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原因は自分にある。の『因果律の逆転』を見て、アイドル像とオタク観について再考する。

11月5日、原因は自分にある。の初の単独アリーナライブ『因果律の逆転』に行ってきました。エビライで初めてげんじぶを見てから曲を聴き始めてこれを生で聴きたい!と思って、ずっと楽しみにしていたライブ。11月か、遠いなあなんて思っていたけど、夏が過ぎるのなんてあっという間だった。

単純にメンバーや曲、演出についての感想もあるし、このライブを見て自分の中でアイドルという存在について、そしてこんなオタクでありたい、という考えが改めて見直されたので、それをまた長ったらしく書きたいと思う。色々考えたくなるくらい、刺激的で華麗な刹那だった。




感想の羅列

歌詞の重みが痛いほどに伝わる序盤

序盤はやっぱり「柘榴」を聴けたのが嬉しかった!〈幸福を願うあなたに脅迫が理解るか?〉とかいう凄まじい歌詞。私はその頃を知らないから何か語る資格はどこにも無いんだけど、デビューからすぐに苦しいコロナ禍に入って、それでもひたむきに堅実に前を見続けてきた彼らがアリーナの大きなステージでこの歌詞を歌っているのを見て、3曲目にして既に胸が張り裂けそうになった。ライブの序盤で〈今 一度 お見せします〉って歌うのもいいよね。どんなものを見せてくれるんだろうって、すっごくわくわくした。


やっぱり、アイドルの口から実際に言葉が発されているのを見ると言葉の届き方が違うなと改めて感じる。きっとげんじぶの曲を久下真音(を私は見た事が無いけれど)が歌っていても私は惹かれないだろうし。夢みたいに綺麗な男の子たちが特別な衣装を着て透けるような光に照らされて歌うからこそ届くんだと思ったし、私はそれを受け取りたいと思えるんだって実感した。

げんじぶが好きな時点でそりゃそうではあるんだけど、結局顔だなーって考えてしまったりもした。本当に綺麗だった。よく知らんけど、スタダ顔万歳って思った。音楽って様々な娯楽の中でもかなり手に取りやすいものだし人々をいとも簡単に救ったり元気づけたりするのに、その受け取りやすさとは裏腹に与える側になると極端に人を選ぶのが冷たいよなって思う。

げんじぶの良さのひとつとして、あんなにも綺麗な男の子たちが負の感情を歌ってくれるところが私は大好きで、そこのギャップが無きゃ聴いてないはず。音楽って誰がどんな声で歌うかで伝わり方が変わるし、音楽やれる人、ずるいよなー。私も音楽やれる側の人間になってみたかった。でもこうやって見上げる楽しさもこっちにしか無いものだから難しい。結局ないものねだりかな。


次の「灼けゆく青」はセリフのパートの緊張感が物凄くて、見ているだけのこっちまで息が止まるようだった。その後の「無限シニシズム」!!!顔を半分隠して憑依的に笑う彼らをエビライで見て衝撃を受けてからこの曲が本当に大好きで、見られたら嬉しいな~と思っていたからいきなりそのパートで始まったのがまた良くて…!その笑った後に、憑依が解けてハッとしたように首を振って真顔に戻るのも、悪寒と言っても過言ではないくらいゾクゾクした。

あと〈ひとりぼっちだね〉をセンターで歌った後に落ちるように下手側にズレていく凌大くんが信じられないくらい綺麗だった。目を疑った。忘れられない。どこを切り取っても宗教画の天使みたいなひとだった。




アイドルってやっぱり良いな~のゾーン

それからMCを挟んでトロッコ曲。潤くんがトロッコに乗った瞬間ニッコニコで4階を見上げてたのが良すぎて暫く彼のことを見てたら、指差したりグッドポーズしたりずっとあの眩しすぎる笑顔でファンサしてて凄かった。潤くんに限らないけど、皆ちゃんと歌いながら観測者ひとりひとりと丁寧に目を合わせてたのがすごく良かった~、、、

グループにもよるのかもしれないけどエビダンの現場ってボードも団扇も禁止でファンサ乞食は結構白い目で見られる感じあるじゃないですか、無いかな、知らんけど(←魔法の言葉)。だからペンラだけでも自分の色を探し出してこれだけレスくれるんだ…って思って感動した。

単純にアイドルがきらきらを振り撒いてるのを見るのが好きなのと、トロッコに乗ってる時ってバックスクリーンがあるステージ上と違って背景がペンライトの光の粒になって綺麗だからモニター見てても楽しかったな。序盤のカッコいい曲メドレー(?)からの振り幅もすごい。素敵素敵。


