Mrs. GREEN APPLE『WanteD!WanteD!』のブレイクに寄せて〜採れたてトマトと青りんごのサラダ〜

■音楽番組で『WanteD!WanteD!』がめちゃめちゃ聴ける

売れましたな。

え?誰がって?僕じゃないですよ。そりゃわかってるってか。つれないな。

売れたんですよ。数年前より僕も敬愛している、泣く子も黙る平均年齢二十三歳(ぐらい)若手ポップロックバンド、Mrs. GREEN APPLEが。

この記事を読んでくれている奇特な皆さんの中には、流石に彼等の名前を聞いた事がない方はいらっしゃらないと前提してお話を進めさせて頂こう。細かい能書きは脇に置いておいて、そうだな、メジャーデビュー当時若干齢十八歳だった圧倒的天才と美貌を兼ね備えるボーカル大森元貴くんが、今年の九月で二十二歳になる事ぐらいは書いておいても良いかな、とは思うが。直接話の本筋には無関係なので余談としておこう。彼本当に夢みたいに整った顔してますよね。

かねてより彼等の楽曲が好きだった僕は、何かきっかけがあればブレイクするバンドだろうなあとは思っていた。だって曲が良いし、メンバーのキャラも立ってるし、ボーカルの声も顔も良い。でもまさか、あの曲でブレイクするとは思わなかったと言うのが素直な感情だ。

あの曲、とは。

人気だったドラマ『僕たちがやりました』のオープニング曲に抜擢されて一躍注目されるようになった『WanteD!WanteD!』である。


テクノ調の音に見事にカラフルなバンドサウンドがマッチした賑やかで疾走感に溢れたブチアゲソング。僕の周囲でもリリース時から大好評だった。キャッチーだしモトキくんのボーカルは今まで以上に表現力振り切れて彼の声を聴いているだけでも楽しいこの楽曲。しかし実は、ただただ盛り上がるハッピーな曲と言うわけではない。

だからまあ、最近彼等の音楽番組出演が爆増えして、かの有名なミュージックステーションでもこの曲を演った時はちょっとびっくりした。

完全に板についたポップセンスと、抜群の歌唱力を有しながらもあどけなさの残る独特の歌声(これは大森元貴の最大の強みだと僕は勝手に思っているので歳とってもなくさないでほしい点である)、そして、ただ明るいだけではない“清濁併せ呑んだ夢の世界”を表現するスタンス。音楽は大人になっても行けるネバーランドのようなものだと思わせてくれるミセスの楽曲。今年リリースされたアルバム『ENSEMBLE』でも炸裂している彼等の良さが、たった四分弱の中にぎゅっと詰め込まれているのがこの曲だ。きっと彼等自身も勝負をかけていただろうし、この曲で知名度が上がったのはファンとして素直に嬉しい。

でも、だからこそ思う。どう考えても万人受けする曲じゃないでしょ。彼等のファンならわかるひとも少なくないと思うけど、すげえのよ。歌詞が。



《だんだん簡単に心が壊れてしまうようになったな

やる気もがれて傷ついたから ああもう辞めだ》



ワンフレーズ目からこれ。



《だんだん快感になってきたよ ツマラヌ オトナドモ

気高く保守的なだけね でもとりあえず踊りましょう》



因みに僕は二番冒頭のこのフレーズが大好き。是非歌詞全文、読んで頂きたいところ。

http://j-lyric.net/artist/a05a2d6/l042086.html

以前僕もお仕事でこんな記事を書かせて頂いたぐらい衝撃的だった“闇パリピソング” 『WanteD!WanteD!』。この曲のブレイクを受けて、僕はふと、ゲスの極み乙女。がブレイクした時の事を思い出した。



■ポップス=ジャンクフード

僕のnoteやツイッターを見てくださっている方ならご存知かと思うが、僕はなかなかのゲス乙女ファンでもある。マニアックなものからメジャー曲まで好きな楽曲は数多くあるが、中でも特に有名で、僕も大好きなのが『私以外私じゃないの』だ。

CMソングとして一躍知れ渡り、キャッチーなタイトルからご存知カリスマ川谷絵音本人までツイッターでネタになさる感じのアレだが、ぶっちゃけこの曲、軽々しくネタに出来るような曲じゃない。まあまず歌詞を通して読んでおくれ。

http://j-lyric.net/artist/a05866a/l03590c.html



《冴えない顔で泣いちゃった夜を重ねて 絶え間のない暮らしを今日も重ねた

良くなりそうな明日に期待する度に 何度も今日を鏡台の裏に隠した》



今時鏡台使ってるオンナがいますか。

文学的って言うのはこう言うのを言うんですよ、おわかりですか皆さん!?(態度がでかい)

