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【書評】『遅いインターネット(NewsPicks 幻冬舎)』宇野常寛


インターネットが普及した今日の社会では、
そこからさらに
インターネットの『量』や『速さ』など、
より高みを目指しています。
しかし
5Gさえ来ると言うのに、
「必要なのは遅いインターネット」
とはどういうことなのでしょうか。

タイトルから気になり思わずに手に取ってしまいました。


かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と讃えられた日本的な経営は、いまや個人の個性を抑圧し、才能を潰し、組織の歯車にすることで、情報産業を支えるイノベーションを疎外するための仕組みでしかない。


冒頭から悲観的な文が続いていました。
そしてこの一文。

悲観的とは言え、まさに述べている通りだと思います。
かつての高度経済成長のような仕組みは破綻し、
活気さえなくなっている今日の日本社会。
時代に合わせて改革していかなければいけないと再確認できる一文でした。



あえて背を向け、選択しないこととそもそも選択肢が存在しないことはまったく違う。


自分の意見を主張するのはいいことだけど、
反対意見を聞くことすらしないというのは違うと思います。
そもそも選択肢を無くしてしまうのではなく、
反対意見を受け入れ熟考した上で物事を判断するべきです。



1章では、
現在の急速に進化する世界の“壁”を越えた資本主義(グローバル資本主義)について考察していました。
GAFAやBATHなどの企業は確かに恐ろしいほどの発展ですが、
その成長はあくまでも経済の中の話であって
民主主義という政治とは相容れないのが現状だと述べていました。


現代の世界の構造上では、民主主義はこのあたらしい「境界のない世界」を原理的に肯定できないのだ。




フェイクニュースを人々が信じるのは、それが正確な情報だと判断するからではなく、それを信じたいからだ。
〜中略〜
ほんとうに問題とすべきは、フェイクニュースの偽りとフィルターバブルの陥穽(だけ)ではない。むしろそれを望んでしまう欲望のほうなのだ。


先日のコロナウイルスの拡大によるフェイクニュースで
トイレットペーパーやティッシュがなくなったという一件を思い出します。
フェイクニュースに煽られてしまうのは、
筆者が述べているように「それを信じたいから」なのかもしれませんね。



インターネットはいま、肥大化したソーシャルネットワークから離脱したつながりを求めつつある。良質な情報はサブスクリプションの有料サービスに、信頼性の高いコミュニティはオンラインサロンに閉じる動きが活発だ。これを本来のインターネットの精神に対する反動だと断じることもできるかもしれない。インターネットとは、世界中のどこからでもアクセスできるその開放性こそに本質の一端があったことは間違いないからだ。だが、逆にこう考えることもできる。インターネットが人間の吐き出した言葉と言葉をつなげるというのは、あくまで技術的な制約がもたらした初期の現象であり、そのもっとも本質的な役割は血縁や地縁や職業団体を超えて人間関係を結び直すことにある、と。インターネットは適度に閉じることを覚えたいま、むしろ本来の顔を取り戻しつつあるのかもしれない。こうしたコミュニティの再編は言論の流通による世論形成よりもより深いレベルで政治を変えるポテンシャルを秘めている。


インターネットが成熟している中で、
かつての本来の働きを失っているのではないかということに対して、
むしろそれが進化なのではないかと。
情報社会の黎明期である我々には
それが退化だと思っているだけで、
それは本当は進化なのではないかと述べています。
そして
その進化こそが政治に影響を与えるのではないかという見解です。
なかなか高度な考えですね。

たしかに
人類にとって初めてのことなのでどれが正解なのかはわかりません。
ただ
前述のように今のインターネットと政治(民主主義)が
噛み合ってないという点から見たら、
この主張は筋が通るのかもしれません。


この文の前では、
民主主義をどうこうするには国民を、
意識の高すぎる市民(公的な存在)でもなく、
意識の低すぎる大衆(私的な存在)でもなく
人間本来の姿のまま政治参加を促すことが大事だと述べています。
既存の民主主義はそのどちらかに分けることしかできていない。
つまり
オープンすぎる、速すぎるインターネットをうまく使えていない
と主張していました。
このことから
もっと遅いインターネットこそが社会を変える鍵なのではないかと考察。
その遅いインターネットというのは上で述べた、
ある程度閉じたインターネットだということです。




Googleが
実空間との融合を進めていることや
作り出した作品(他人の体験)より現実(自分の体験)を重視してきた社会の風潮から「遅いインターネット」の意義がわかりました。
情報社会がある程度成熟して
かつての仮想を作るためのインターネットではなくて、
現実を充実させるためのインターネットになりました。
インターネットの使い方が変わったからこその遅いインターネット。
今日の成熟したインターネットは
本来想像していたような効果を得られず、
大衆の啓発ではなく、ただ満足感を増幅させるだけになってしまった。
だから
そういうインターネットではなく遅いインターネットが必要なんだということでした。

ちなみに
Googleのそれは全部の層に普遍的に行き渡るものではなかったとして、
懐疑的だと述べていました。



人間は「共感」したときではなくむしろ想像を超えたものに触れたときに価値転倒を起こす。そして世界の見え方が変わるのだ。


当たり前のことのように思えますが、意外と難しいことです。
特にTwitterでは大量の情報を得やすい反面、
得たい情報だけを得るという形が多いように思えます。
そのため価値転倒が起こりづらくなり、発展しにくくなる。
ある程度成熟した情報社会である今、
メディアリテラシーの重要性が再確認できる一文だと思いました。




#イの本ね

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