で、トロッコからセンステに舞い降りて「Joy to the world」。この曲がこんなにバキバキのダンス曲だと知らなかったからめちゃくちゃカッコよかった!正直げんじぶに”ダンスがすごい”ってイメージがあまり無かったからやっぱり単独行ってよかった。センステってどうしてもアリーナ前方は置いてけぼりになりがちだと思ってたけど、正面をコロコロ変えてどこから見ても楽しい構成になってたのが本当に良かった~~~。

次の「GOD釈迦にHip-Hop」もそうだったんだけど、メンバー同士で目を合わせるのは勿論、周りの観測者ともアイコンタクトを取ってたのが超良かった。さっきから良かったしか書いてないな。私はセンステのちょうど真横のスタンドにいたんだけど、後方を正面にした時に空人くんが振り付けの合間に上手側にいる観測者と目を合わせて「ね、楽しいよね!」みたいに笑ってから颯爽と移動していったのが見えて、大倉空人というアイドル、、、、と圧倒された。


その後の「ジュトゥブ」!!!!!!なんかもう本当に感動。可愛すぎて感動感動。全員で順番に愛嬌してから改めて曲が始まったのが天才すぎてずっと鳥肌が立ってた。可愛いが得意なアイドルはこの世にごまんといるけど、全員が可愛いに振り切れるグループって少ないんじゃないかと思ってる。今まで曲だけ聴いててパフォーマンスは初めて見たんだけど、振り付けも可愛くて、そのおかげで可愛い歌詞も引き立って、本当に良い曲だなあ、アイドルってやっぱり良いなあと思いながら見ていた。可愛いしか言えないので終わり。




美術館のコンセプトにふさわしい、”魅せられる”時間

VCRを挟んで「蝋燭」。ぴあアリーナにいた12000人全員が最後の晩餐みたいだなって考えてたと思うんだけど(主語デカ)、後から今回のライブのタイトル曲に〈終局の晩餐会〉って歌詞があると気づいた時、「「「えっ」」」って声出た。関係あるかは分からないけどね。

そこからユニットの「スノウダンス」「J*O*K*E*R」と「犬と猫とミルクにシュガー」。そこまでの流れとはガラッと雰囲気を変えて、”魅せる”に振り切っていたのがまた良かった。


ダンストラックと「Mr.Android」を経てのVCRでは今回のツアータイトル”因果律の逆転”の意味について説明していて、つまり原因はウチらにもあるってことね!と受け取った(急に雑)。ここは内容の解釈云々より、排他的と言っては過言かもしれないけどここまで小難しくて固いコンセプトを貫き続けて難しい言葉のまま話してくれるのが嬉しくて、空人くんと杢代くんが理念とかXYとか言い始めた時ひとりで静かに大喜びしていた。わざと簡単に説明されるよりよっぽど彼らのことを知りたくなる。

歌詞も含めてなんだけど、げんじぶってげんじぶじゃなかったらこんなの使ってないだろうなって言葉を彼らの口から聞けるのが最高に【アイドル】って感じで本当に良い。流石に全員がこの哲学的で難解なコンセプトを地でやってるわけではないだろうし、良い意味でのやらされてる感、というか…悪くしか聞こえないな、難しい。だって〈無関心な感性に誰何〉とか〈命題対価に価値がない〉とかナチュラルに出てくる言葉じゃないじゃん。

どう考えても本心では無いけど用意されたものを落とし込んで自分のものにして、完璧に演じ切ってるのが極上アイドルだなって思う。私はげんじぶをある意味王道アイドルだと思っている。




緩急に圧倒されたラストスパート

いよいよ終盤、ライブのタイトル曲の「Museum:0」。ドデカムビステに乗っていた時点でめちゃくちゃテンション上がったけど、火花が出てきたところで手叩いて大喜びしちゃった。タイトル曲の演出なんて派手であればあるほど好き。げんじぶの曲ってピアノサウンドの印象が強かったけど、これとか「放課後ギュッと」(このライブではやっていない)とか、バンドサウンドもめちゃくちゃ似合うし聴き応えがあって大好き。

