見出し画像

たたかえ! 小さな怪獣 1話

あらすじ

小さな怪獣ともいわれる3歳男児。言うことなんか聞きやしない。それでも世界一かわいくて愛おしい。シングルファーザーとして、溺愛する息子との格闘と苦難の悩ましくもかけがえのない日々。

だが幸せな日常は、突如出現した本物の怪物たちによって一変する。 目の前に現れた謎の女は言った。「選ばれた3歳児たちにしか戦うことはできません。戦うのです」と。

なんと、我が子が選ばれたのだ。もちろん断った。息子がそんなことに巻き込まれるくらいなら、世界が滅びたっていい。

だが息子はやりたがる。「これかっこいいー!」命がかかっているんだぞ!
戦わせたくない。一緒に逃げ続ける父にできることは――。

滅私。力強くもどこか自己憐憫を感じる単語を思い浮かべる。フォントなら楷書体。サイズは最低128pt。滅私。アルゼンチンのスーパースターでも、鬼を滅ぼす刀に刻まれた文字でもない。目の前にいる小さな怪獣に対し、心を鎮め自分を律し鼓舞するために思い浮かべるようになった単語。慎重に滅私でいく。

「もう~パパがうごかすからぁ! いかないっ!」
はぁ!? 何が!? 何の機嫌を損ねた!?

手をジタバタさせると、絵に描いたようなへの字口で力強く大の字で床に伸びている。ちっこくて丸っこいけど完成されたフォーム。窓から差し込む朝の光でほっぺの産毛が輝いて見え、苛立たしくもかわいらしい。

じっと目を合わせず強張りを維持している様子に、長期戦への突入を覚悟する。これは本気のやつだ。いつだって彼は本気でしか無いだろうけど。あぁ、もう少し、本当にあとちょっとだった……。

朝の微睡みから時間通りに優しく機嫌よく起こし、君のご要望どおり耳を切ったパンにジャムを多めに塗ったいつものジャムパンを用意したら、テレビの画面でYou Tubeを見せる。ジャムを口の周りにべったりと付けながら頬張り、多少説教めいた幼児向け動画を夢中で見ているうちに着替えと虫よけブレスレットを用意する。タスク進捗は75%。あとはお口を拭いて園服に着替えさせれば玄関へうながして外の蟻に目を向ける前に自転車に乗せる。それだけだったのに……。

気がはやってしまった。無事送り届け家に戻ったら片付けと掃除をこなす。そのタスクがよぎり目の前に散らばっていたウルトラマンのソフビをひとつ、思わずたったひとつ片付けてしまった。彼はそのままそこに積み重なっていて欲しかったのだ。いや知らんし。既に100体を超すソフビがそこら中に我が物顔で転がっているよ。1体片付けたから何だっていうんだい。いや、分かってる、彼には彼の超然とした世界があって、そこには今この瞬間の調和があるのだ。

明らかな失態。いつものルーチンに集中しなければならなかった。欲をかいたともいえる。その瞬間、俺は滅私の気持ちを忘れ今日中にこなさなければならないタスクに気が移っていた。

親族にもらったカタログギフトで選んだそこそこの壁掛け時計が示す時刻は8時26分。40分までに登園しなければ園の門が閉められてしまう。先日も園から、くれぐれも時間までに登園してください、と何度目かの慇懃無礼なご注意メールが届いたばかり。

何食わぬ顔でそっとソフビを戻し、

「ごめんよ〜戻したよ。ティガのうえにトリガーね、こう、ほら。かっこいい組み合わせ〜」

「しらないっ!」

「いや、行こ、門が閉まるよ……」

「……パパがわるいの!」

「悪かった、ごめん」

「もういかないっ!」

ドスッ。ソファのクッションを力いっぱい叩きつける可愛い音。かわいい。プンプンしてるそのお顔もかわいい。かわいいよ、でも今は父としての役目を果たさなければ。

こうなったら冷却期間を置くしかない。いつもなら数分間。無理強いしたらすべてが終わる。話しかけたり触ったりもしない。そっとクールダウンさせ、心が落ち着いた主観を見計らって楽しいことに目を向けさせて誘導する。

じりじりとした時間が流れる。焦るな。焦ったらすべてが水泡に帰す。彼の小さな怒りがさらに燃えあがり手がつかなくなって園に間に合わなくなる。淀んだ時間は数分でも身体にこたえる。何とか視線さえも我慢してそろそろだろうとチラッと見ると、表情とポーズが軟化してきていた。今だ。

「あのさ、門が」

「あ、そうだぁ! これぬりえする」

メンタルを回復させた息子がそばにあったクレヨンを手に持っていた。そっちか! さっき先にクレヨンの方を片付けるんだった。そもそも昨日の夜の段階でいったん片付けておけば、いや、それはもういい。何とかこの窮地を脱しなければ。考えろ。

「あ、いいね! それさ、まず先生に見せてみない?」

「……みせる!」

勝った。これで行ける。

「ようし行こうねえ。もう行こう。門閉まるからね。楽しい幼稚園」

着替えさせカバンを持って足取り軽く階段を降りる。虫よけブレスレットも抜かり無く装着させた。玄関を出れば外の光が眩しい。家から出られた、園に向かえる。一日が無事始まる。その一日が、人生で2番目に重大な日になるなんて。

自転車に彼を乗せ走り出す。たぶん、人生でいちばん好きな時間を問われたら、今10くらい挙げる息子との時間の中でも上位に入ってくる。流れる景色の中で空気を感じて、ダンゴムシや蟻やジャンプしたくなる段差にも邪魔されることなくただお話できる空間が醸成される。

