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【小説】 俯瞰したライブ。


 身体がビリビリと震える。
 ステージ奥に設置された巨大スクリーンにオープニング映像が流れると客席が揺れた。演奏前だというのに、客席は総立ちになりタオルを振り、身体をよじらせ、黄色い声を上げている。人間が持つ欲望がエネルギーとなり、大きな塊としてぶつかってくる。
 人物紹介の映像に合わせて私たちがスクリーンの前に登場すると、さらに会場の熱気が高まるのを感じた。私たちは、後光に煽られながら、それぞれの持ち場につく。4つのシルエットの準備が終わると同時に映像が終わり、会場は真っ暗になった。

 始まる。

 そう思うのと同時に、イヤモニからクリック音が聞こえてきた。私は反射的に、そのリズムに合わせてドラムを叩く。パッと灯りがつき、カラフルな照明が会場を彩った。満員の客席が目に飛び込み、鳥肌が立つ。夥しい数の視線にさらされている。見渡す限りの人の波。だが、あまりの会場の広さに、同じ場所にいる気がしない。高層ビルから景色を眺めているみたいな、他人行儀の景色にも思えた。
 きっと轟くような興奮の声で溢れているのだろう。でも、イヤモニからは自分たちの演奏しか聞こえてこない。マキコちゃんのギター、アキちゃんのベース、ミウのキーボードの響きだけが、ライブを運ぶ指針となっていた。Aメロに入るまでのイントロ部分で、マキコちゃんが客を煽る。最も過酷なスケジュールをこなしている彼女だが、疲労の色は微塵も見せない、力強い叫びだった。もう私たちが支える必要はない。プロとしての立派なパフォーマンスだった。私は、悲しいような笑顔を浮かべて、ドラムスティックを振り回した。

 アキちゃんは相変わらずの独走スタイルだった。
 曲のバランスなどを一切気にしない、自分を発散させるような歌唱。ツインボーカルだが、歌で敵わないマキコちゃんは、MCや煽りで存在感を放っている。ミウも私も、自分の演奏だけに集中していた。やっぱり、バラバラの演奏になってしまった。それぞれが違うベクトルに向かっている。こんなバンドじゃなかったはずだ。
 それでも、もちろん会場の空気は満たしているし、演奏だって誰が聞いても安定している。アキちゃんの圧倒的な歌唱力は、聴く者の心を離さないし、マキコちゃんの完璧なライブ進行でファンも満足していた。でも、それ以上でも以下でもない。遊びも余白も感じなかった。昔のようにミスを修正したり、アドリブを加えてみるようなことはない。ただ、用意されたライブを、それなりのクオリティできっちりこなすだけ。会場の熱気が高まるほどに、心が離れていってしまう自分がいる。肌はこんなにピリリと反応しているのに。

「か、かか、家族の絆は血ではないと思うんです」

 ライブ中盤のMCで、この日初めてアキちゃんが口を開いた。

「ひ、ひ、一つの家族が、一つ屋根の下で、す、すせ、成長し合うことはない」

 私の心臓は飛び跳ねるみたいに緊張した。
 アキちゃんに、吃音の症状が出ている。
 これまでステージ上で言葉が詰まったことはなかったのに。日常生活からも治ったと思っていたのに。ここにきて、突然。
 私は狼狽えた。ミウがチラリと振り返り、「大丈夫かな?」と視線で訴えてくる。私も同じ気持ちだよ。マキコちゃんは真剣な表情でアキちゃんの横顔を見つめている。祈るように口をかたく結び、無理矢理口角をあげている。
 アキちゃんは何かをそらんじているかのように言葉を丁寧に紡いでいくが、中身はまるで聞こえてこなかった。
 静寂が会場を包み込んでいる。照明も暗くなり、客席の顔が消えた。ピンスポットだけが私たちを照らし出し、まるで宇宙空間に放り出されたような気分になる。世界に自分達だけが取り残されたような感覚だった。

「だから、わ、わ、私たちは、こ、ここ、ここまでやってこれました」

 アキちゃんはそう言ったあと、私の目を見て合図した。懐かしい目をしていた。端の方が少し上がっているのに、ビー玉みたいに黒目が澄んでいる。キラキラと瞳が輝き、決してキツくは見えない。優しくて丸くて、温かい目をしていた。初めてアキちゃんと会った時と同じ目をしていた。

 その後、私たちは自分達を俯瞰しているかのような、不思議な状態でライブを駆け抜けた。演奏しているはずなのに、意識が離れている。幽体離脱みたいに身体からもう一人の自分が抜け出して、ユラユラと宙に浮いている。なぜか私たちは学生服を着ていて、何かを喋っている。アキちゃんも、ミウも、マキコちゃんも笑っていた。でも、口を動かしているのに言葉は聞こえない。「なんの話をしてるの?」と聞こうと思っても、声が音にならなかった。
 これは夢なんだろうか?
 しかし、見下ろすとそこには自分達がライブをしている。今現在が広がっている。会場を上から見ると、ドームは円形ではなく楕円になっていることまでわかった。若い人たちが自分達を見てはしゃいでいる。手をあげながらピョンピョンと跳ね、汗をかいている。カップルの姿も多かった。同じくらい、オジサンも多かった。変な客層だなと思った。でも、すごく、いいと思う。夢に描いていた光景だ。
 ステージで演奏する私たちは、みんな、苦しそうな顔をしていた。表向きは笑っているのに、苦しそうだった。もっと、楽しく演奏したらいいのに。音楽を楽しめばいいのに。ね? そう思わない?
 隣で浮いてるみんなは笑っていた。声は聞こえないのに、みんな同意してくれてるようだった。キャッキャと戯れて、腕を絡ませながら、私たちはライブを最後まで見つめていた。

 万雷の拍手。鳴り止まない3度目のアンコールを断ち切るように、客出しのアナウンスが入った。「以上をもちまして……」の無機質な声が、私を現実に引き戻した。ライブの記憶が途切れていた。自分がどこにいるのかが分からなかった。でも、楽屋に足は向いているし、スタッフさんたちは「お疲れ様でした!」と声をかけてくれているから、ライブは無事に終わったんだと思う。
 メンバーのみんなにも変わった様子はなかった。「アキ、大丈夫?」とミウはアキちゃんの肩を叩いているが、それくらい。私は大きく息を吐き、手のひらにかいた汗を何度も拭いた。まだ身体がピリピリしていた。

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