7人が静けさの帯びた魂と燃え滾る熱の共存するような目をしていて、違うライブに来たみたいだった。会えなかったり、会えても言葉を交わせなかったりする日々を乗り越えて、目を合わせて歌ったり踊ったりしたライブのタイトル曲に〈眺め続けるのは退屈だったろう〉って歌詞があるのヤバすぎる。彼ら自身が芸術的な程に美しいから正直眺めるだけでも全く”退屈”では無いんだけど、ああやってステージと客席でコミュニケーションが取れて相手の表情や声色が直接伝わって、一緒に特別な時間を作り上げる幸せは何物にも代え難いし忘れたくないよね。

凌大くんの〈大逆転といこうか〉からラスサビは、登場のあの眼光が嘘のように皆が晴れやかな笑顔で踊っていたのも浮世離れした浮遊感があって美しかった。〈大成功 大後悔 どっちだって愛し合おう〉。こんな愛があるか…


そして「余白のための瘡蓋狂想曲」!!!!!もうこれはタイトルからして私が絶対好きなやつ。れるりりの曲(私は脳漿炸裂ガールと一触即発☆禅ガールが大好きだった)みたいな、意味がありそうで無さそうでやっぱりありそうな、歌詞の読み甲斐があるげんじぶ楽曲が心の底から大好きなので聴けて嬉しかった曲のひとつ。

雅哉くんが〈笑わないで印象派〉のところで「ハハハ…!」って憑依的に笑うアレンジを入れてたのがカッコよすぎて忘れられない。冒頭にも書いたようにげんじぶって綺麗な曲も勿論多いけど嫉妬や皮肉や諦念を歌ってくれるところが大好きで、〈笑わないで〉って歌詞で笑った雅哉くんのその息一つに大好きなげんじぶの皮肉がグッと詰まっているように聴こえてもうたまらなくなった。


その次は、炎が出て全体的に赤っぽい演出の「Lion」から「0to1の幻想」で一気に会場が青い光に包まれたのが突飛で好きだった。「Lion」の〈伸るか反るかで迷ったりしないで 答えは一つ No look No look No look No look No look back !〉ってところ好きすぎる。言語を跨いで言葉遊びができるって本当にカッコいい。

そして「藍色閃光」なんだけど、この曲を実際に目の当たりにした感想とそこから広がった自分の考えが長くなりそうなので後で別個でチャプターを設けます。


本編最後の「原因は君にもある。」。ステージが真っ白な照明でパーッと明るくなって、ライブの終わりです!!!って感じだった。ライブの一番最後の、ステージと客席が同じ色と同じ強さで照らされる時間がすごく好きだしすごく切ない気持ちになる。

私はこの曲の〈そんな言葉じゃリアルじゃない〉という歌詞が心の底から大好きで、これを聴く度に気が引き締まるというか胸が締め付けられるというか。私は私の言葉にこれを思ってるし、それでも言葉にすることを諦めたくないなって思える歌詞なんですよね。だからここで一回泣いた。

そして、〈ららら・・・〉を観測者が歌う時に凌大くんが「”皆さん”じゃなくて”貴方”ひとりひとりの番です」と言っていたのも刺さりに刺さった。前述したような、観測者と丁寧にコミュニケーションを取る姿勢とどこの席でも楽しませるようなパフォーマンス構成と相まって、本当にこの人達は観客をひとつの大衆では無くそれぞれの個人として捉えているんだ、ファンとしてこんなに嬉しいことがあるだろうかと、じんわり心が温まった。

そうやってファンを誰も置いて行かずに手を引っ張るような姿勢と〈結局君だ それが宝の在り処〉〈幸せは既にある 君は僕のVenus〉あたりの歌詞が募りに募って、最後の〈まだ、生きたい(シネナイ)〉が、”君がいる限り僕はステージに立ち続けるよ”みたいなメッセージに聴こえてまた泣きそうになった。

最後、ムビステに戻って手の届かない高い高いところから凌大くんが放った「バイバイじゃなくて、またね。」って言葉も鼓膜に張り付いている。彼は言葉に感情を乗せるのが本当に上手で、伝える姿勢が素敵なアイドルだった…。私は話すのが苦手だから書いてるみたいなところあるから、話すのも書くのも上手な人はシンプルに羨ましい。「原因は自分にある。」で始まって「原因は君にもある。」で終わるセトリで因果律を見事に逆転させているのも秀逸で壮大で感動した。


