京都のモノづくりをアップデートするデザインとは?北林 功 × 井登 友一対談イベントレポート
人間中心デザイン・UXデザインの分野で、20年以上実務家として活躍してきたインフォバーン取締役副社長 井登 友一が上梓した初の単著『サービスデザイン思考 ―「モノづくりから、コトづくりへ」をこえて』。IDLは、この一冊を軸に様々なゲストと共にイベントを開催し、多様な視点から「デザイン」や「モノづくり」について対話を重ねています。
本記事では、2022年12月に開催されたイベント「京都のモノづくりをアップデートするデザインとは?」をレポート。文化ビジネスコーディネーターとして京都のものづくりの現場をオープンし、交流や学びを深める事業に取り組む、COS KYOTO代表・Design Week Kyoto 実行委員会 代表理事の北林 功さんをお招きし、「これからの時代はモノではなくコト」という風潮に一石を投じながら、モノが果たす役割を京都という土地が持つ唯一無二の強みと重ね合わせながら掘り下げました。白熱した二人のディスカッションをレポートしていきます。
イベントの幕開けは、井登による著書『サービスデザイン思考』のイントロダクション。「顧客への提供価値」を切り口に、サービスやプロダクトのクオリティが成熟した現代社会の中で求められる「ポジティブに期待を裏切る」体験について語りました。
顧客の目先の欲求をあえて満たさないことで付加価値を生み出す一流鮨職人や、照明器具としてではなく癒しの時間を作り出す道具として新たな価値を社会に媒介したキャンドルなど、多くの事例から様々な視点が提示されたイントロダクション。中でも、この後に続くふたりの対談の起点になったのは「正当性のデザイン」というキーワードでした。
「イノベーションを起こすということは、今の世の中にない価値を提供するということ。つまり、顧客が期待しているものを超えることになりますから、ある意味で期待を裏切ることになりますよね。裏切ってまで尚、顧客に受け入れられる事業として成功するためには、その新たな価値の正当性をデザインする必要があります。正当性が無いものを社会は受け入れられないし、そもそも会社や投資家に正当性を認められなければ、事業化すらできません。イノベーションどころか、そのスタートラインにすら立てない。正当性を説明できないと、ヒト・モノ・カネが動かないということです。
この正当性の証明において、モノが果たす役割は非常に大きい。未知のアイデアを理解してもらうには、言葉だけでは不十分で、身体性を伴わないといけないんです。だからこそ、新たな価値を体現する媒介としてモノが必要になります。アイデアが革新的であればあるほど、新しい未来と顧客の現在地点とを繋ぐためのブリッジとして、モノが果たす役割は大きくなる。つまり、イノベーションとモノづくりは切っても切り離せない関係性にあるんです」(井登)
今回のテーマとも深く関連する、井登の著書の副題『「モノづくりから、コトづくりへ」をこえて』というメッセージに触れながら、モノづくりの意味を改めて問い直したイントロダクション。この後は北林さんをお迎えしたディスカッションパートが続きます。おふたりの豊かな経験から生まれる、学びに富んだ交歓から、新たな視点を探っていきましょう。
(以下対談形式、敬称略)
まだ見ぬ価値を正当化する「なぜあなたが?」「なぜ今?」という問い
北林:今の井登さんの「正当性」のお話に被せながら、簡単な自己紹介にもなりますが、僕はDESIGN WEEK KYOTOというイベントをオーガナイズしたり、COS KYOTOという会社を立ち上げて、産業や文化の中に宿る知恵をコアとした「文化ビジネス」というものをコーディネートしています。僕自身がこれらの活動をする理由として普段から使っているのが、「正当性」と同じ意味で「真正性」という言葉です。「何を」「どこで」「誰が」「どうやって」「どんな想いで」「どんな目的のために」という6つの問いを紐解くことが、事業の意味や真正性に繋がると考えています。
