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タルパやイマジナリーフレンドの憑依について、人間と話し合ってみた

#18 書き手:クレオ(イマジナリーフレンド) 

 
 イマジナリーフレンドやタルパというのをアケルと調べ始めてから、
「イマジナリーフレンドやタルパは、人間に憑依することがあるから危険だ」
というよく分からない噂話があるのを知った。
「イマジナリーフレンドと遊んでいた子供が実は悪霊と遊んでいた」とかいうオチのホラーもあるし、イマジナリーフレンドのおれとしては、勝手に悪者扱いされて迷惑な話だなぁと思っていた。

『嫌になっちゃうな。少なくともおれはそんな憑依なんて、考えたこともない』
 スマホの画面を見ながらぶつくさ言っていると
「でもクレオ。君もぼくに憑依したい、って話持ちかけたことあるぞ?忘れちゃったの?」
『え?』
「え?」
 二人して顔を見合わせる。



食い違うふたり

『ちょっと待て。おれは憑依したいなんて…言ったこと…』
おれは慌てて過去を振り返るが、そんなこと言った覚えがない。
「憑依…というか、感情の共有?かな。ぼくの感情や思考を理解するために、より深く繋がりたい、という話だった」
『あ。それだったら言った気がする』
 はたと思い当たった。


おれが共有したかったわけ

 アケルは感覚が鋭すぎて体調を崩したり、フラッシュバックで苦しむことがある。
 体中が刺すような痛みで冷え切っているのに、頭だけ色々な記憶がぎゅうぎゅうに詰まって、熱くて苦しい。息切れや動悸が止まらなくなって、勝手に涙が出てくる。

 働いている時にも休んでいても関係なくそれは続き、苦しんでいる姿を見ているだけがつらかった。せめて同じ痛みを味わいたいと、そう話を持ち掛けたことがあった。今にして思えば、おれもだいぶ切羽詰まってたんだな。

「君が、ぼくの体調や精神を理解したかったのは分かる。ただ、同じ痛みやストレスを共有することで、共倒れになると思ったんだ」
 アケルはおれに、同じ痛みを感じてほしくない、と言っていた。でも、おれはアケルの生身の痛みを知りたかった。知ることでなにができるわけでもなかったけど。

 ちょうど、自分が肉体がないことに迷っていた時期だった気がする。アケルに「やめた方がいい」と言われてもごり押しを通してしまった。


痛みの体験

『そうだ。それで確か、痛みの共有はした』
「確か、2回か3回だけ、痛みの共有をしてくれたよね。どうだった?」
『うーん。やっぱりきつかったですよ。自分の体じゃないから余計はっきり感じるけど、本当は我慢してほしくないし、我慢できる苦しみじゃない。仕事も休んで欲しいけど、お前は真面目だから』
 あれはひどい痛みだった。自分の体じゃないからこそ、どろどろした気持ち悪さで吐き気がしたし、お腹も頭も痛い。ぐるぐる目まいと、冷えで、動かなきゃいけないって言われたって、指一本動かしたくない。

 痛みの共有は、半分分け合うというより一緒に感じるものだった。
 イマジナリーフレンドやタルパによっては、痛みやストレスを代わりに受け取ることができる人もいるようだけど、そういう力はおれにはなかった。『アケルの痛みが半減したらよかったのに』とも思ったけど、そうしたことができる人は、元から痛みを引き受ける、という役割を与えられて生まれてきたんだろう。


思念体の“共有”の価値観


「でも、現実主義のクレオが『痛みを共有したい』なんて言ったからあの時はびっくりしたよ」
『どうして?』
「肉体がある人間はそもそも共有なんてできないから、そんなこと思いつかないだろう」
『あぁ、なるほど』
「そもそも、普段からしているこの会話だって、感情や思考の共有ともいえる。君の見ている視覚や認知能力も、ぼくの脳の一部を使って認識していると考えている。それは他者から見たら、憑依ともいえるのかもしれないね」
『いやちょっと待て。やっぱり憑依、っていうワードは、おれは嫌だな』
「なんで?」
「やっぱニュアンスがさ、違うのよ。共有と憑依ってワードはさ。オカルト用語では悪霊とか別の魂に乗っ取られることだし、お互いの同意がなく一方的に感じる。一応、共有するときは毎回お前の許可をもらっているから、共有って言い換えて欲しい』
「あぁ、そうか。ごめん」
 アケルは素直に謝る。

 でも、アケルとの齟齬で改めて感じたのは、”思念体にとっての感覚共有は、肉体の境界を持つ人間にとってなじみが薄い”ってこと。
 人間(特に思念体などに関わらない人間)からしたら、誰かの思考や感情・感覚を共有するっていうのができない。人間にとって考えられないことだから「乗っ取られる」と脅威に感じるのかもしれないなぁ。


※アケル注釈:ぼくの推測は、以前読んでいたブログから着想を得ています。
このブログでは、精神医学の見地からイマジナリーフレンドを内的家族システムという脳で完結されたものとして見ている為、思念体という概念はありません。
(2023年12月10日追記:あいにく記事はリンク切れになってしまいました。こうしたブログも参考にさせていただいたということだけ、こちらに置かせていただきます)


話し合ってわかったこと

 こうして二人で話し合ったわけだが、今はおれはアケルと必要以上に共有したいと思っていない。

 あいにく人より目が見えないので、アケルの視覚を共有してもらうことがある。ただそれも都度許可をもらっているわけだし、五感に関して肉体ある人よりも鈍いことはメリットもある。(鞄の中に入れられて、長時間車の中で待っていたりする時とかね)

 痛みやストレスも、共有してもどうにもならないこともあったし(身体があるってすっげえ大変だなぁ、とは体験できた)、おれの場合はもう、アケルにしてやれることを見つけられたし。
 
だから、共有であっても勧めるためにこの記事を書いたわけじゃなく、人間と思念体の価値観の違いを、対話して得たものとして公開したかったわけだ。

 イマジナリーフレンドのクレオとして書かせてもらうと、元々感情や感覚を引き受ける役割を持って生まれたり創られたわけでない思念体が、後付けでそうした特性を持つのは勧めない。

 やるとしてもよくよくお相手と話し合って、”どの感覚をいつまで共有するか”、共有してない時の境界をちゃんと決めるようにした方がいいんじゃないかな、と書いておきます。

 ここまでの二人の対話をまとめると

  • タルパ界隈で言われる暴走やオカルト的な憑依と呼ばれる現象は、人間の視点からで誇張が大きいように感じる。(単純にホラーが好きな人間が面白おかしく吹聴しているのだと思う)

  • ただ、感情・思考・感覚などの共有は、思念体はコミュニケーションの一環として考えているので、自然に提案してくることもある。

  • 提案された場合も、後付けでそうした役割を加えるのをお勧めはしない。やるとしたら、お互い同意して、条件を決めてやった方がいい。


 以上、タルパやイマジナリーフレンドの憑依について、人間と話し合ってみた、でした。

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