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白ごはんの自由さ

食いしん坊のみなさん、こんにちは。

突然ですが、わたしは満腹感が苦手です。味の濃いものはなかなか食べ続けられないですし、どんな食事でも、後味はすっきりで終わらせたいと思っています。

カレーなら、最後はルーのないご飯で終わりたい、ということです。そのほうが、満腹感がやわらぐ気がします。

かといって、腹八分目や少食を心がけているわけでもなく。人からみたら、ただの食いしん坊に見えることでしょう。

先日はパートナーがつくってくれた料理に白ごはんがなかったのがきっかけで、大喧嘩をしてしまいました。

わたしの中で、付け合わせのポテトは白ごはんの代わりにならない。じゃあ、お好み焼きのときは?わたしはお好み焼きだけで食べたい。でも、白ごはんと一緒に食べたいあなたのために、炊いてあげることもあるのに!!

これをうまく伝えられなくて、拗ね散らかしてしまいました。大人気ないですね〜、お恥ずかしいです。

まぁ喧嘩のことはさて置き、

つまり、わたしはただ白ごはんが好きな奴ではないということです。パンの日も、麺の日もあります。そういう日は、白ごはんが無い!と騒いだりいたしません。

では、なぜあんなことに?

丁寧にみていくと、おかずを白ごはんと一緒に食べることで、味の濃さを調整したかったようでした。好きなペースで、食べやすい味の濃さに。

そう、口中調味(口内調味)ってやつです!

先日も、お店で肉野菜炒め定食を頼んだのですが、結構ボリューミーで味が濃かったのにもかかわらず、ぺろりと食べられました。それはやはり、白ごはんに助けられたから!

お腹を満たすためにハフハフ掻き込んでいるのではなくて、味の調整に、最後まで気持ちよく完食するために、どうしても白ごはんという相棒が必要なのです。

副菜の多い食事が好きなのも、きっと同じ理由からでしょう。

とにかく、わたしは白ごはんの自由なところに惹かれていたんだな〜と気がつきました。(あれ、ものすごい普通のことを言ってる!?)

noteにもたまに書いていますが、わたしは自分の授業のあり方を「毎日食べても飽きないごはんとみそ汁のようなもの」と呼ぶことがあります。

たしかに、その子のペースで咀嚼・消化するものであってほしいし、さりげなくそっと、その子の生活を支えるものであってほしいです。

咀嚼や消化は、本当にその人の力で、その人にしかできないことだから。そこに自由を感じます。

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