まあしかし癖しかない歌詞に、癖しかないサウンドがぴったりハマって、癖しかない楽曲になるかと思いきやとてもキャッチーでいっそ爽やかなポップソングになっているのが凄いですよね。僕は演奏者としては素人なので詳しい音楽テクニックに関してはあまりお話出来ないし、ここでは議題が逸れるので割愛するが、耳障りはとても良くサビの絵音氏のファルセットが美しく覚えやすい曲だと言うのに、実は歌詞もサウンドもフックだらけ。聴き込めば聴き込む程に深みにはまるギャップ萌え曲だ。この曲で紅白まで出たんだぜ、凄いな。

何故この癖しかない曲が広く受け入れられたか。それはひとえに、ポップでキャッチーだったからだろう。

ミセスに話題を戻すが、彼等はかねてより「ポップバンドになりたい」と宣言している。バンドのブレーンであるモトキくんは「アイドルは最強の戦闘スタイル」とも言っているし、彼等は古式ゆかしいロックと言うよりは、もっと広く伝わりやすい、アイドルソングに例を挙げられる“ポップス”を志向している事がわかる。そして、ゲスのブレーンである絵音氏も同様の志向をお持ちの方であるっぽい。

耳障りの良いポップスは邦ロックリスナーではないひとの耳にも受け入れられやすい。『私以外〜』もそうだし、『WanteD!〜』もそうだが、どちらもポップス風のアレンジが功を奏して広く聴かれる楽曲になったのではないかと思う。ポップスは言わば美味しいジャンクフードみたいなもので、どんなに鈍い味覚のひとの口にも大体合う。だから「最強の戦闘スタイル」なのだ。

しかし、耳障りが良く覚えやすいからこそ、リスナーにしっかり“味わって”もらえない可能性もあるんじゃないかな、なんて思ったりもする。それこそCMなどに起用されやすいサビのような、曲の中でも“特にキャッチーな部分”だけが注目され、ネタにされて消費されたりなんかして。彼等が本当に届けたい肝心なこだわりやメッセージ――繊細な「旨み」みたいなものが伝わりにくくなる危険性。ポップスは諸刃の剣だ。

ミセスやゲス乙女の活躍を喜びながらも何故そんな余計な心配をしているかと言うと、高校時代、僕は部活の後輩から飛び出した耳を疑う発言に心底驚いたからだ。



■歌詞を読まない彼女達は

今から十年近く前、漫研に所属していた高校時代。当時仲が良かった後輩ふたりと昼食を食べながら談笑中、音楽の話題になった際に彼女達が発した言葉に僕はぶったまげた。

後輩A「私、歌詞カード読まないんですよね〜」

後輩B「あっ私も〜あんまり歌詞気にならないと言うか、フィーリングで聴くんでぇ〜」

後輩A「そうそう!ネット検索とかもまずしないですね〜。歌詞に励まされたりとかもあんまないし」

いがらしパイセン、一体彼女達に何と言葉を返したのかすら記憶がございません。

しかも後輩Aはいがらしと同じく、結構なバンドファンだったのだ。歌詞カード読みまくり、配信で聴いた曲でもとりあえず歌詞はネット検索でしっかり読む僕からすれば信じられない、これがニュージェネってやつか……と言葉を失ったものだが、割と世間一般ってそんなもんなのかもしれない。

『WanteD!〜』でミセスを知ったひと達の一体何割が、あのやべえ歌詞を調べて読んでくれただろうか。一体何割が、あのやべえ曲構成やギラギラピコピコのシンセの裏で存在感を見せるギターのシブさに気づいてくれただろうか。そう思うと、ちょっと切ない。

それでも彼らは楽曲にメッセージを込め、エモーションを込め、テクニックを詰め込む。何故ならミュージシャンは、僕達ファンや、ファンまでは行かないまでも音楽好きを自覚しているリスナーを、信じてくれているからだ。本当に好きだと言うファンなら「旨み」を感じ取ってくれるだろう、そして「旨み」がわかるリスナーが他にももっと沢山いるだろうと。

