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エゴサしてみたら、なつかしくなった
学生時代、好きな人の名前で検索したりしませんでした?
わたしは大学生のとき、自分がされたらめっちゃ嫌なくせに、よくやっていました。笑
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「自分がされたら嫌」で印象に残っているのは、高校時代にちょこっとラジオ出演したときの写真が、インターネットの大海原に流れていたこと。時々、「見たよ」って不意打ちで言われることがあり、なかなかドキッとしました。
今はもう、おばちゃんに片足を突っ込んでいますから「何を大袈裟な」「そんなん大したことないわ」って思えるのですが。それに、わざわざ調べようとしてくれるなんて、ありがたいハナシです。
でも、当時はその写真一枚で自分の恋が終わってしまうかもしれない恐怖に怯えていました。我ながら、世界が狭い。でも、切実でしたね〜。
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なぜそんなに怯えていたんだろう?と考えてみると、やっぱり、自分の容姿へのコンプレックスがあります。
わたしは生まれつきの癖っ毛。おまけに、はげしい人見知りなので、美容院に行って知らない人に切ってもらうことができませんでした。小6くらいまでは母親に切ってもらっていました!
母親の趣味でショートカットなる → 「髪切って好きじゃなくなった」と言われる
ということがあったり、くせ毛を上手く扱えなかったので
天パじゃなかったらかわいいのに
と言われてしまったり。が〜〜〜〜ん。
いや〜、今でも結構グサグサきますわ!!!!
大人になってからは、むしろショートカットやくせ毛が良いじゃんと言ってくれるやさしい人もいるとわかって、ずいぶん救われましたけれど。子どもの時の体験が強烈すぎて、なかなかすぐに自分の容姿をOKとは思えていません。
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というわけで、エゴサーチなんて怖くてずっとできなかったですが、最近、仕事で出会う人に「見ましたよ〜!」と言われることが増えてきたので、ディフェンスをとるためにも、思い切って検索してみました。
そしたら、本当に自分に関係があるものは、ほんの数件のみ。少しだけほっとしました!
それよりも、懐かしいものを発見しました!!卒業論文の題目リストです。
卒論もまた、容姿と同じくらい苦い思い出の一つでしたが、あれ、そうでもないかもな?それなりに、いい問いだったのかも?と認識を改めつつあるのが、ここ数年のこと。
それは、当時考えていたことと、現在の仕事とに、一貫するものを感じるからです。
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現代人には、「生きている」実感や手ごたえを得る機会が、足りなすぎるのでは?という問いから、松井みどりさん(美術評論家)の提唱するマイクロポップ・アートというものを扱った論文でした。
「マイクロポップ」とは、歴史が相対化され、様々な価値のよりどころである精神的言説が権威を失っていく時代に、自らの経験のなかで拾い上げた知識の断片を組み合わせながら、新たな美意識や行動の規範をつくりだしていく「小さな前衛」的姿勢です。
この姿勢は、人や情報や物がかつてないスピードと規模で世界中を動き、遠くの出来事が自分の生活のベーシックなところまで揺るがしかねないグローバル時代にあって、それぞれの人が常に流動する状況に反応しながら自分自身の判断の基盤を作り、「生きている」という手ごたえを感じるために「小さなサバイバル」を試みているとも言えるでしょう。
アートの、こういう未来予知的なところが好きだわ〜。(しみじみ)
ついでに、同級生の題目もいろいろ眺めてみたのですが、なんとまぁ、みんな面白い問いを立てていることか!うれしくなりました。
しかも、当時完全にノーマークだったのですが、ドイツのシュタイナー学校出身の友人が、オイリュトミーをテーマに書いているのを発見しました。うわ〜〜〜、おもしろそう!!今すぐ読みたいし、会いたいし、また語り合いたいです。
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そういえば、今年の初夢は、髪型にまつわるものでしたね。
髪型=思考。霊感。インスピレーション。直観。
ド直球で髪型コンプレックスを扱うなんて、なかなか、水星逆行期間らしい「思い出し」や「振り返り」ができたのでは?
黒歴史だと思い込んでいることも、よ〜く向き合ってみれば、いいことがあります。闇が宝になるまで、じっと向き合ってみるのもわるくない。
わたしの場合、過去の自分のその都度の丁寧さに助けられています。どう転ぶかわからないので、これからもせっせと書き続けようと思います。
サポートしていただけたら、毛糸を買って何か編みます☆彡