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【ショートショート】9月、海の夢を見る

 大切な詩集に無邪気に笑っている君の写真を挟んだ。なんとなくそれだけで、君との思い出を供養できる気がしたのだ。僕はその詩集を枕元に置いて灯りを消した。

 波の音が聞こえた。人通りの少ない道で、僕は街路樹と並んで、黙って立っていた。
「何をぼーっとしているんですか?」
と君は言った。あぁ、と僕は思った。君がいるってことはこの世界は夢なんだな。
「この道を行けば、もう海ですよ。早く行きましょう」
と言って彼女は僕の手を握り、前を歩いた。僕は引っ張られるままに歩いていく。

 海に着くと、彼女は波打ち際へ素足を浸した。冷たい、と言って笑う。僕も彼女の真似をして波打ち際へ素足を浸す。それを見て彼女がまた笑う。
「今日も私の真似ばっかりですね」
それを聞いて僕は言った。
「うん、そうだね。僕は君の真似をするのが好きだった」
ぽろぽろと涙が落ちてくる。
「それぐらい君が大好きだったんだ」
彼女は僕を見て困惑しているようだった。
「どうして泣いているんですか?」
「ずっとこのままでいたかった。これが夢でも、覚めないでほしい。君がいない現実なんてやっていけないよ」
彼女は泣いている僕を真剣な眼差しでじっと見つめていた。そして、
「そうですか。そんなに私が好きですか」
と言った。
「そんなに好きなら、私の言うことを一つ聞いてください」
そう言って彼女は僕に抱きついた。
「私のことはもう忘れてください。もう十分私は幸せでした」
嫌だ、行かないでよ、と泣きじゃくりながら彼女を抱きしめかえした。
彼女は目をつぶって僕に身をゆだねていた。耳元より近い、胸の内側からありがとう、という言葉が、何度も何度も響いていた。

 僕は目覚まし時計で目を覚ました。外はもう朝だった。数秒間、ぼんやりとしてからため息をつく。

 そして、すべてを振り切るように思い切りベットから立ち上がった。

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