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奈良・春日若宮おん祭から考えた神様という存在のこと ~神様って何者なのか~

昨年(2022年)12月、初めて参列した春日若宮おん祭・遷幸(せんこう)の儀。

漆黒の闇と静けさに包まれた森の中から、「オオォォオォォ……」と警蹕(けいひつ)の声に抱かれて若宮さんが目の前を通っていった時、ハッと頭をよぎったことがありました。

「もしかして神様って、人間が存在させている?」

今回は、

・神様って何者?
・お祭の意味って?

など、日本の神様について調べたり考えたりしたことをアウトプットしていきます。


約900年続く奈良の大祭・春日若宮おん祭

おん祭期間中の春日大社一之鳥居。普段は鳥居の左側の榊のみ立てられていますが、おん祭の時だけ右側にも榊が立てられます

春日若宮おん祭は、奈良県奈良市にある春日大社の摂社・若宮神社のお祭です。

若宮神社の御祭神・天押雲根命(あめのおしくもねのみこと。以下、若宮さん)は、春日大社の第3殿の神様(男神)と第4殿の神様(女神)の間に平安時代に生まれた、奈良生まれの神様。
(春日大社の4柱の神様は他の地域からの移住組です)

その若宮さんに、「みんなが豊かに幸せに暮らせますように」と大和(現在の奈良)の人たちが力を合わせて祈る祭が、春日若宮おん祭。

900年近く、一度も途切れることなく続いていて、今年2023年に888回目を迎えました。末広がりすぎる記念すべき節目です……!

おん祭の中心となる神事は毎年12月15日~18日にかけて行われますが、メインは12月17日。

この日、若宮さんは午前0時に若宮神社を出発し、18日午前0時までに神社に戻るという、ちょっとシンデレラ感のある1日限定弾丸旅行をします٩( ‘ω’ )و!

若宮さんがお出かけする先は、奈良国立博物館の近くに設けられるお旅所という場所。ここでは若宮さんに華やかなお食事が出されて、神楽が舞われ、田楽や舞楽など若宮さんを喜ばせる芸能も次々と奉納されます。

巫女さんによる神楽
奉納される芸能の一つ・細男(せいのお)

その間、約8時間……!
若宮さん目線で考えると、まるで審査員席を独り占めして美食をつまみながら、ちょっと長めの紅白歌合戦を満喫するかのようですよね……(´艸`*)

警蹕の声に覚えた不思議な感覚


冒頭に少し描写したのは、若宮さんが深夜にお旅所に向かってお出かけする儀式「遷幸の儀」の一場面。

神様がお祭の時に神社から出てくるというのは、お神輿などで全国的に見られますが、遷幸の儀では威勢の良い「ワッショーイ!!!ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ」な感じとは全く違う光景が広がります。

光を出す・写真を撮るなどは一切NG。
夜空の星だけがその場を照らすという徹底的な暗闇の中で、多数の神職さんが若宮さんを取り囲み、「オォォォォ~~~」という警蹕の声(通行人を追い払う先払いの声といわれています)を発しながら、お旅所まで連れていきます。

遷幸の儀直前の、春日大社二之鳥居前。若宮さんの出待ちをする人でいっぱい
(この時の写真は春日大社公式Xにもアップされていたので恐らくこの写真は大丈夫だと判断)

この警蹕の声が、とにかく、凄かった……!

一人ではなく、複数の神職さんが一斉に全力で「オォォォォ~~~」と発するので、声が分厚く感じられ、存在感がもの凄かったのです。独唱よりも合唱の方が声量が多くて、声の迫力に圧倒される……という感じに近いかも知れません。

そんな迫力満点の警蹕の声、現実的には神職さんが発している声だとしっかり理解していますし、先払いの意味があるとされていることも知っていますが……

なぜか、その声そのものが、若宮さんの存在をこの世に具現化させているような不思議な感覚を覚えました。

その時に、ふと頭をよぎったのが冒頭のフレーズでした。
「もしかして神様って、人間が存在させている?」

(それを思いつつ投稿した当時のX👇)

神様の正体は人間の祈りが集まった意識体


警蹕の体験について、「不思議だな~」と思いながらも、それ以上追究せずに数ヵ月が過ぎた頃、祖母が亡くなりました。

死に触れたからでしょうか。
祖母の他界を境に、なぜか目に見えない世界のことを記した本や情報に次々と出合ったり、過去に読んだスピリチュアルな本の内容について急に思い出したりと、これもまた不思議な出来事がありました。

その時に目にしていた本の中にあったのが、こんな記述でした。

神社の神さまの正体とはなにか?
それは「僕たちの意識」です。神社という場に来て、僕たちはお祈りをします。
その「祈りの集合体」が神さまの正体なのです。

八木龍平 著『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』株式会社サンマーク出版 P.53より
(太字箇所は本文に則る)

神さまとは人間の創造物なのです。
人間がなにかに名前(ご神名)をつけて祈ると、神さまとよばれるスピリット(意思と目的をもった意識)が誕生します。
神さまは人々の祈りを集約するシンボルやフォルダとして機能し、僕たちの意識に働きかけることができるようになるのです。

同書P.54より(太字箇所は本文に則る)

神様は!!
人間の祈りが集まった!!!
意識体だと!!!!!