アンコール一曲目は「シェイクスピアに学ぶ恋愛定理」。たぶんリリース当時、げんじぶを知る前から何故かこの曲だけ好きでずっと聴いていたから生で見られて嬉しかった。アンコ衣装めちゃくちゃ可愛かったですね。ライブTじゃなくて別衣装なんだ!と思っていたら手の込んだアレンジのライブTだったのがすごかった。雅哉くんはビジュ―がピンクの、杢代くんは地が緑のベレー帽を被ってたのも本当に可愛かった。アイドル×ベレー帽なんてなんぼあってもええですからね。凌大くんは全オタクの夢みたいな細い銀縁のメガネをかけていて神様かと思ったし、お洒落アイテムとしてメガネをかけるのが私のひとつの夢になった。


「ギミギミラブ」はまたトロッコに乗っていたんだけど、とんでもない多幸感に包まれながら聴く〈Life is beautiful〉の歌詞は音源と伝わり方が違いすぎた。こんな時間が何度も訪れるのならたしかに人生は美しいと思えるかもしれない。


その後の挨拶では、杢代くんが「観測者が貴方で本当によかった」「本当に生きててよかった」と言っていてかなりくらった。また”皆”ではなく”私”へメッセージをくれて嬉しかったし、”生きててよかった”って、死にたいまでいかなくてもなんで生きてるんだろう何してるんだろうって考えたことのある人からしか出ない言葉だと思っているから、生きる場所も生き方も程遠いと思っていた彼が少し近く感じられて嬉しかった。でも頬を伝う涙すらきらきらと輝いていて、やっぱり夢みたいな人だと思った。


そして本当に最後の曲は「THE EMPATHY」。初めて音源を聴いた時からこれはライブ用に作られてるんだろうなと思っていたからやっぱり!と嬉しくなった。杢代くんがステージを降りながら背中越しにも手を振り続けていたのが映画のワンシーンみたいでよかったなあ。



「藍色閃光」から派生したオタク哲学

そして、一度飛ばした「藍色閃光」の感想と、この曲を聴いて広がった私のオタク哲学の話にお付き合いください。これはライブで聴いてこそ思い入れのできる曲なんだろうなあと思っていたから、終焉の挨拶みたいな位置でこの曲をやってくれて嬉しかったなあ。この曲の為だけに出てきたミラーボールと、網状になった床から真っ直ぐに伸びる光が幻想的で、触れられないシェルターみたいだった。歌い始めの〈君の命は君だけのもんだ〉で既に大泣き。好きなアイドルがこう歌ってくれるの、救済すぎる。


〈ただ一瞬のその光を燃やすために日々を使い尽くせ〉
私だってそんな風に生きてみたいけど、私はアイドルじゃないからそうはいかない。何かひとつの大きな目標に向かって生活の全てを賭けてるわけじゃない。月曜日には一週間分のパワーを五等分して取っておかなきゃいけないし、夜にどれだけやりたいことがあっても明日の自分の為にあまり夜更かしはできないし、衝動で環境を手放すこともできない。

それでもね、ライブの時間だけは全てを忘れられる。明日何時に起きなきゃな、何日までにこれを出さなきゃな、ああまたミスしちゃったな、なんてことはアイドルを目の前にしたら魔法みたいにどこかに吹っ飛んでいて、そんな幻想を作り出してくれるのがアイドルなのだと痛感した。


〈これからの未来を決めるのは神の仕業じゃない〉
これを、描いた未来を着実に実現してきたアイドルが歌うのって本当に意味がありすぎる。初めて音源を聴いた時から大好きな歌詞だったけど実際に空人くんの腹からこの言葉が出て、空人くんの感情を乗せて音楽に乗って届けられると胸に来るものがありすぎた。なんでもかんでも誰かのせいにしたくなる時もあるけど、立ち行かない生活や募るタスクは自分のせいだし、逆に上手くいったことや掴み取った幸せも自分のおかげだよね。


〈あいつらには見えない 物を2人で探しに行くんだ〉
ずっと綺麗な言葉が並んでいるのにここだけ急に”あいつら”って語気が強くなるのも大好き。どんな顔を思い浮かべながら歌ってるの?私は、私の好きな格好をしていたら鼻で笑ってきたあの人とか、アイドルのファンってだけで異常者みたいに扱ってくる画面の向こうのあの人達を浮かべながら聴いていたよ。


2番が終わってメンステに帰っていく時に一瞬だけ映った凌大くんの笑顔が脳裏にこびりついて離れない。メンステなんて越えてどこか私の知らないところまで飛んで行ってしまうんじゃないかと思った。ああ、終わってしまう、行かないで、とひたすらに祈っていた。

