『トロール』真実を頭の隅で生かし続けるか vol.557
目に止まったのでたまたま見てみたら、Netflixで公開されてまだ数日という映画でした。
こう言ったSFチックかつ科学的見解をなんとか入れようとするような映画は好きな部類です。
非現実的な物語でもあり、なんだか感情移入ができない映画でしたが、この映画を見ての感想を書いていきます。
空想の話の中に真実は隠れている
作中ではほとんどの人がこのトロールの存在を信じませんでした。
それもそのはず。
もし現代にこんなでかい生物が現れたとしたら、多くの場合、自分の目で確認するまではその存在を信じないはずです。
だからこそ、この映画が伝えたいことの一部はそこなのではないかと思いました。
多くの人が目に見えるもの、感じたことを真実として捉えます。
逆に自分にとってあり得ないもの、わからないものは、自分の五感で実感するまでは、信じません。
たとえそこに大事なものが含まれていたとしてもです。
これはそんな世の中の摂理というか、人間の思考の在り方のようなものを表していたのかもしれません。
自然との共存
トロールは人間と意志の疎通が取れませんでした。
自分の感情と、そして本能に従って動いていただけなのです。
それでも、これだけの巨体が思惑もわからず都市部に入れば、人類にとっては大きな被害を生み出します。
当然、人間はこのトロールの動きを阻止しようとするはずです。
しかしトロールには現代兵器が効かない。
これは、どうしようもできない自然というものと人類の対立を描いているように感じました。
そしてそれは、ミクロな視点でもたくさんあります。
相手は自然ではなくて職場かもしれない、家族かもしれない。
そんなどうしようもできない相手と対峙した時、どうなるか。
自分ならノアのように冷静に考え、信じがたい解決策を導き出せるのか、それとも考えることをやめ、自分にはこれしかできないとあのよくわからないお偉いさんのように武器を行使しようとするのか。
そんな瞬間を想像できます。
信念を捨てずに生き続ける
娘のノアは、おとぎ話と思われるような話ばかりを信じ続ける父親にうんざりとしていました。
結果、父親は若干ボケてしまっていたのかもしれません。
しかし、そんなノアの中には父親の言葉がずっと残っていました。
どんな時でも信念を持ち続ける。
それを父親は故意ではなくても実際に証明して見せたのです。
しかし、そんなノアの思いは読みきれませんでした。
最後、トロールを思い共存?それぞれの場所で生きる?道を理想としたのに、太陽によってトロールが倒れたときには晴れやかな顔をしていました。
これは、果たしてどんな信念からくるものだったのでしょうか。
結局目の前の達成感にホッとしたのか、諦めなのか、自分のやりたいことに戻れるという安心感なのか。
非常に締まりの悪さを感じた映画でした。
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