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『犬王』を見た話【ネタバレあり】

『犬王』を見ました。

シンプルでいて、噛めば噛むほど味わい深くなる作品だと思います。

なのでこの記事では存分にゴリゴリにネタバレをしながら咀嚼していきます。


『犬王』は湯浅監督の最新作。
南北朝時代を舞台に、琵琶法師と能(猿楽)を扱った作品です。
と、言ってもゆったりとした能のイメージとは全く違う、ロックミュージックのテイストをふんだんに盛り込んだライブシーンが目を惹きます。

さて、ここで主要人物は盲目になり琵琶法師となった少年・友魚(ともな)と猿楽の名家に生まれた異形・犬王の二人。
友魚と犬王はお互いを相棒として一座を興し、斬新な猿楽、前述のロックミュージックテイストのパフォーマンスで、一世を風靡していきます。

物語はある意味とてもストレートに進んでいく。

一座がパフォーマンスをする度に、犬王の異形が人間に近づいていくのがマイルストーンとしてわかりやすく描かれていきます。最終的に犬王は完全に人間の姿となり、権力者にも認められる結末。

そう。非常にわかりやすいストーリーライン。
だからこそ、結末で描かれる友魚と犬王の対比が鮮やかに僕の心へ爪痕を残しました。

最終的に一座のパフォーマンスは禁止となります。
そのとき、友魚は最後まで自分たちのパフォーマンスにこだわり「もうしない」の一言が言えず、打ち首となりました。まさにロックの精神を突き通したと言えるでしょう。しかし、その描かれ方はどこかネガティヴさを孕んだ、後ろ向きなものでした。追っ手につめられた際には師の言葉に一切耳を傾けず、恩人が身を挺して彼への刃を受け止めても態度をまるで変えない、その姿はワガママな子ども。
一方で犬王は前述の通り、権力者に気に入られます。「友魚と関わるな」と言われた際にも、しばし苦汁をなめたような顔をしましたが、最終的には権力者に自らの猿楽を捧げることを快活に答えます。

この二人の対比は畢竟、己のための芸か・他のための芸かに行き着きます。

友魚は盲目となった日を境に故郷の壇ノ浦を発ち、偶然の琵琶法師との出逢いから、己の才能を開花させていきます。彼のパフォーマンスは自己を知らしめるため。作中で友魚は二度、名前を変えます。友魚、友一、友有。それは周りとの関係を軽視し、肥大する自己が脱皮する様子にも見えます。(そういえば壇ノ浦に対するシンボリックな生物として蟹が描かれていますね)
対して犬王はあらゆる呪いをその身に受け、異形として生まれます。彼のパフォーマンスは自らの身に宿った平家の怨念を成仏させるため。そして一座を抑えられてからは権力者のために。

付け加えるなら、黒幕である犬王の父は、自らが究極の芸の美を手に入れることを目的としていました。やはりここにも、誰がための芸か、が現れています。(そして犬王の父と友魚は同じ結末を辿っています)

平家物語をキーワードに据えているだけに、この作品全体にも「盛者必衰」の空気を感じます。己の高みのみを目指す者には必衰を。

グサリと刺さる作品でした。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
よろしければこちらの短編集もよろしくお願い致します。

以上です。

P.S.
歴史と名著の知識・教養のなさが恥ずかしい。
邁進せねば。

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