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仏教の教えから考える vol.482

私はキリスト教の学校に通い中高時代を過ごしました。

大人になってからは、またその学校に勤務する形でキリスト教と関わっています。

世の中に広く知れ渡り、最も信仰者も多い宗教です。

しかし、キリスト教がすべてではないという考え方もあります。

特に日本人なんかは古くから仏教を大事にしており、キリスト教が普及し始めたのも、ここ数百年の間です。

今日はそんな宗教観と、普段関わらない仏教からいろいろと考えてみます。

悟りの世界とは

仏教における悟りの世界の道がこうです。

「一切皆苦」

私たちの世界は思い通りにならないことの連続であるということを知りましょうという教えです。

仏教の世界には四苦八苦という言葉があります。

ことわざにもなっていますが、人間は生まれながらにして8つの苦を背負っているという考え方です。

  1. 生苦,,,自分の生まれを選択できないという苦

  2. 老苦,,,誰もが老いを避けられないという苦

  3. 病苦,,,誰でも病気になり得るという苦

  4. 死苦,,,死という避けられない恐怖に対する苦

  5. 愛別離苦,,,どんなに愛しても離れる時が来るという苦

  6. 求不得苦,,,欲しいものは意のままに手に入れられないという苦

  7. 怨憎会苦,,,憎く思う相手とも人生で出会ってしまうという苦

  8. 五陰盛苦,,,感じたくなくても感じてしまうという苦

これらをまずは知り、受け入れる心構えをつくりましょうというもの。

あまりにもネガティブシンキングですが、これらの苦を乗り越えるため受容するために3つの考え方を取り入れていくのです。

「諸行無常」

諸行無常とは、この世に常なるものや起こりうる出来事はないという考え方です。

世の中は常に変化をし続け、変わらないものなどないというものです。

当たり前を当たり前とうのみにせず、変化を常に受け入れる姿勢を持てというのが諸行無常になります。

これは、仏教の考え方ですが、現代においても私たちにとって重要な考え方の一つでしょう。

私たちの住む世界も、常に科学技術が発展し続け昨日よりも今日、今日よりも明日とどんどんと物質的に豊かになり続けています。

一方でこれまで当たり前と思っていたものは、次の日には変化をしておりそこに打ちひしがれてしまう人も多々見かけます。

だからこそ、常日頃から諸行無常の志を胸に生きていくべきなのです。

「諸法無我」

諸法無我とは、この世にあるすべてのものは互いにつながり合っており、個として独立しているものなどないという考え方です。

だからこそ、自分自身も自立した独立した自分ではなく、あくまでも何かとつながっている、誰かとつながっている中で自分が成立している。

その考えからすると、自分というもの自体も実は存在していなく、世の中の一部として考えるべきとするものです。

自然との一体化のような感覚でしょうか。

確かにこの考え方をすると、より物事を多面的にそしてマクロに見えるため、道理や真理に気づきやすいのかもしれません。

教員で見るとこうでしょうか。

教職員→学年団→学校→地域→県教委→文科省→日本→世界

私にはまだまだ足りない考え方でした(笑)。

ギリギリ学校に片足を突っ込んでいるくらいですかね。

「涅槃寂静」

涅槃寂静。

これこそが仏教における悟りの世界です。

涅槃というのは悟りの境地を指し示し、時には死の世界を意味するときもあります。

結局のところ、これだけの想いを分かっていたとしても、自分の心からあらゆるマイナスの感情は生まれてくるのです。

怒り、悲しみ、憎しみ、妬み、嫉み、、、

これらは自分の心が静寂に一つ一つの物事に一喜一憂しなければ起きないはずのもの。

だから常に日頃、まず自分の四苦八苦を理解し、諸行無常、諸法無我の志を持てば涅槃寂静でいられるというように感じられるのです。

これらが仏教の考え方。

この道を歩み悟りの道に行きつくのは、昔でもごく一部。

今となっては誰一人いないのかもしれません。

それでも、これを少しでも心に留めたときに気づける世界もあるのでしょう。

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