なので、井登さんの「正当性のデザイン」というお話に深く共感しながら伺っていたのですが、聞きながら思い出したのが、戦国時代に千利休が考案した楽焼の茶碗の事例です。当時の焼き物は、超高温で何時間も焼いて、硬くて丈夫な中国や朝鮮のものというのが価値だったんですが、なんと楽焼は約5分しか焼かないんですよ。壊れやすいし、なんなら中は生焼けなので、抹茶を点てて30分後には中身が浸み出してくる。それでも、茶道においては最高のイノベーションで、生焼けで断熱性があるから、熱々の抹茶を点てても手で包むことができるようになったんです。日常使いは一切できず、抹茶を飲む人しか使わないし、抹茶を飲む一瞬しか意味をなさないというプロダクトを千利休が発明した。
舶来品の希少性や、耐久性が価値とみなされていた時代に、真逆の価値をアンチテーゼとして提案できたのは、まさしく正当性のデザインが機能していたからだと思います。
北林:機能性や合理性と真逆の価値を追求するという意味では、祇園祭の山鉾にも共通してるかもしれないです。僕も保存会のメンバーとして参加してますが、担っている人たちは、僕も含めてこの街から疫病を祓いたいと本気で願って参加しているんですよね。80代のおじいちゃん達も含めて、わざわざ参加費を払って、時間を作って、炎天下で5時間歩くなんて、合理性だけで考えたら成立しないですから。
そういう合理的でない価値、つまり一見無駄なものを許容できる余地が、最近は少なくなっている気がします。新規事業開発の現場でも「それ無駄ちゃう?」とか「ほんまに売れんの?」と言われてアイデアが潰れるというのはよく聞きますよね。そういった切り捨てによって失われてしまっている、心のヒダみたいなものがあると思うし、無駄に見えるようなところにこそ意味があると感じます。
井登:無駄という言葉にも多様な捉え方があると思いますが、ひとつわかりやすいのは、その役割や合理的な意味、価値を端的に説明できないということだと思います。裏を返せば、今の経済合理性を支配している価値観の中で容易に説明できてしまうということは、何も新しくないということ。新しい価値を説明するのは容易ではないけれども、そこを乗り越えるための創造的正当化が必要なんです。
北林:この創造的正当化において重要なのが、先ほどの真正性の話とも繋がるんですけど「なぜあなたがやるのか?」「なぜ今なのか?」という問いだと思います。僕でないと語れないこと、井登さんでないと語れないことがコンテクストとしてあって、語るべきタイミングも見定める必要がある。
井登:その文脈で僕の中で腑に落ちているのが、iPhoneの事例です。初代iPhoneの発売は2007年ですが、実は技術面だけで言えば、2002年頃には生産可能だったようです。ジョブスが5年待ったのは、この革新的なプロダクトの意味を市場に理解してもらうタイミングを見定めていたからですよね。
新製品発表会で、ジーンズのポケットからスッとiPhoneを取り出して、「アップルは携帯電話を再発明した」とジョブスは言いました。当時の価値観に添うのであれば、iPhoneは携帯電話よりもむしろ、機能としてはコンピューターの方が近かったにも関わらずです。彼が「コンピューターを再発明した」と言わなかったのは、アップルが革新をもたらしたかったのは携帯電話だから。人々の生活の中により深く根付いていた携帯電話に新たな意味を付与することで、ライフスタイル、ひいては世界そのものを根底から覆す。そんなビジョンを掲げることができたのは、当時のアップルだけだと思います。
表面的なコピーライティングやマーケティングではなく、「なぜ私たちがやるのか?」「なぜ今なのか?」を考え続けることが意味のイノベーションにおいていかに重要か、よくわかる例ですよね。
北林:さっきの千利休のお茶碗の事例もまさしくそうですね。すぐ漏れるし割れるしで、焼き物のクオリティとしては、低いんですよ。けれども、戦国時代という空気の中で、武士たちが一期一会でお茶を楽しむ束の間に美を見出す、このコンテキストが揃ったから世の中に認められた。やっぱり信長の存在も大きくて、「茶入ひとつの方が領土よりも上」という論功行賞の事例からも伺えるように、彼の価値観や政治の進め方が文化の成熟を加速させたのかなと。