「今日は何するかな? 水遊びする? 英語もあるかな?」

「なんかねー、ゆいせんせーがねー、きのうね、アイドルうたったらしってるっていってたよ、でもねー、まさくんがいっつもおおきいこえだしておこるから、ゆいせんせーもうるせーっていって」

「うるせーって言ったの?」

「うん、うるせーっていってねせんせーもおこってた」

「そうちゃんは?」

「そうたくんはねー、みてた」

「見てたのか」

「でもねー、そうだ、けんたろうせんせーがねー」

ずっとこの時間が続いて欲しい。大人になんてならなくてもいい。このままこの空気感を真空パックにして、いくつもいくつもいくつもストックして、何かあったらすぐに開封したい。そうすればきっとどんなことも乗り越えていける。あとはそう、ここ1ヶ月くらいで急激にお兄ちゃんめいてきているから、その変化も覚えていたい。月齢ごとにいつでも保存して簡単に会えるシステムがあったら全財産を投入したい。2歳の2ヶ月の君と3歳8ヶ月の君を並べて見ていたい。1年でこんなふうに大きくなってお喋りも進化したね、って並べて比較したら始めてわかることを全部記録しておきたい。

でももちろん、この先どんなふうに想像出来な成長が待っているのか、それを考えるのだって楽しい。3歳の可能性は文字通り無限大で、今から何にだってなれる。サッカー選手として海外に飛び出るかもしれないし、インターネットで何かを成し遂げるかもしれない。2学期が始まれば課外授業も始まって、サッカーはもちろん、書道もいいし、武道も心を強くしてくれるかも知れない、歌も踊りも大好きだからダンスもやらせたい。そして可能性の芽があれば伸ばしてあげて、サポートを惜しまずにいたい。海外にだって着いていく。小学校に入っていろんなことが分かってくれば、ふたりで日本一周なんかもいいかもしれない。漢字や算数も教えてあげてまだまだパパはすごいって思わせたい。ゲームはするだろうけどほどほどに、たまにはわざと分からないように負けてあげたい。躾なんて言葉の意味はわからないけど、とにかく大きい声を出してしまったりイライラを出さないようにする。中学生になったら思春期がくる。思春期って何を考えるんだろう。自分のときは父親はもういなかったし、自分が何を考えていたかなんて忘れてしまった。きっと何も考えてなかったんだろうけど、何かを感じてはいたと思う。父親とまだ話したり遊んだりしてくれるだろうか。いや、ただ邪魔せずに、必要なときに寄り添える父でいよう。高校生になる頃には、良くないことも一緒にしてみたい。例えばギャンブルで有り金全部スッてしまって笑っていたい。そして、良いことと悪いことを教えたい。自分の中にそんな立派な分別がついているか甚だ疑問ではあるけれど、そんなに大したことはなかった人生の中で感じたことを偽り無く伝えたい。もちろん、車輪の再発明に自分で立ち会うことは大事だろうけど、ショートカットできる部分があっていいし、ベースとして持っておくだけで世界の見方が変わる言葉だってあるはず。失敗と後悔を伝えることもできるだろうか。Don't waste your youth. 歳を取ったら身にしみて感じるその意味を体現して分かってもらうことはできるだろうか。知ってる、簡単にはいきっこなくて一個も叶わないかもしれない、まだ見ぬ苦難がいくつも理不尽に降りかかるかもしれない、残酷な世界が壁になって立ちはだかるかもしれない。どこまで助けられるかわからない。せめて邪魔にはならないよう自分を保っていなければいけない。そして父と君の世界から、君だけの世界へ。今はまだ真新しい家は、狭くて古い実家になっていく。どうか光に包まれ、広い世界を探求して、人に出会って、自分の人生を生きて欲しい。願わくば、君がどんな大人になるのかどこまでも見届けていたい。

そんなことを考えているとあっという間に園に着いてしまう。君は幼稚園児に戻って、まだ重いカバンを引きずりながら振り返りもせず教室へと進んでいく。たった3ヶ月前は泣きじゃくって脚にしがみついていたし、ゴールデンウィーク開けにも顔をくしゃくしゃにして大粒の涙をポロポロとこぼしていたのに。

見えなくなるまで見送ると、新しく一日が始まる。仕事をこなせばあっという間にお迎えの時間。迎えに行くと毎日ダッシュで胸に飛び込んできてくれる。帰り道では今日一日何があったか聞いて、寄り道して今日はチョコエッグかラムネかグミか、2個までの約束でお菓子を買って、家に帰って先にご飯を作って食べさせる。一緒にお風呂に入ったら遊んで、歯磨きしたら寝室のベッドの上でも飛び跳ねて、夜のYou Tubeはちょっとだけの約束で、やがてスイッチが切れたように突然寝る。

ひと息つけば、今日の仕事まで多少のブレイクタイム。SNSを見ていると、目を疑う呟きが飛び込んできた。

「等身大の小さな怪獣が街で暴れている」「人が襲われ重症者数名、都心部から徐々に北上している様子」

何やら二足歩行に見える動物?のような写真や動画が添付されているが、素早い動きにまだ実像をくっきりと捉えていない。

大丈夫、だよな?
やがて警察が、もし本当に怪獣だというなら自衛隊が出動しどうにかしてくれるはず。息子をすぐにでも迎えに行った方がいいだろうか。

窓の外には平穏な住宅街。いつもの景色が広がっている。


#創作大賞2023 #お仕事小説部門  #怪獣 #世界の終わり #息子 #3歳


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?