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親の価値観、誰かの価値観では生きられない

うちの父親は手を上げる人でした
殴る度に「1度目から殴ってないだろ。2度3度注意されても同じことするから殴るんだ。だから殴られるお前が悪いんだ」と

父には好きな部分もありましたが、殴ったり蹴ったりと体罰をすることも、そしてその言い分も大嫌いでした

大人だって自分をなかなか変えられない
同じ失敗を繰り返す
子供なんてなおさらなのに殴る
殴られてもなおらなかったし

それでも…

全部が全部サッパリしている人間はいませんが(と、思っている)、父はわりかしサッパリしていたのでそこは好きでした

自分で会社を経営していることを尊敬していましたし、声が大きくてハキハキしているところも嫌ではなかった

むしろ私は母のことが好きではありませんでした

母は自分の意見がない人でした
それを指摘すると「お母さんの意見はお父さんと一緒よ」と平気で言う人でした
それがまた嫌でした
それなのに見栄っ張りで、貧乏育ちで学歴が低いことをコンプレックスにしていました

妹のバイオリンのお友達のお母さん達がオペラの話をしていると、観たこともないくせに頷いていたり

小学生ながらに恥ずかしい!って思ったことを鮮明に覚えています

ああいう風にはなりたくない
もし本当に興味があれば自分で調べて観に行けばいい
それもしないし興味もないのに、見透かされているのに知ったかぶりもできず、でも「そーいうの分からなくて」と明るく言うこともできない

私には凄く薄っぺらい人に映っていましたし実際そういうところは否めませんでした

母は食べ物の好き嫌いが異様に多い人でした(今もですが)

私が小さい頃、おそらく小学校低学年
祖母の家からわりと近くの駅にある大きなデパートでお昼ご飯を食べることになりました
この年代の人はレストランは百貨店が安心するらしいです(これは今でも)

入る店はほとんど蕎麦屋
ハンバーグが食べたくてもいつも却下
普通外食の時って少しは子供の意見聞かないか?

その日も「きょうは洋食にしようよ。きょうこそはハンバーグが食べたい」と言ったにも関わらず蕎麦屋に行く、と

そこですかさず妹が「私お蕎麦でいい!」

妹は母に好かれたかったのです
だからバイオリンも始めました
バイオリンは母にとってお金持ちに見える、お金持ちと同じになれるアイテムでした

私は孤立しましたが主張し続けました

わざと隠れて、「きょうはハンバーグじゃないと一緒にお店に入らない」と

すると追いかけてくるのをやめて、いなくなりました

何時間経っても母と妹は見つからず、私は捨てられたのだと思いました
このまま養護施設に行くのかな、と

インフォメーションカウンターで母を呼び出してもらうも一向に現れず

お金も持っていませんでしたので1人では帰れません
というか、まだ小学校低学年でしたので数えるほどしか1人で電車に乗ったことがありませんでした

うろ覚えだった祖母の家の電話番号をカウンターのお姉さんに伝えてかけてもらうと、母と妹はとっくに祖母の家に戻っていました

カウンターでお金を借りて1人で帰ってこい、と言われてそうしました

帰ると母に「これからあんたの電車賃を返しにまたデパート行かなきゃじゃない!本当にワガママなんだから!」とめんどう臭そうに言われました
だったら迎えに来てくれれば良かったのに、母はそれを甘やかしだと判断したのか、それとも単に迎えに行きたくなかったのか、今となってはどちらでもいい
その時私が思ったこと、それは…

そっか
家の住所も分かっていたし、養護施設に行くことはなかったか、となんだか虚しくなりました

今なら言えます

ワガママはお前だろ!

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