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ドライブで死にかけの時に思わぬ愛の芽生えを感じた話

 ドライブは、ものすごい怖い。

 これは、当然のように車を運転できる人々に囲まれていたり、運転中に不思議な体験に巻き込まれたことがない、恵まれた人間たちには、おそらくぜんぜん理解できないであろう感覚である。

失禁との戦い

 例えば大学時代の同級生の山口くんは、高速で永久にサービスエリアに入ることができない人間であった。たまにレンタカーでドライブに繰り出す仲であったが、その度に困る羽目になる。

 スピードを出して高速を走っているうちに、いつハンドルをきればいいのかわからなくなるのである。結果、最左車線で一生左にウインカーを出しながら直進し続ける奇妙奇天烈ワナンバー車の凱旋である。
 おかげで、同乗していた同級生の田山くんは、車中で失禁しかけた。

 ちなみにこの田山くんは、湘南までドライブしておきながら、しらす丼を断固拒否し、ファミレスのココスのハンバーグ以外食べないと宣言するおかしな人間である。
 熱海まで行ってマックのハンバーガーだけ食べて帰ってきたうちの従姉妹も大概であるが、あの時のしらす丼への喪失感と言ったらない。


青森でのどこかに連れて行かれそうになった話(霊的)

 ところは変わって青森県。

 青森市内でねぶた祭りを鑑賞した翌日、恐山を観光予定だった当時大学生の男三人組(私含む)は、ちょうどその中間地点に宿をとっていた。 

このねぶたの脇っちょで売っていた鈴を今でも玄関のドアにつけている

 中間地点といっても、恐山はほとんど青森極北の地。青森市からだいぶ北上する必要がある。

 1時間弱、運転してそろそろ疲れた様子だった友人をみて、私が代わってハンドルを握ることにした。

 運転を始めてしばらくすると、少し険しい山道に差し掛かってくる。助手席と後部座席の友人は、気がつけばうとうとしており、ほとんど眠っているような状況。
 ちなみに後部座席の陰田くんは免許すら持っていない。

 普通、こういう時って、寝ないで何か話しかけてくれるものなんじゃないの? となんとなく内心思いながらも、くねくねと続く山道を走行していると、不意にハイビームが効かなくなった。

 一度エンジンを落とそうにも、青森県内はねぶた祭りの期間中である。いつもより走行車も多いから、突然停車すると後続車に追突されるかもしれない。

 適当なスペースを見つけようと、車の足元だけを照らしながら、そのまま5分ほど走行していると、車のナビが壊れていることに気がついた。
 先ほどまで普通に道路上を走行していたはずが、もはやナビ上では山上、道なき道を猛スピードで進行していることになっている。

 向かっている先が恐山であることもあり内心ビビりまくっていたが、友人は異変にも気づかずもはや一向に起きる気配がない。
 大声を出して起こしてやろうかと思った矢先、車の目の前に急に鉄柵が現れた。

 行き止まり、この先立ち入り禁止

 白い看板にシンプルな黒字、その先に何があるのかは全くわからない。

 さすがに怖すぎて大声を出してエンジンをとめ、再度エンジンを付け直すと、もうハイビームはすっかり直っており、ナビも確かに行き止まりの山道をさしていた。

 友人二人が起きたのは、この5分後くらいである。


金沢でのトンネル大パニック夫婦旅行

 
 だが青森の何やら霊的な体験よりもさらに怖かったのが、金沢での妻とのドライブだ。

 まだ結婚する前、二人で初めて長めの旅行をした、金沢でのドライブである。
 天気は快晴、千里浜なぎさドライブウェイに立ち寄りながら海沿いを駆け抜けていく、絶好の・最高のシチュエーションである。

 最初は私が運転していたが、窓を開けて風を感じながら運転しているのがあまりにも気持ちが良く、助手席にばかり座ってもらっているのは気の毒に思ったので、運転を代わるかと妻に提案した。

 今となってはこれが完全に間違いであった。

二つ返事で意気揚々とハンドルを握る妻

 路肩に停車して運転を代わり、ラジオをかけながらノリノリで、走ること15分。

 あたし、これ免許取ってから外で運転するの初めてやねん

妻の奇行語録 第1章「なんでちょっとドヤ顔なんだよ」より引用

 時が止まるとはこのことかと思った。

 一応明らかにしておきたいのだが、妻は決して二十歳前後の大学生ではない。

 バリバリにキャリアを積んで、仕事をこなしながら家事をこなしながら育児もこなす、大阪南部出身の、喋りだけ聞いているとヤンキーと全然区別がつかない、ウルトラスーパーお祭りマンボ人間である。
 まさか免許取得後2度目の運転とは夢にも思わなかったのだ。

 あたりまえのように大学1年生で免許をとって定期的に運転し続けている私には到底受け入れ難い寝耳に水な案件。というか、それ早く言ってよ。松重豊も全力で突っ込むレベルである。

 衝撃の展開に心臓の鼓動が早まる私をよそに軽快に運転する妻だったが、トンネルに入った途端にパニックになり出した。
 下記、当時の妻の記録そのままである。

 あかん、やばいやばいやばい、え、中央の線がわからんくなってしもた、どうしよこれ、え、まじであかんかもやばいやばいやばい怖い怖い怖いえ、今これ運転代わってくれへんまじで無理本当に、あたし教習所でトンネル運転なんて習ってへんもんこれ死ぬやばいやばいほんまに怖い

妻の奇行語録 第2章「完全にあなたの方が怖いです」より引用

 人という生き物は、そういうふうにできているのだろうか。ここまでパニックになっている運転手に身を任せていると、頭の中が極限まで冴え渡る。

 走馬灯がちらつく脳内を自力で1回リセットした後、「何が怖いのか」という問いと「トンネルで一時停止すると追突されるからこのままトンネルを抜けるまで頑張れ」という妻への声掛けを交互に繰り返し・・・

 ほとんど救命活動のようにしてトンネルをなんとか通り抜けた。


恐怖体験を抜けた後のトンネルは一段と美しい

 写真を撮るとなぜか上記のように綺麗に映えているトンネルに若干腹が立ちながらも、ほのかに潮風で愛を感じる。

 こんな臨死体験の中で妻に声をかけ続けたり、そして運転を代わった後も優しく慰めることができたのも、これってひょっとして愛なのでは?とか。

 もとより、無理くり愛でまとめるしかないような話である。 でもぜんぜんイライラせず笑って過ごせるというのは、そういうことな気もする。

 ドライブで死にかけても愛は芽生える。多少乱暴なまとめ方なのも愛。


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