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【小説】 朝を待つ。


 布団の中でリオンくんは言った。

「オレ、ロシアの音楽学校に行く」

 彼の指は熱かった。私は暗闇の中に浮かぶ天井の木目を見ていた。木目の模様は、年輪というよりも、川の流れに見えたり、雲の移動に見えたりと抽象的な絵に見えてくる。

「今日のピアノで?」

 私は掠れた声をあげていた。シンデレラは、もう、帰らないといけない時間だ。絡まる指をキュッと握る。体を変えて、彼の胸に腕を回した。筋肉はなくても、雪のようになめらかな肌が心地いい。私は彼の肩に、そっと唇を当てた。

「試験に合格しないとダメだけどね」

 彼が首を傾けたから、私のおでこにぶつかった。撫でてほしかった。

「ずっと応援してるよ。バンドのこと」

 男って、自己中だ。
 本気でそう思った。
 でも、そんなことは言えないよ。

「ピアノで世界に行く」

 リオンくんは、存在感のない男だった。ピアノの前にいる時だけキラキラ輝く。でも普段は影がないような人。背が小さくて、顔が整っていて、静かな人。足音なく歩くから、少し浮いているんじゃないかと思ったこともある。主張も少なく、何を考えているのか分からない。ピアノの演奏が終わった後でも手が冷たい人。ガラス細工みたいな人だと思っていた。
 でも、今の彼は違う。私の横で仰向けになっている彼に、他の誰にも通じるような“漢”を感じた。獣のような欲望が、熱となって絡まる指先から伝わってくる。すれ違う男性が浴びせてくる、いやらしい視線に似た強い欲が。

「うん、頑張ってね」

 そっと手の力を抜いた。
 熱くなった指を一本ずつ解いていく。
 そろそろ時間がきたみたい。
 彼に対する気持ちが冷めたワケではない。
 ただ、この時間は続かないことを、私は悟ったんだ。
 彼の気配を感じながら、私は木目をじっと見ていた。
 リオンくんは、それ以上何も言わず、静かに寝息を立て始めた。
 木目は次第にぐにゃりと歪んでいく。
 私は静かに、朝を待った。
 

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