どうして、ほぼ毎日note?
新年の抱負に「こつこつ発信」「毎日投稿」を掲げている人が、たくさんいますね。
わたしもその一人ですが、読み手としても、みなさんのdailyな投稿を覗くことが結構好きです。一緒に続けていくためにも、リアクションは積極的に送っていきたいな〜と思っています。
ほぼ毎日投稿の意味
さて、同じ「こつこつ発信」といっても、その目的は色とりどり。
わたしの場合、ざっくり言うと「仕事のため」です。
その発信で仕事や注目をゲットしようっていうよりは、今年は「練習の場」として考えたいです。どんな練習でしょうか?
今あるもので、ベストを尽くす練習
「ない」よりも「ある」に注目する練習
です。その心は。
ホームラン志向をやわらげたい
自分の中で、結構プレッシャーに感じている仕事の一つに、「詩を書く」というものがあります。
担任している子どもたちへの誕生日プレゼントとして書くのですが、「あげたら、ハイ終わり」っていうものでもなくて、その詩は、人前で一年間、くりかえしくりかえし唱えられます。
すっかり暗唱して、その子の中にも、みんなの中にも入っていくものです。通知表とお祈りが混ざったようなもの、と言えばいいでしょうか。
わたしはいつも、その責任重大さに打ちひしがれて、1行書くまでにとてつもない日数をかけてしまいます。
でも、がんばって書いたからって、良い詩になるわけじゃない。そこまで自分を追い込まなくてもいいじゃないか〜とも思うので、(追い込む時間がもったいない)
いまあるものでなんとかする筋力を日頃から鍛えておいて、さくっと詩を書く土台としておきたいです。
学びすぎ問題
シュタイナー教育なんていうものに関わっていると、美しい理想にたくさん出くわします。そして、「担任って神さまみたいなものにならないといけないのか!?」「無理無理〜!!」と思うことがよくあります。
まだまだ、自分は現場に立てる器じゃない。勉強が足りない。だから、あれもこれもと、学びに手を出しすぎる傾向がありありです。
でも、「できる/できない」の評価よりも大事にしたいことがあります。
それは、「足りないかもしれないけど」「そうありたいと欲する向き」で、具体的な事柄にせっせと取り組むこと。手持ちのカードをササーッと繰って、今の自分にできることを生み出すことです。
「学び終わる」っていう日はどうせ来ません。そして、「学ぶな!」と言われても学びを欲してしまうものだと思います。
だったら、次から次へと学びを足していくよりも、お稽古のように、一つの道をこつこつと深めていきたいな〜。
未熟なまま現場に出ていくって勇気がいりますが、シュタイナーはその勇気をくじくようなことは書いていないと思います。よくよく読み込んでみれば、むしろ、励ましてくれてますよ〜!!
(年長者のアドバイスや評価に苦しんでいたとき、すごく励みになった本です。)
まとめ
ちょっと脱線してきたので無理やりまとめますと、
今あるもので、ベストを尽くす練習 として
「ない」よりも「ある」に注目する練習 として
noteでほぼ毎日更新を目指します。
わたしの中では練習でも、みなさんには読み物としてきちんと楽しんでいただけるように。その工夫も忘れずに。
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