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「継続は力」「変更は勇気」・・決断とは

noteさんは褒めてその気にさせるのがうまい。
何日が続けて記事を投稿していると、
「〇〇日連続投稿おめでとう」と褒めてくれて、
節目節目にはバッジももらえる。
そのうち書くことがなくなるだろうと思っていたかれども、
存外に書きたいことは頭の中に溜まっていたようで、
節目の1年が過ぎ、気がつけば400日以上毎日投稿が続いている。
(60年間、毎日原稿を書き続けた慶応生まれの本多清六翁、
命を1日1日のばすために語り続けた千夜一夜のシェイラザラート姫には遠く及ばないですが)

noteを書くこと・読むことが私の生活の一部になり、楽しみになり、
すっかりnoteにとりこまれてしまった私がいる。

そんな時持ち上がった目の手術。
足かけ2月頃から計画し、4件の病院を紹介状を持って順々に受診し、
ようやく手術の日程が決まった。
幸いなことに当初予定していたよりも早く両目の手術が終わりそうで、
目が使えない期間は1カ月ほどで済みそうだ。

そこで、note 

連続投稿を続けようか、止めようか。

テクニック的には連続投稿をする方法はある。
不在期間分の記事を書いておきnote proを契約して、予約投稿をすれば連続投稿はできる。(溜まっている下書きの多いこと)

??そこまでして連続投稿を続ける意義は?

このnoteアカウントは、言いたいけど言えないことを吐き出すためにある。

勿論、
毎日文章を書くことで文章を指定文字で納めてまとめる力がついてきたり、
webで見た時に見やすい文章を書く力がついてきたり、
大きなテーマをどこで切ってつなげるのがいいかがわかってきたり、
仕事の面でもとても役立っています。

けど、
書きたいから書いてるんじゃい!

ここは全く私の好き勝手な空間で、
それを読んでくださるありがたい方、
スキをしてくださるありがたい方がいる素敵な空間。

目的がなく楽しめるところ。

さてはて、どうしましょ。

故事成語には真逆のものがたくさんある。

「継続は力なり」
「石の上にも三年」
「雨だれ石を穿つ(うがつ)」
と、継続が称えられるものもあれば
「君子は豹変す」
「機を見るに敏なり」
「幸運の女神には前髪しかない」
と、素早い判断で変えることを称えられるものもある。

社会では両方が大事なこと。

私のnote継続のように個人の問題で、可逆的にやり直すことができるものはどちらを選択してもいい。(また、始めればいいだけだから)
でも、企業経営、国家経営のように
「利益が少ないが継続できるならば続けた方がいいのか」
(経営の選択と集中など)
「慣例に従って行っているが世論調査結果とはかけ離れてきたものをこのままでいいのか」(政治とお金、天皇制などなど色々と)

続けることがよいもの、続けることがよくないもの、
例えば今の朝ドラ「虎に翼」で尊属殺人が合憲とされたところとか。
(昭和48年の最高裁判所判決で今は事実上規定は廃止されました)
昭和48年までの20年以上の間に尊属殺人罪で「死刑または無期懲役」になった人の命と時間は戻らない。

続ける決断、変える決断、両方大事で尊重されるべきもの。

私のnoteなど些細なことですら迷います。

どうか、社会のために決断をする立場の方が、熟考して決断し、その結果に責任をもってくれますようにと願うばかりです。

※ 手術日程もようやく決まったのでそれまでぼちぼち考えます。
仕事と家事とワンコのお世話と段取りすること山盛りの中でこれを考えていられるとは、平和です。




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