正直、「えぇぇぇぇぇ~~~~~!?!?!? 神様ってそういう存在なん!? 人間の意識ってそんなことできるん!?」と、とてつもなく度肝を抜かれました。

でも、この世界には

・虫の知らせ
・連絡しようと思っていた人から連絡が来る
・噂をしていたら張本人が来る

といった、誰かの思いのようなものが時間や場所を超えて動き、作用しているとしか思えないような現象は結構ありますよね。体験しているけれど、それが何なのか、まだ明らかでない領域です。

日本の神様が人間の意識の集合体だというのなら、虫の知らせ現象などと同じように、まだ科学の力で完全に解明されていないだけで、確かに存在するのかも知れない。

身近な体験に寄せて考えたら、「そんな世界もあるのかも」と思えて、「神様の正体は人間の意識」説を受け入れることにしました。

ちなみに、実はこの本は、数年前に一度手に取っていてすべて読んだはずなんですが、その時はこの記述を「ふーん。面白いけど、非科学的で全面的には受け入れられないなぁ~」としか思えなくて、スルーして忘れていたんです。

しかし、近しい人の死をきっかけにあの世との繋がりが濃い時期だったからでしょうか、この時はなぜか受け入れる方向に。こうして、見えない世界の扉を一つ開けたのでした。

おん祭でやっていることの意味は何か

12月17日夜のお旅所

ここで思い出されたのが、おん祭と若宮さんの存在。

神様が、人間の祈りの意識が集まって生まれた存在であるならば、若宮さんは約900年分の奈良の人たちの祈りの念が積み重なって存在しているということになります。いったい何人分の思いなんでしょう。凄すぎますね……!

となると、警蹕の声を聞いて直感した「神様ってもしかして人間が存在させている?」ということも、おおまかな考え方としては当たっていたことになるんでしょうね。なぜそんな風にピンと来たのか、全く見当もつかないのですが……。

そうした祈りの集合体である神様のためにお祭をやる意味も、手に取った本の中で関連すると思われる記述を見つけました。

偉大な龍神は続けた。
「まず、我々は自分たちだけでは生きられない存在だ。人間の祈りで生まれ、その魂を喰って生きている。我々は魂という食料のお返しに、人間を現実社会でサポートするのだ。互いが互いのための幸せを与え合うのがルールだからな」

小野寺S一貴 著『日本一役に立つ!龍の授業』東邦出版株式会社 P.17より

皆さん、「御成敗式目」って聞いたことあるでしょう。これはいまから800年ほど前の鎌倉時代に作られた基本法、いわば国の法律です。その第1条にはなんと神社について書かれており、そのなかに次のような一文があります。
「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」

同書 P.194より(太字箇所は本文に則る)

神様は人間の祈りによって強くなり、その見返りに神様は人間に運を授けてくれる。第1条ではこれに基づき、『神社を修復し、お祭りを絶やさないようにしなさい』と書かれています。

同書P.194-195より

神様といえば、人の願いを叶えてくれる存在。

神様が人の願いを叶える時、見えない世界で何がどう作用して、人の運命が変遷していくのか、この辺りは全くわかりませんが、目に見えない世界でも、何か活動するにはエネルギーが必要なのでしょう。

そこで神様がエネルギーを増すために重要になるのがお祭なのだそうです。人の祈りによって生まれた神様は、同じく人の祈りの力でもって強さを増すんですね。

2023年のおん祭は、こうしたお祭に対する考え方を踏まえた上で、様々な神事を眺めてみました。そこで思いを馳せたのが、多種多彩な神事に通ずる本質的な部分。

若宮さんに祝詞をあげることも、お食事を出すことも、美しい芸能を奉納することも、目に見える行為は違えど、本質的には祈りの意識を若宮さんへ強烈に向けることなのではと思いました。

そして忘れてはいけないのが、おん祭は奈良の人が力を合わせて祈る祭だということ。

当日は神職さんや巫女さん、芸能を奉納する方々だけでなく、祭の様子を見ようと多くの一般の方も集まります。つまり、お旅所をはじめ、おん祭のために春日大社周辺を訪れた多くの人の意識も若宮さんに向けられていることになります。

おん祭関係者だけでなく、一般の方の祈りも含めて、若宮さんは無数の人の思いを受け取って、エネルギーにしているのかも知れません。そして、そのエネルギーは奈良の安寧と豊かさのために見えない世界で使われているのでしょう。

おん祭当日、見物客でいっぱいの春日大社一之鳥居と参道

ちなみに、月刊なららのおん祭特集号・春日大社の花山院弘匡宮司のインタビューでも、先に紹介した本の内容とリンクするような記述を発見。「やっぱり神様ってそういう存在なんだろうな……」と思いを深めたのでした。

ご旅行をしていただき、そこで充分にお食事や芸能などを楽しんでいただく。そして神様の御力を高めていただき、感謝と共にその強い御力のご加護を願うのです。

『月刊 大和路ならら 2019年12月号:春日若宮おん祭』一般社団法人なら文化交流機構 P.20より


888年目の祈りと共に


ここまで考えると、遷幸の儀で感じた警蹕の声の不思議な感覚も、もしかしたら「神職さんや参列者たちの意識」だったのかも知れないな、と思い至りました。

神職さんたちの「若宮様は正にここにいらっしゃいます!」という強烈な思い。遷幸の儀を見ようと参道に集まった人たちの「若宮さんが来た!」という高揚した意識

こうしたものが寄り集まっていたから、警蹕の声に若宮さんを感じたのかも知れません。

若宮さんが神社に帰る「還幸(かんこう)の儀」の時、春日大社参道から見た星空

若宮さんにエネルギーを与えた888年目の祈り。

その力がこれからの奈良の1年を分厚く優しく力強く、包み込んでいくような気がしました。

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