公演を通してメンバーの笑顔をたくさん見て、潤くんのメンカラが赤で凌大くんのメンカラが青なのはよくできたものだなと思った。潤くんの笑顔はひたすらに光を放っていて、彼の周りだけ少し温度が上がっているんじゃないかと思えるくらい熱があって眩しかった。ぴかぴかしていた。対して凌大くんの笑顔は表情が動いていてもずっと静止画を見ているような感覚があった。”冷たい”とはまた違って血の気や温度が”無い”感じに見えて不思議だった。


美しいものは、失われる瞬間に、とても強く輝く。だから「瑞々しさ」は、それが失われ始める瞬間に、もっとも瑞々しいのだ。

前に読んだ本(たぶん朝井リョウの「もういちど生まれる」だと思う、違ってたらすみません)の後書きにあったこの価値観が大好きで影響されていて、人は死ぬ間際に一番綺麗に微笑むのかもしれないなと考えているんだけど、凌大くんの笑顔は常にそんな感じがした。ずっと命の断面を見せられているような感覚だった。ひどく綺麗だったなあ。



〈ねぇ君と2人で全てを台無しにしてしまったって構いやしないよ〉〈僕の命ごと晒し合って 君の痛みごと愛し合って〉〈いつかは忘れてしまうから今だけは内緒の話をしようよ 2人で〉
一曲を通して僕と君1対1の未来を歌ってくれるから、安直にこれはげんじぶと観測者の曲なのだと思っていたんだけど、ライブが終わってから何回も再生していたらメンバー同士に向けて歌い合っているのかもしれないし自分自身に言い聞かせているのかもしれないなと思い始めた。解釈の余白が残されていて有り難い。まあ都合よくげんじぶと私の曲だと思っていたいけど。


私はたくさんのアイドルが好きで、もうこの子ひとりなんて絞ることはできないし、げんじぶの中でも”絶対にこの人!”という推しが定まっているわけでもない。それでも誰かひとりとこの曲が歌うような関係を築きたいと思う気持ちもまだある。でもそんなことはもう不可能だと言い切れるほどにアイドルという存在自体が好きだ。どうしたもんかな、と思った時にアニメ『少年ハリウッド』のこんなセリフを思い出した。

アイドルってね、永遠に完成しない物語のような気がしているんです。この世界に生まれて、次の世代にマイクという名のバトンを渡していく。アイドル達は誰も知らない正解に向かって命を繋ぎ続けているのかもしれません。命を燃やして、アイドルという終わりなき物語を紡いでね、彼らは自分達の夢を叶えているのではなくて、本当はアイドルという存在自体の夢を叶えさせられているのかもしれません。

『少年ハリウッド』12話より


この考え方を踏まえると、アイドルという大きな一つの存在と私の1対1だと捉えてもいいのかなと思い始めた。そんなことを考えているうちに私はアイドルと長期的な相互関係になりたいわけではないなということにも気づいた。私はアイドルじゃないから好きなアイドルと同じものを交換することはできないし、アイドルが提供してくれる時間に対価を払ってそれで終わりでいい。

そのひとつひとつが繰り返されるから普通の人間関係と同じように見えがちだけど、前に私がこうしたから、あるいはこれからもこうするからこれが欲しいみたいな、過去未来の事情が入り込む関係になりたいわけじゃないし情で何かをしてあげられる関係になりたいわけでもない。ずっと断片的でいい。とにかく一定の距離から近づきたくも離れたくもなくて、その時貰うものと渡すものの天秤が釣り合っていれば良いのだ。


アイドルが本当は天使じゃなくて人間なことくらい痛いほど分かっている。それでも手の届かない場所にいてほしい、そこで意味が分からないくらい輝いていてほしい、私はその光を見上げていたい、君に会えるのは日常じゃなくて特別でいい、特別がいい。原因は自分にある。の『因果律の逆転』は、そう思うくらい、残酷なくらいに綺麗だった。




まとめ

本当にずっと楽しみにしていたけどそれを上回るくらい楽しくて見応えがあって、まだまだ余韻に浸っているくらい素敵な時間だった。そして私の中でのアイドル像とオタク観を見つめ直せた貴重な機会だった。

好きだけど今回は聴けなかった曲もたくさんある。メンバー皆のことが好きだというのは勿論のこと、私は本当にげんじぶの曲が好きで生で聴くことに価値を見出しているので、春の全国ツアー『架空のアウトライン』にも行きたくてすぐさま観測所に入会。先日無事チケットが当たりました。これからもげんじぶの音楽とステージを心の底から楽しみにしています。


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