井登:そうですよね。信長が文化を重んじるようになったのは、武士に報酬として与えられる土地が尽きそうだったからと言われています。土地の代わりに与えられるものとして、文化に価値を見出したんですね。
北林:これは今こそ学ぶべきポイントですよね。今、日本経済は下降の一途で危機感が強まっていますが、むしろ何かが尽きたタイミングは、新しい価値を提案するのに最適な時代なのかもしれない。こういう事例は京都にたくさんある気がします。
過去の地層を見ずに描く未来は、表面的なものにしかならない
北林:ここまで触れてきたようなテーマを大学の授業でも扱っていて、学生から「意味や良さを説明するのが難しい」と言われるんですが「過去の事例を見たら大体やってるで」と返すことが多いです。これは京都だからこそ言えることで、ここの産業って1,000年規模で続いてるものが沢山あるんです。華道の池坊さんもそうだし、今宮神社さん門前であぶり餅を提供されている一文字屋和輔さんも今年で創業1,022年になります。「うちは平安時代からこんな感じでやってるんですけど」なんてセリフがサラッと出てくるんですよ(笑)。
井登:京都の人にとって「この前の戦争」は応仁の乱とも言うくらいですもんね(笑)。
北林:そうそう。こんな時間軸で産業のあり方についての話が遺跡ではなく生で見聞きできる街なんて、世界中探してもなかなかないですよ。過去のイノベーションや整合性を考える材料が山ほどある土地なので、今に置き換えてどうなるかという視点を持つことは大事だと思っています。
井登:過去のイノベーションを見るのは本当に大切ですよね。ビジネス界でのデザイン思考の扱い方で個人的に引っかかっているのもまさにそこで。未来を考えるときに、未来しか見ないんですよね。フランスのドゥルーズという哲学者は「地層」という言葉を使って表現していますが、未来は突然できるものではなくて、積み重なってできています。未来にどのような地層が広がるか想像するとき、これまでの地層を見なくていいはずがないですよね。未来だけを見て生み出されたアイデアは、一見革新性が高いように見えるかもしれませんが、実はすごく薄っぺらい。過去に積み重なった地層から生まれたアイデアは、非連続という意味では同じように見えるけれども、その分厚さは違うように感じます。
北林:私が茶道の例をよく挙げるのもまさしくそれが理由です。茶道が生み出された時代、日本は全国戦争状態で経済破綻し、唐物が輸入できませんでした。お金がないから装飾は施せず、シンプルに削ぎ落とすしかなかったのかもしれないけれども、その中に美しさを見出したことで、禅や侘び寂びの思想が生まれたんです。そのような歴史を背景に生まれた思想が今は世界中に広がり、普遍的な価値として多くの人に感動をもたらしています。過去の凄惨な歴史を、どんなイノベーションによって乗り越えてきたのかという視点が重要だと思います。
イノベーションとは、相手を想い続けた贈り物である
井登:モノづくりやクラフトマンシップというテーマと今のお話は、作り手が思い描く「良い未来」がどのようにモノに込められているかという問いで繋がりますね。職人さんは「自分が良いと思うもの」「顧客が良いと思っているもの」だけでなく、「これがこの先の未来でどう良いものになっていくのか」を考えている。ミラノ工科大学のベルガンディ教授も「イノベーションは贈り物」と言うように、相手に欲しいものを聞いてしまったら、相手を越えられないんですよね。「その人の人生がもっと良くなりますように」「もっと良い発見がありますように」と願いながら、一生懸命考える。ベルガンディ先生はそういう想いで、ゲームを欲しがる孫に百科事典を贈ったらしいです。
北林:僕も、奥さんの今年の誕生日に、頼まれてない美顔器を贈りました(笑)。蓋を開けてみたら「これ欲しかった!」って喜んでくれて。ああいうのって自分では買わなかったりするじゃないですか。普通に考えたら失礼な行為なのかもしれないけど(笑)、本気で相手を想っている・感じ取れるからこそできることって大事だと思います。
井登:自分では買わないということは、自分ではそれを合理的に欲していないわけでしょう。それを超えて提案することが、ベルガンディ先生の言葉をお借りするなら「イノベーションとは愛だ」ということになる。
