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俺(私)のラーメンセミナーどうしよっか④ vol.377

続きです。

さて、セミナーも近づいてきてこの備忘録も備忘録ではなく、セミナーの記録のような役割にすらなってきた今日この頃。

今日は我が親友にセミナーの打ち合わせに手伝ってもらってより明確にセミナーの全容が見えてきた。

本当にありがたい。

好きと極み、表面と深層の違い

そもそも、このセミナーの主たるものはこの好き語りにあると考えている。

しかし、ただ単純に好き言っても人それぞれです。

ただの好きは好きでも、いろんな好きがあります。

例えば私は美術作品を見るのが好きですが、月に一度とか週に一度美術館に行っているような、熱烈ヘビーな好きの持ち主ではなく、本当にあればよりたい、いけたらいくというライトな好きの持ち主です。

これは、本当に好きな人からすれば好きと呼ぶのも申し訳なくはなりますが、それでも好きなものは好きなので好きと言っておきます。

こんなふうに、ただ単純に好きと言ってもそのレベルに差があるのは当然のことなのです。

なので、まずは自分の好きがどこまでの好きなのかを見計らってあげることが大事でしょう。

好きも突き詰めればただの好きではなく極みになり、そしてそれは時に自分の人生を表す指標にすらなりうるのです。

好きの先にいる人は?


あなたにとっての好きなもの、その好きなものに出会ったきっかけはなんだったのでしょうか?

多くの人が過去の経験から好きという感情が着色され今も残っていることでしょう。

しかし、中には憧れの人がやっていてとか、あの人が好きだったから自然と自分もと言ったように、他の人の影響を受けて好きなものに気づくというパターンもあるのではないでしょうか?

そんな好きなものがある場合には、是非ともその人がどんな人なのかを想像してみてください。

その人の惹かれているのは、あなたがその惹かれている人の惹かれている部分をあなた自身が大切にしているからなのです。

確かに好きなもの自体に惹かれることは、自分のルーツを辿る上で大切なことですが、人から始まる好きなものとの巡り合わせも、自分にとっての信念形成の上で切っても切れないものになるのです。

好きなものは鏡だった!?

好きなものを追求していくと、その先には自分が見えてきます。

私であればラーメンです。

ラーメンを食べたい欲がマックスの状態で、お腹もぺこぺこ。

これは最強の迎え撃ちです。

しかし、中にはなんとなくお腹が減っていてお昼を食べるところを探していたからとか、ハズレはないだろうからと言った理由でラーメンを選んでしまう時もあります。

そして、こういう日のラーメンこそどこか味気ない感じがしてしまうのです。

これは、自分の感情や気持ちとの向き合いが足りていない証拠でしょう。

何よりも大好きなものに対して失礼です。

ラーメンを食べる時の自分の感情と向き合うことで、自分が今どんな心理状態なのかを改めて知ることができるのです。

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