紙の本を出したいか?
京都旅の話の続きです。
夫は観光地に全く興味がなく、中古CDや音楽関連の書籍が売っているところに行きたいとのことで
ホホホ座(旧:ガケ書房)に行ってきました!
小一時間物色して、3冊購入。
最近、シュタイナー関連の本か授業に必要な本しか読んでいませんでしたが、久々に、純粋な興味だけで読めそうな気がしました。(CDはマニアックすぎて夫の求めているもとは違った模様)
よく考えてみたら、わたしの人生を方向付けてくれたのは、こういったアート・クリエイティブ系の本屋さんかもしれません。
高校生までは福岡に住んでいました。当時、クラスメイトのほとんどがジャニーズかV系のファンで、どちらにもハマっていないわたしはやや孤立気味でした。
な〜〜〜〜〜んか、楽しいことないかな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。という気分でいっぱいのとき、たまたま立ち寄ったのが青山ブックセンターです。
そう、昔は福岡にもあったんですよ〜!今は閉店してしまって残念です。
ここに並んでいたいろんな本に刺激をもらって、大学も、なんとなくアートか哲学方向で行こう!と決めました。そうやって導かれた京都には、もっとディープな世界が広がっていて面白かったです。
(それなりに重く苦しく悩んでいた記憶もしっかりありますよ。)
あと、ホホホ座で物色していて思ったこと。
気になる本をいろいろ手にとりつつ、「こういう着眼点、noteでも見かけたことあるな〜」「この密度の文章だったら、ネットでも読めそうだな〜」と思う自分がいて、じゃあ、わざわざ紙の本になっている理由はなんだろう?と気になりました。
一応断っておくと、紙の本にすることは大賛成です!
でも、紙の本にしたいと思う人、紙の本にすることを実現できる人ってどういう人なのでしょう。
大学時代のサークルの先輩に、紙の本を出版した人がいました。その方は、学生のときからもうずっと、紙媒体のデザイン(特に文字組み)をしたり、webでエッセイや日記を書いたり、趣味で小さな本を出すことをしていました。
わたしもwebで書くことをやめられない部分は一緒ですが、先輩のように、自分でつくってでも紙の本で表現したいって思ったことあったかな?
本を出版するところを想像してみると、
いろんな人の手が加わるから、より完成度の高いものになりそう。
「ブログ書いてます」よりも「本出しました」のほうがインパクトが強そう。
その分、ものすごい手間暇がかかりそう。
そこまでして言いたいこと・書きたいことがない。
と思いました。
(それだったら、なんかお教室とかやっているほうがいいかな〜!)
紙の本になって残るということは、そこに、少なくとも一人以上の、ものすごい熱量が込められているということではないですかね。
そう考えたら、やっぱり、紙の本を読みたい!と思いました。
↑似たような話題です。
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