【小説】 アキちゃんの「ラララ」
もしかしたらリオンくんは、人よりも音楽の方が好きなのかもしれない。
彼の横顔を見ていると、そう思わずにはいられなかった。アキちゃんの歌に聴き入る彼の姿は、ピアノを弾く彼の姿とどこか重なる部分が合った。リオンくんは、ピアノと対話をするように音を奏でる。ピアノは生き物のように、リオンくんの声に応える。音と戯れるリオンくんに、誰もが心奪われる。
今、リオンくんは、アキちゃんの音楽と踊っていた。
そして、何よりも、しあわせそうな顔をしていた。
一曲目が終わると、会場からは割れんばかりの拍手が轟いた。ライブハウスには似合わない拍手だった。クラシックのコンサートを味わった時のような、充実感のある空気が漂っている。
すぐに二曲目に始まった。今度はアルペジオから始まる叙情的な曲で会場の空気がまた変わる。アキちゃんの創り出す世界に引きずり込まれ、心の調子、ライブを聴くスタンスをチューニングされる気がした。これが、彼女の凄いところだ。あっという間に場を支配してしまう。
全体の照明が暗くなり、スポットライトがアキちゃんを浮かび上がらせる。真っ暗な世界に、真っ白な存在がポツンと光る。世界に見つかった。誰も気づかずに、通り過ぎてきた、音楽の神様が生んだ子を。私たちは、見つけてしまった。
曲はオリジナル。
聴いたこともない曲だった。しかも、歌詞は「ラララ」だけ。全身に鳥肌がたった。まるでデモテープに吹き込んでいるような優しい調子で、アキちゃんは終始、「ラララ」と歌う。その「ラララ」の中を、私たちの方で埋めていく。友達への感謝の気持ち、親に対する謝罪。愛する人へのラブレター、別れを告げる最後の言葉。「ラララ」は自在に変化した。
知らずの間に目頭が熱くなり、鼻がツンと痛くなっていた。
アキちゃんは「ラララ」で遊んでいた。
草原を走ったり、山を懸命に登ったり、海の中を泳いだり。世界から解放された場所で、音楽と戯れていた。たった一本のギターなのに、いくつもの音が聞こえてくる。笑い声や、泣いてる声。子どもたちのはしゃぐ声に、大人たちの叱る声。
初めてリオンくんのピアノの演奏を聴いた時と、まるで同じ衝撃だった。
アキちゃんと最初に会った時、こんな演奏はしていなかった。もっと自分に寄り添っていたというか、世界に自分の存在を叫ぶような印象だった。「私はここにいる」「私の歌を聴いてください」と、歌から聞こえる言葉の力が強かった。でも、今は違う。もっともっと純度が高まっている。音楽を楽しみたい。曲作りをしている時のように、力が抜けて世界と溶け合っている。
この数年間、ずっと一緒の時間を共有してきたけど、気付けなかった。でも、音楽を聴けば分かることがある。
アキちゃんは変わった。
私の想像以上の場所に行こうとしている。音楽の世界の住民として、羽ばたこうとしている。もっと遠くの場所へ。売れるとか認知されるとか、そんな世間の物差しでは測れない世界へ。そこは、もしかしたら……。
突風に吹かれたような、恐ろしさが全身を貫いた。
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