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この違和感ばかりの世界をエスケープするには〜自然と仲良く暮らす編〜

③自然に習い循環する世界、
自然と共存する暮らしを実現すること
が制限の世界から離脱するのに重要だと書きました


自然界は私のおっ師匠さんです!


自然界を見ると生きるということがいかにシンプルなことかわかるからです。


人間界は独自のルールがたくさんありますが、人間もそもそも自然界に属する生物です。


自然界と人間界重ね合わせて、オーバーサイズしているところは、無くても成り立つもの(基本として必要ないもの)だと考えます。


自然界を見てみると生きるために必要なものは、住む場所、食べる物、愛、ネットワークこれだけなような気がします

とてもシンプルです

だから、人間も基本はこれだけあれば十分豊かに生きていけると思ってます


人間は生きていくためにたくさんのものを必要とします


自然界には存在しないもの
お金、ルール、人の目、立場、名声、愛情、etc(自由な愛では無く制限付きの愛)

そしていつも足りないと思っています。
ないと思っています。

いつなくなるか?自分の分がなくなるか?わからないから所有するんです
そして、手に入れて安心を得ます

だけど、またすぐいつなくなるかわからない不安がつきまといます

だから奪おうとしてしまったりします

いつもなくなる不安があるんです
永遠に不安のループ
お金も食べ物もエネルギーも生きていくために必要なものら全て有限だと思っているからです

でも、そう思っちゃうのはしょうがないんです

有限だと感じていたらみんなそうなります

でもほんとに有限なのでしょうか?

何度も他の記事でも書いてるけど、ほんとは全部無限だったりするのではないでしょうか?
やり方さえ、視点さえ変えれば。。。


ベースとして水、土(菌)、空気、があれば無限に生み出すことが可能です


無限であるとわかれば、安心しませんか?

何かに追われるような感覚から脱することができませんか?

誰かと何の抵抗もなしに素直に分け合えませんか?

人間界のルールは所有するために必要なルールになっています


でも、じゃあ、所有は悪いのでしょうか?

いいえ。悪くありません。悪いことなんて一つもありません。


所有しないことはいいことですか?そんなことはありません。

ここではいい悪いについては話していなくて一つの側面として書いています
いいとか悪いとかは全くなくただどの選択が自分を幸せにするか?ということに尽きると思います


所有する(有限であることが前提の意識)ことは制限の中で生きることです

所有しないこと(無限であることが前提の意識)は自由に生きることです


どのようなスタイルが自分に合っているか? 
何が心地よいか?でいいんだと思います


どちらかに決めることではなくて、自分と合うエッセンスを抽出して組み立ていく感覚なんだと思います


今の世の中では全てが有限であることが前提で回っています


だからいつも何かに追われている

何かとは不安です


その結果、機能不全を起こしているのが現状だと感じます


有限であること、制限をかけること、見えるもの以外は信じないこと


そちらに偏りすぎたというだけだと思います


だから、その機能不全を解消するには
そこに、循環すること(無限であることが前提の意識)のエッセンスを取り込んでいくことが滞りを改善するという視点でみると必要だと思います(そのままで幸せな人は取り入れる必要がないのだと思います)


では、無限を前提にした意識で生きることは可能なのでしょうか?
それを可能だと思い出させてくれるのが自然に習う暮らし方です

循環する暮らしが可能であるとわかれば、生きるために必要なものが無限なものなんだとわかります


制限するものはないんだとわかります


自然と共存することは循環する暮らしを意味します


自然は循環しているからです

それは足りないということがない意識です


死んだり、朽ちたりしても、また育めばいい

自然界はその繰り返し

そこに同化する生き方が循環する暮らしです

人間も自然界の一部だからその方がほんとうは自然体で楽なんだと思う


人間は必要以上に死を恐る
死ぬのが全く怖くない人なんていないけど、死ぬことは多くの人が思うようにおぞましいことではないと思います

土に還れることは安心だったりします。私たちも自然の一部なんだと噛み締めるからです。


私が自然と共存する暮らしが制限の世界から離脱するのに重要だと考えているのは、
自然の循環の中で生きることが無限であることを教えてくれるからです


無限であることがわかればあらゆる制限から自由になれるからです


あと、もう一つ

自然と共存することで制限の世界からエスケープできる大きな理由があります


自然のリズムの中に取り込まれると、私たちの頭でオートマチックにされてる思考の暴走が止まります


私たちが足りないと思ってしまったり、不安になったり、悲しくなったり、ムカついたり、あることないこといろいろしている日々の妄想は、思考が作り出しています

思考は不安がベースで作動します

不安や心配を作り出してるのは思考です

不安や心配が全く良くないとは言いません

不安や心配は私たちを守ってくれています

危険を察知したり、必要以上に傷付かなくていいように。です

思考することで傷つくことから守っています
(しかしそれがさらに苦しみをつくるループになっているのですがまたそちらは違う記事で。。。)

思考とはエゴと言ってもいいと思います

考えや意見など自分がアイデンティティだと思っているものも思考の妄想(エゴ)です

思考で考える私と心で感じる私は違うものです

心で感じてる私と繋がると不安や心配は出てきません
心で感じる私といると安心感がある
自然体の魂の自分です

自然の中では心で感じる私を感じやすいです

それは、自然界に思考(エゴ)が存在しないからです

だから自然と思考を使わないで済みます

だから、人はリラックスしたい時に自然の中にエスケープするのではないでしょうか?


私たち人間界の暮らしはいつもエゴと隣り合わせです。いつも思考で物事を考えます。

一緒にいすぎて思考を使わない感覚を思い出せません。


みんな幸せになりたいといいます。

それって安心したいってことを言ってる気がしています。

みんなが求めている幸せ(安心)は、思考を使わないときにやってくると思います。


だから、安心したい人は自然にならい、自然の中でだったり、自然を取り入れることをおすすめします。



とゆーことで違和感の世界からエスケープする大きな要素についてこれまで書いてきましたが、違和感の世界からエスケープするシリーズは一旦終了です。


ここでは、エスケープするためにはという視点で書いてます。
自分に必要なエッセンスだけ抽出してもらえれば嬉しいです。


また違う視点で、いろんな角度からこの世界のことを書いていこうと思っています。


読んでくれてありがとうございます。


らぶ♡







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