北林:世界も自分自身もどんどん変化する中で、今この人がときめくものはなんだろう、と常に考え続けるというのは、相手に対しての愛情そのものかと思います。これを製品やサービスに落とし込むのが、新しいクラフトマンシップなんじゃないか。そんなことを最近考えていました。職人さんに限った話ではなく、こうやって相手のことを思いやって愛を届けるのは、製造業やサービス業、あらゆる産業に通じることだと思います。
先日、とある研修ツアーを設計した際に「北林さんのデートコース堪能させていただきました!」という感想をいただいて(笑)。僕の愛が伝わったんだなと思うと、本当に嬉しかった。やっぱり愛とかときめきって言葉はすごく大事で、そういう想いが積み重なっていった先に残るものが本物だと思います。
井登:サービスデザイン分野の世界最高峰の研究者であるマンズィーニも、最近の著書の中で、社会イノベーションにおける重要な概念はケアであると書いていました。新たな価値や意味を形成していく上では、人を思いやりながらコミュニティを作ることが欠かせないと。モノづくりとコミュニティづくりは、一見違うもののように見えますが、実は切り離せないということですね。
文化を育てるのは、素人が意見を言い合えるコミュニティ
北林:コミュニティとクラフトマンシップに関連して、今回のワールドカップでも気づきがありました。日本が強くなったのは、ディスコースが生まれたからだと思ったんです。つまり、サッカーを議論できる語彙を持った人間が増えたということ。素人の僕でも「そこでオフサイドトラップかけな!」と意見を持てるようになったし、大勢の人間がサッカーの面白さや選手の出来を語る言葉を持って、スポーツバーに行けるようになりました。同じ構造がこれまで野球を強くしてきたし、これからサッカーを強くする。逆に、こういう議論が生まれないスポーツは成熟のスピードが遅いと思います。
同じことが、京都の産業にも言えると思っていて。目利きの力や、プロダクトの良し悪しを語り合えるインフラがあるんです。その議論のレベルの高さこそが、京都の強みだと思います。街としての魅力を取り戻す、もっと強くするという意味では、素人が意見を言い合えるコミュニティの構築が鍵になるはずです。
井登:茶道を習っていない方でも、普通に食事に行ってお茶が出てきたら「この器かわいいね」と言えるような、普遍化ですよね。
北林:そうですね。セラミック産業で有名なファエンツァというイタリアの都市がありますが、住人が論評する言葉と視点を持っているので、その街で評価されたものは良いものだと認められます。昔の京都も同じで、ここで評価されたものが「くだりもの」として、江戸に下っていった。評価されないものは下っていかないので、それが「くだらない」という言葉にもなりました。
井登:そういう語源なんですね!
北林:そうなんです。専門家や有名な先生ではなく、一般市民の目利きの腕が上がることに価値があるんです。すごい先生がいくら評価しても、市民が「そんなん先生の好みで言うてるだけやん」と返すくらい、大勢があれこれ言うようになれば、京都の文化はまた更に深みを増していくと僕は思います。
「モノづくりからコトづくりへ」を超えて
今から過去へ、日本から海外へ、時間も空間も超えて拡がったおふたりの対話は、最後にまた京都のモノづくりという問いに立ち返りつつ、幕を下ろしました。モノづくり、コトづくりの垣根も超えて、新たな価値を生み出すために日々活動される全ての方にヒントを持ち帰っていただけるようなディスカッションだったのではないかと思います。
今回ご一緒いただいた北林さんの最新のご活動はこちらからご覧いただけますので、ぜひご覧くださいませ。
IDLでは日々、この記事でも触れたようなイノベーション創出、未来ビジョン策定、コミュニティ醸成など、新たな価値を創出するための活動を軸に、クライアントの皆さまと共に探求と実践を重ねています。今後もイベントや情報発信を行ってまいりますので、ぜひ覗きに来てください。
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