【小説】 プロとアマ。2


「マキコちゃん、あのね・・・」

 コンマ数秒遅れていたら、タイミングを逃していただろう。

「私は、失恋してしまったミウの気持ちを大切にしてあげたいって思う」

 タイミングとはそういうものだ。

「・・・・・・」

 ヒロナの強固な意思表示にマキコは驚いた顔をした。
 バンドリーダーであるヒロナと真っ向から対立するカタチとなってしまったことに分が悪いと思ったのか、マキコの燃え盛る怒りの炎が、少しだけ鎮火した。

「もちろん、マキコちゃんの言いたいことも分かるよ? バンドに私情を持ち込んで欲しくないっていう気持ちもね」
「だったら・・・!」

 マキコは反射的に動く感情の力を借りながら、怒りの火種にカッと火を灯す。
 しかし、ヒロナにも、確固たる決意があった。

「私は、ミウを傷つけてたくない」
「いやいや、傷つけるとか、そんなこと言ってていいんですか?」
「うん。いいの。私はミウに傷ついて欲しくない」
「そんなんじゃ、バンドとして売れないですよ?」
「・・・・・・」

 売れて何がしたいのだろう。
 なんのために売れたいのだろう。
 マキコの中に渦巻く感情と、自分の気持ちのギャプを瞬時に埋めることができず、ヒロナは口を閉ざした。
 すると、沈黙を好機と捉えたのか、マキコの怒りが再燃する。

「これを良しとしたら、これから先も同じような問題が立ちはだかりますよ? 失恋するたびにリハ休む人が出てもいいんですか? ショックを受けるたびに休んでたら、いつか大切なチャンスを逃しますよ? それでいいんですか?」

 薔薇にはトゲがあるとはよく言ったもので、マキコには恐ろしいほど鋭利なトゲがあった。日常生活でそのトゲを隠しているというストレスもあるのだろう。バンド内では、彼女が本来持っているトゲや、獰猛な牙が顕れた。
 さすがに、ヒロナも込み上げてくるものを抑えることができなくなる。

「ううん、それはダメ。でもさ、今回みたいなことが何度も起きるなんて、誰が決めたの?」
「決めるというか、分かりきったことじゃないですか?」
「マキコちゃんは、親戚が亡くなった時にも同じことが言える?」
「それは極端じゃないですか? それとこれとは話が違いますよ。たかが恋愛でしょ?」

 売り言葉に買い言葉。
 昂る感情を必死でコントロールしようと、ヒロナはゆっくり息を吐いてから、話を整理しようと試みた。
 
「私は恋愛経験が豊富なワケではないから、『たかが恋愛』と言えるかどうかは分からないんだけど、ずっと側でミウを見てきたから分かることがあるの」
「・・・なんですか?」
「ミウは、人間関係が欲しかったんだと思うの・・・」

 眼の端に映るアキがピクリと反応した。

「私の目には、ミウが一対一の燃え上がるような恋愛をしてるようには見えなかった。恋愛を盲信して、他の全てを排除するような子ではなかった。もちろん、初めて出来る彼氏という存在に嬉しそうな瞬間はあったけど、それはほんのいっときで、ミウは本当の意味で、人間関係が欲しかったんだと思う」
「人間関係・・・?」

 虚を衝かれたように、マキコは目の色を変えた。

「ミウってさ、達観してるように振る舞ったり、クールなイメージがあるけど、そうじゃないんだよね。どこかで、ミウは世界に諦めてる感じがしたの。テストでいい点数を取るだけで褒められてしまうような決まりきった世界に飽きてるというかね。だから、フラフラして、どこにいくんだか分からないような私を友達に選んでくれたのかなって」

 伝われ、伝われと、心で念を送りながら言葉を紡ぐ。
 自分の表現力の拙さに情けなくなるが、ここで言葉を止めるわけにはいかなかった。

「でも、中草くんっていう彼氏ができて、ミウは変わった。見た目もグンと女っぽくなったでしょ? たぶん、今までの友達関係だけではない、新たな人間関係を学んだんだと思う。相手の気持ちを慮ることだったり、男女の思考の違いだったりね。そんな関係を失うことに悲しんでるんじゃないかな?」

「・・・ちょっと、よく分からないです」

 ふてくされるように、目を逸らすマキコ。
 必死の熱弁も、あっさりと砕け散ったことに、ヒロナは肩を落とした。
 この場をどう収めていいのか分からない・・・。
 気まずい空気が漂っている中、アキが静かに口を開いた。

「わ、わ、わ、私は、お父さんが死んじゃった時、世界が真っ白になった。く、く、黒だったかもしれないけど」
「・・・・・・」

 突然の告白に、空気が変わった。
 穏やかで柔らかい口調とは反するように、言葉には悲しみが浮かんでいる。

「も、もう、もうお父さんと思い出を共有できなくなっちゃったって。た、た、たくさん泣いた」

 初めて聞くアキの生々しい感情に、ヒロナとマキコは聞き入ることしかできなかった。

「もう話し相手がこの世からいなくなっちゃったんだなって・・・。それが悲しかったの。た、た、た、確かに死んじゃった人と失恋を比べるのは極端かもしれないけど、もしかしたら、ミ、ミ、ミウちゃんにとっての中草くんは、それくらい大切だったのかもしれないよね」

 沈黙が空気を包む。
 防音スタジオから音が消え、精神世界に転がり落ちるような感覚に襲われた。
 誰も口を開かないという順番を確認してから、アキは再び話し始める。

「お、お、お父さんの死から立ち上がれなくなっちゃった時に、わ、わ、私は一番近くにいてくれた音楽にのめり込んだ。ここにいたら、お、お、お、音楽と離れ離れになることはないから。私にとって、絶対に無くならない、た、た、た、“確かなモノ”だったの・・・」

 アキの眼の奥に涙が揺れた気がした。
 スタジオの人工照明の中でも、輝く星のようにキラと光った。
 アキは「だからね」と話を続ける。

「わ、わ、私もミウちゃんを待ってあげたい。ミウちゃんは強いから、きっと、すぐに戻ってくるよ。音楽を求めてね。でも、待ってる間にも出来ることはあると思う。曲の編成を変えてみたりさ!」

 一度、マキコに徹底的に嫌われた経験があったからこそ、アキは思い切って踏み込んだ話をしたのだろう。首元が赤くなり、勇気を振り絞ったのが分かる。

「新しい曲編成したりすることが、私たちの新しいスキルアップにも繋がるかもしれないしね!」

 ここぞばかりにヒロナがフォローを入れると、マキコは何を思ったのか、黙然と頷き、何も言わないままギターのチューニングを始めた。
 ヒロナがアキに視線を送ると、アキもチラッと眼を合わせる。

 私たちは、また一歩、大人の階段を登った気がした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?