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『ニムロッド』人間が人間である所以 vol.539

2018年下半期の芥川賞『ニムロッド』。

現代的な風土を表記しながらも、どこか近未来的な恐怖感、有用感を感じさせる内容でした。

ここ数年の芥川賞の中でも、文学的な構想が多いように感じました。

私たちが人間としての営みをして、自分を自分と判断できる1番の要素は一体なんだと感じますか?

生きがいややりがい、趣味、家族、さまざまな観点から考えられますが、今ここに生きる私たちはこの環境の中でどのようなアイデンティティを維持しているのか。

この本を読んでの感想を書いていきます。

何を持って人間と呼ぶのか

この小説の中には、ニムロッドが描く人間の未来の小説が出てきます。

人間はいつの日か個であることをやめ、肉体を捨て1つとなる。

脳のデータやメモリを一つの共有財産とすることで、人間の思考のはるか上の構想を持つようになると言ったもの。

最近ではこんな研究もされているがゆえに非常に興味深くも、その中で私たちに問いかけているのはなんなのかを考えさせられる内容でした。

その小説の中では、唯一の人間として人間の王として、ダメな飛行機を集め続けることを生き甲斐としているニムロッド、そのニムロッドに商品を売ることを生き甲斐としている商人が描かれています。

ニムロッドはあまりにも人と離れすぎていて気づかなかったのか、それとも気づかないふりをしていたのか、知らないうちに全ての人間は、1つではなく全部に変わっていました。

商人もダメな飛行機を売り切り役目を終え、全体となります。

そして、残されたニムロッドは最後自分の存在がわからなくなり、飛行機の中で打ちひしがれます。

これは現代社会にも酷似しているようにも感じました。

得体の知れない何かを私たちは信じ続ける

この作品は全体を通して得体の知れない何かをあるものとして容認しながら生きていたり、それを信じ切って生きていく姿が見受けられます。

それはビットコインであったり、あのファンドであったり、新人賞であったり、最新の研究であったり、出生前診断であったり。

私たちはやはり目で見たものしかそれを現実として受け入れ難い性質があるのかもしれません。

それでも、目に見えていないものでさえも、それを信じてある世界として全員が暗黙の了解の中で生きてきている。

お金だって同じです。

国がなければ当然通貨にはなんの意味もありません。

お互いにその価値を認め合って、あるものとしているからこそなしうる世界。

しかし、世の中がそんなものだらけになってしまった時、果たして自分自身の存在は本当にあるものとしてこの世界に証明できているのかどうか。

そんな観点を眺められるのかもしれません。

やがて訪れる創造の世界へ

この作品に出てくる3人の人物、さとし、ニムロッド、田久保紀子。

それぞれがこのようなことを考えていたのでしょう。

ビットコインという何かわからないものを発掘し続けるさとし。

誰が評価しているとも分からない小説を書き続けるニムロッド。

予想もできない莫大な取引の中で重要役にいる田久保紀子。

皆が自分の分からないものを抱えていました。

そして、最後にはある特異点に入り、それぞれが自分の道を進む覚悟を決めたのです。

創造の世界です。

さとしは自らビットコインを、ニムロッドは本当に誰にも見せない自分が書きたい小説を、田久保紀子は自分の信じる仕事を。

『ニムロッド』はそんな現代社会に生きる私たちの在り方を今一度考えるきっかけをくれる今のこの時代の文学だったのでしょう。

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