昔、まだ椿屋四重奏のボーカルだった頃の中田裕二氏がブログにこんなニュアンスの事を書いていた。

「ロックは一方的な音楽、俺達は叩きつけることしか出来ない」

ロックや広義の音楽だけでなく、“表現する事”は元来そういうものなのかもしれない。こだわりや信念に満ちた、「旨み」を詰め込んだ料理を叩きつけるようにサーブして、誰かが受け取ってくれるのを待つ。表現者は作った料理(作品)を食べてくれるひとが何処かにいるはずだとひたむきに信じる事しか出来ない。なんだかラーメン屋の粗野な頑固オヤジみたいだけれど。

芸術や文学と言うものは、作り手と受け手の――音楽の場合はミュージシャンとリスナーの――間の信頼関係に依存するものなのかもしれない。



■今日も何処かでミュージシャンはトマトを育てている

もうすっかり夏だ。虚弱体質で夏の暑さに弱い僕は今年も思い切れずフェスデビューが出来ずにいるのだが、既にフジロックは終わったしこの週末にはロッキンが待っている。時は夏フェス戦国時代。フェスシーンでブレイクするバンドが増えたりと言ったメリットは大きいが、一方でちょっと芳しくない感じの雰囲気の方々が音楽好き・邦ロック好き界隈に増えてきたように思える。

いわゆるアレだ、ユニバで大音量で邦ロックをかけてスカダンキメるのがカッコイイと思っているような輩だ。

盛り上がって踊ってモッシュピットに突っ込んで大騒ぎ出来れば良いだけの人々。これは完全に僕個人の偏見だけれど、これも邦ロックのポップス化の弊害なのかもしれない。わかりやすくノリやすい賑やかな音楽をBGMに自己顕示欲を満たしたりストレス発散したいだけの彼等にとって、キャッチーでダンサブルなジャンクフードは格好のご馳走でしょうから。

割と硬派なロックを演っていた好きなミュージシャンの音楽に、急にポップス色が強くなった時、そう言う輩に媚びてきたと思って幻滅するファンすらいたりするっぽい。多分、大好きで通いつめていたこだわり素材のおにぎり屋さんが気づいたらチェーン店の弁当屋に変わってしまった、みたいな感覚なんだろう。ファンやめたくなる気持ちもわからんではない。

でもちょっと待ってくれ。正直、バンドが本当にジャンクフードジャンキー(モノノタトエ)に向けて曲を作るようになったとしたら――そこに「旨み」は一切必要なくなるんじゃないだろうか?

曲だってAIにでも作らせておけばいいし、歌詞だってノンノンノンランランランアハァァァァ〜ンとかでで構わないでしょう。イケメンのマッシュベースヘアーのボーカルがギター弾きながら歌ってれば完璧だ。たとえ「キミに逢いたかったずっと待ってたよ逢えてよかった」だとかの薄いメッセージ性であったとしても込める必要ない。だってリスナーは踊れれば良いんでしょう?

バンドの楽曲が変化するのは媚びではなく時代に合わせた変化や本人達の心境や嗜好の変化だし、どんなに変わったとしても何処かに彼等らしさはあるはずだと僕は思う。だって同じひとが、今までと同じように魂を削って作っている作品なんだもの。

時代の潮流に合わせてどんなに音楽の形が変化しても、いつだってミュージシャンは魂を削り身を削り、曲にメッセージや物語やテクニック――「旨み」をぎゅっと閉じ込める。必ずしも多くのひとが気がついてくれるとは限らない、密かなこだわりを詰め込む。まるで一瞬で食べ終えてしまうハンバーガーに挟まってるトマトを、自社農場でイチから育てるようなものだ。ひたすらに不器用で、ひたむきで、非合理的な作業。

だけれど、その非合理性からギャップ萌えやエモさが生まれるのだ。僕にはその非合理性が、何よりも美しいものに思える。

何処でも音楽が楽しめる時代、作業用BGMか騒ぐ用BGMとしてしか音楽を捉えられないジャンクフードジャンキー(モノノタトエ)が今後もっと増えた世界になってしまうかもしれない。情報の溢れた誰もが忙しない時代だ、音楽なんぞ腹の足しにもならないものにヒトが割くリソースがどんどん削減されちゃう可能性だってなくはない。

それでも、多分ミュージシャンは律儀にトマトを育て続けるんだろう。丁寧に丁寧に、不器用に。

たとえ食べ慣れた味のハンバーガーでも、いつもよりちょっとゆっくり味わってみる心の余裕を忘れないようにし続けたいもんだ、と僕は思う。その方が多分、毎日がもっと美味しくなると思うから。

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