(雑記)しばし前、三鷹にて、お墓参り
朝晩はすっかり寒さを感じるようになりましたね。外出の際、タイミング如何によって、半袖と長袖、どちらを着るべきか迷ってしまいます。
僕が太宰治の墓を訪れたのは、猛暑もピークに達していた8月、お盆の一週間ほど前でした。どうして行こうと思ったのか経緯を簡単に述べると、当時は諸事情により、某田舎から立川に出て、3週間ほど滞在していました。各週の日曜日に暇があったので、東京を観光する機会もなかなか無い、折角だから中央総武線の駅に沿って名所を訪れてみようと思いつき、その目的地の一つとしてピックアップしたことが理由です。明確な動機も特にない、まったくの気まぐれで、改めて文章にまとめると太宰治に失礼な気もしてきます。
太宰治の墓は、JR三鷹駅の南口から向かって右、バスロータリーの端を通る道路から、三鷹通りに出て南に30分ほど歩いたところにある、禅林寺というお寺に建立されています。
少し話はそれるのですが、それまで僕は三鷹という場所へ足を向けたことがなく、前情報もせいぜい、ジブリ美術館、井の頭公園、治安が良い、くらいのものでした。実際に訪れてみると、通りから少し外れるだけで、静かな住宅街が立ち並び、穏やかな場所が多く、時間がゆっくりと流れるような錯覚を覚える、非常に良い場所でした。当時は暑さにやられていたので美化されている部分も多分にあるのかもしれませんが、ぜひまた訪れたい、時間をかけて見て回りたいと思えるような場所でした。
太宰治に戻ります。禅林寺というお寺はかなり多くの檀家さんを集めているようで、お墓を探すのに少し時間がかかりました。太宰の本姓である津島家の墓石や卒塔婆も併置されており、足を踏み入れるときには他所のお墓に侵入しているような居心地の悪さを覚えました。
お墓には僕の知らない言語で書かれた、恐らく太宰の作品であると思われる本がジップロックに入った状態で、墓石を壁に、立てかけるようにして供えられていました。装丁が豪華で古いものだったのですが、私の浅い知識ではそれ以上のことは分からず、ただ並々ならぬ思い入れのある方が置いたのだろうと思われます。
お墓の正面にはポケット瓶のブラックニッカが供えられていました。太宰治にお酒というのは、イメージとしては重なるものがあるのですが、少しだけ、ベタだなぁという印象も覚えました。御霊前にお酒を備えるのは自然だし、そもそもお供え物にベタも何もないのですが、物事を穿った目で見てしまうことが悪癖です。
太宰治のお墓から斜め向かいには森鴎外、碑面には本名である森林太郎の文字が刻まれたお墓がありました。私が説明するまでもなく、明治時代を代表する偉大な作家ですが、お供え物については、太宰のお墓と違って、まったく備えられていませんでした。管理されている家の方の方針などもあるのかもしれませんが、何となく、寂しい感じがしました。
お墓以外にも、三鷹には太宰治に所縁のある場所が色々あります。老朽化による解体、保存云々の問題で話題になった跨線橋や、駅の近くに太宰治展示室など。私が色々見て回る上で非常に役立ったのは三鷹市スポーツと文化財団が発行している「三鷹太宰治マップ」というもの。150円で三鷹駅南口周辺の情報が網羅されています。取り扱い店については分かりませんが、私は三鷹市芸術文化センターという公共施設で購入しました。
粗雑な文章で恐縮ですが、読んでいただきありがとうございました。
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