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『スクラップ・アンド・ビルド』自分から見る自分、未来予想図から見る自分 vol.631

2015年上半期、第153回芥川賞受賞作品『スクラップ•アンド•ビルド』。

受賞した当初は著者の羽田さんがテレビで引っ張りだこだったのも記憶に新しいです。

老介護と言った今の日本社会の問題の一つにも焦点を当てていた、実に今らしい作品でした。

どこか文学的な美しさというよりかは、健斗の移り変わる心境にどこか哲学的思想を感じる印象です。

この本を読んでの感想を書いていきます。

自分とお祖父さん

この本、健斗が仕事をやめて自分のこれまで住んでいたであろう家の状況を見始めたことでこの家庭の物語が動いていきます。

健斗にとってみればお祖父さんは自分がなりたくない存在。

だからこそ、自分自身を鍛えることでとことんその自分の将来の印象から遠ざけようとする。

そして、祖父に尊厳死を与えてあげようとあらゆることを手解きし始める。

まさにスクラップ・アンド・ビルド。

その点で言えば、非常にわかりやすく飲み込みやすい話だったなと思います。

しかし、この祖父の「死にたか」の言葉と同様に、どこか健斗にも無機質感を感じました。

それはどこか淡々としていて、何か大きなものを目指しているわけでもないそこに感じたのかも知れません。

現代的と言えば一言で片付けられるのかも知れませんが、それだけでは終わらない何か飲み込み難い、自分は健斗とは違うと言いたくなるような違和感がそこにはありました。

社会の縮図

この本の話は、社会の中でもたまたまスポットライトが当てられた家庭の話だっただけのように感じます。

超少子高齢化の進んでいる現代、もはやこの話はどこの家庭にでも起こりうる話で、近所の家を数軒叩いたら、そこでスクラップアンドビルドは行われているかも知れません。

それほどまでに家庭のリアルを描いていて、社会の中の見たくない当たり前、日常を書いているのかも知れません。

この本を読んだ後の後味の悪さはそこまでではなかったのですが、どこかポンジュノ監督の『半地下』や『母なる証明』に近いものを感じました。

生に執着し強く生きる

実は、祖父は健斗の行動の意味も全てわかっているのかも知れません。

この本の中では非常に阿呆が進行してしまった老人を描いていましたが、どうしても一部の描写が忘れられません。

それは早く健斗が家に着いた時に、これまでに見たことのないスピードで過ぎ去る何か物体の姿、その物体は杖すらも着いておらず、普段は自分ではやらないであろう浅ましくも食欲を追求した食べ方をしていた。

こればかりはなぜそんな描写があったのか、そもそもこの老体にそんなエネルギーがあったのかということに甚だ疑問が残ります。

祖父は本当はボケていないのではないか、弱っていないのではないか。

それでも最後の方では健斗の不注意で溺れてしまったものの、健斗には何も言わずに助けてくれたお礼をいう。

このどっちとも言えぬようすは健斗の心理を我々に共感させるには十分すぎる箇所だったのかも知れません。

人の心理が動かされるというよりも、どこか現代社会の儚さとそれを我々若者が背負っていかなければならんのだぞという系譜。

そう言ったものを感じとりました。

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