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”抑止力”しかないのか?


昨今、
「核の抑止力」とかいう言葉を耳にする。


まず、抑止力とは、

抑止する力であり、つまり相手に有害な行動を思いとどまらせる力

Wikipediaより

である。


ざっくりとした解釈だが、

・十分な戦力を、戦争の抑止力として保有する
・核兵器を、戦争の抑止力として保有する。

といったようなニュアンスで使われがちな言葉だと思う。



その度に思うこと。



「抑止力しかないのかな?」
ということ。



・対話する
・交渉する
・良好な関係を築く
・戦争が何も生まないことを説く

などは、解決策にないのかな?


と、思ったりする。



確かに、
・平和ボケ的な考え方
・そんなに甘い世界ではない
・話が通じる相手ではない

ということは、理解していたりする。



それでも、
「抑止力」という選択肢は、あまり好ましいとは思えない。



ちょっと想像を膨らましてみる。



国と国とが抑止し合って武装が膨らんでいく世界。


常にピリついた空気が流れている世界。


どの国も核を保有して、脅し合っている世界。



抑止力を高めた先にある世界は、こんな世界ではないかと思う。



個人的には、「抑止力」の先にあるのは、「戦争」としか考えられない。



根拠とかは全くない。

なんとなく、そう思うだけだ。



ただ、純粋に、抑止し合っていつ戦争が引き起こるか分からない世界で暮らしたくはない。

今は良くても、この先もそんな世界にはなってほしくない。



「抑止力」というのは、安直で考えることを放棄したような手立てのように思う。


専門用語を借りると、”ネガティブ・ケイパビリティ”が足りていない解答だ。


理想的すぎる考えかもしれないが、そこは知恵を絞って、武力に対する理想解を追い求めていきたい。


ということで、
「抑止力しかないのか?」という話。



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