微笑んだ。

 都心から電車で1時間ほどの静かな街に、アキちゃんのお墓はあった。規則正しく整理された霊園は、お線香の煙で霧がかかっているように見えた。
 私たちは新しいアキちゃんの墓に水をかけて洗った。花を供え、お線香に火をつけ、頭を下げた。家の仏壇の前に座るのとは違う。死の気配がない。私たちはしばらく合掌した。
 リオンくんはきっと、私と一緒になった顛末を説明したり、自分の音楽留学、そしてアキちゃんの音楽について話したのだろう。喜んでもらえると本気で思っているに違いない。私の腹の中は、ただ申し訳ないと繰り返すだけだった。
 ピカピカな墓と、想いを馳せるリオンくん、そして墓の下に埋まったアキちゃんの白骨とを思い比べて、私は暗鬱な気分を感じずにはいられなかった。お天道様に冷罵されているようで、私は以後、誰かと墓参りに来るのはよそうと思った。

 私のこうした心のかげりはいつまでも続いた。
 年が明け、少しの間、リオンくんとの新婚生活を過ごしたが、朝夕顔を合わせていると、私の希望は脆くも破壊されていった。彼の背後にアキちゃんを感じてしまう。彼女に脅かされてしまうのだ。リオンくんが間に立って、私とアキちゃんを結びつけようとする。だから私は彼を遠ざけた。別に彼に不満があったワケでもないのに、顔を背けてしまったんだ。
 彼の心に私がどう映っているかなんて、想像する必要もない。「オレのこと、嫌いになった?」とか「オレに隠してることがあるの?」などと言っているのだから。その度に返事に窮し、苦しくなった。

 思い切って全てを打ち明けようとしたこともある。しかし、いざというまぎわのところで、彼はピアノを奏で、私の戦意を喪失させた。私は、ピアノの音色を聴いている時だけが、唯一、俗世間から離脱できる瞬間だった。この頃の私は、リオンくんの前で自分を飾ることも出来なくなっていた。乱気流に身を任せるように心がゴチャゴチャに動き回った。流石のリオンくんも時に激昂することもあったが、何を言っていたのかは覚えていない。

 私は彼の純白な心に、黒いインクを落としたくなかった。その一心だった。
 だから私は、真実を打ち明けないまま、彼との生活に終止符を打つ決断をしたのだ。

 私は不安から逃れようと、作曲に没頭した。自分たちのバンドでは決して演奏できない曲たちを、無我夢中で作り続けた。一時期は、酒やタバコに身を浸そうと考えたこともあったが、幸か不幸か、どうしても体質に合わず、受け入れてくれるのは音楽だけだった。
 メンバー間で、アキちゃんの話が出ることはなかった。さすがに事務所から事務的な連絡はあったけど、それ以上でも以下でもない。死因が関係しているのか、故人を偲ぶ会が催されるワケでもなく、ただ、記憶のカケラとしてアキちゃんは過ぎ去ろうとしていた。

「バンド、解散したいです」

 その提案があったのは、マキコちゃんからだった。ちょうどバンドが休止して一年が経とうとするタイミングで、このままだと前に進めないというのが彼女の主張だった。涙をポロポロと流しながら説明するマキコちゃんの前に、誰も反対するものはいなかった。私は謝ることしかできなかった。そんな自分が不愉快でたまらなかった。
 一気に駆け登ってきた階段がガラガラと音を立てながら崩れていく。登ってきたはずの一段一段が闇の中に葬り去っていき、過去の産物となっていく。前を向くと、道は遠くまで続いていた。まだ私たちは年端もいかない子どもだった。

 それぞれの去就については、個人で話し合うこととなり、私たちは小さな会議室で正式に解散することになった。外に出ると、金木犀の甘い香りが風に乗って、やってきた。バンドを始めてから、何回目の秋が来たのだろうか……。
 私は初めて、本物の淋しさと出会った気がした。

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