#6 【Snow Man「EMPIRE」サンプリング元】モーツァルト「交響曲第25番」ってどんな曲!? | 音楽おもしろ豆知識
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Snow Manの「EMPIRE」が格好良い
突然ですが、Snow Manの「EMPIRE」が格好良いです。
ダンスも楽曲もMVも格好良い!
Snow Man「EMPIRE」は、クラシックの名曲、《モーツァルト作曲「交響曲第25番 ト短調 K. 183」第一楽章》のサンプリングによる楽曲です。
はじめてMVを試聴した感想は、シンプルに「格好良い!」
と同時に、
「サンプリング元の、モーツァルト「交響曲第25番」って、めっちゃダンス向きの曲なのでは!?」
とも思いました。
というわけで、Snow Man「EMPIRE」のサンプリング元である、モーツァルト「交響曲第25番」について、作曲された当時の背景や、現代のダンスミュージックとの共通点についてリサーチしました。
モーツァルト作曲「交響曲第25番 ト短調 K. 183」も格好良い
モーツァルト「交響曲第25番 ト短調 K. 183」
(コンサートマスター:﨑谷直人・神奈川フィルハーモニー管弦楽団)
Snow Man「EMPIRE」でサンプリングされているのは、第一楽章の第一主題です。
ちなみに第二主題(0:50ぐらいから)は転調して、明るくてかわいい音楽になります。
第二楽章(6:00ぐらいから)も、ゆったりとしたかわいい音楽です。
「交響曲第25番 ト短調 K. 183」のここが「格好良い」
■作曲した時期が若すぎて格好良い(モーツァルト17歳の作品)
「交響曲第25番 ト短調」は、今から251年前、1773年の10月5日に完成した作品です。
1756年生まれのモーツァルトは、当時17歳。
「天才少年」が「青年」へと成長する、そんな時期に書かれた作品です。
■作曲スピードが爆速すぎて格好良い
「交響曲第25番」ということは、17歳時点で交響曲だけで25曲も書いているということです。
(いくつかの作品については偽作説もあるようですが……)
交響曲の他に、オペラや協奏曲、鍵盤音楽や室内楽なども書いているので、なかなかすごいペースで作曲しています。
「交響曲25番」は1773年の10月5日に完成しましたが、その二日前の10月3日には「交響曲24番」を完成させています。
おそらく、この2曲は並行して書かれていたと考えられています。
(第25番を二日で書いたのかもしれませんが、さすがに違うと思いたい)
当時の音楽家は、「アーティスト」というより「職人」というイメージの方が近かったようで、速く作曲できることも重要なスキルの一つだったと思われます。
「交響曲25番」についても、「産みの苦しみの末にやっと…」とかではなく、さらさらさらーっと書いた作品なのではないかと思います。
■「短調(マイナーキー)」の作品はレア!
「交響曲第25番」は、モーツァルトの交響曲としては大変珍しく、短調で書かれています。
モーツァルトは第41番まで交響曲を書いていますが、短調で書かれたのはわずか2曲。「第25番」の他には「第40番」のみです。(ちなみにどちらもト短調(G-minor)で書かれています。)
第40番の方も大変有名な作品で、第40番を「大ト短調」、第25番は「小ト短調」とセットで呼ばれていたりもします。
モーツァルト「交響曲第40番ト短調 K.550」
(指揮:小泉和裕 ・神奈川フィルハーモニー管弦楽団)
■「(元)天才キッズ」が屈辱を知ったタイミングで作曲されたっぽい
幼少期には「天才キッズ」として各地で演奏していたモーツァルトですが、成長し青年期にさしかかると「天才 "キッズ"」という売り方は難しくなります。
モーツァルトは、13歳から17歳の頃にかけて(1769年から1773年にかけて)3度にわたりイタリアを旅行していました。
旅行といってもバカンスではなく、営業(オペラ作曲の契約が取れるとギャラが良かったらしい)や、就職活動(有力な貴族や教会などに、良い立場(楽団長とか)で高給で雇ってもらいたい)が目的だったようです。
いくつかの営業(オペラの契約を取る)には成功したようですが、就職活動の方は、思うように職を得ることができませんでした。
やむを得ず故郷に戻ってきたモーツァルトは、地元で宮廷音楽家として雇われます。
が、モーツァルト自身は、その状況に満足していなかったようです。
一度故郷に戻ったモーツァルトですが、数ヶ月後、再びウィーンに営業&就活の旅に出ます。
ウィーンには2ヶ月ほど滞在しましたが、ここでも就職口を探すことはできず、やむをえず再びザルツブルグに戻ります。
「交響曲第25番」は、このタイミングで書かれた作品です。
就職活動が思うように叶わなかったことで、「このままでは終わらないぞ」と野心や向上心に燃える中での作曲だった…かもしれません。
■ウィーンの風を取り入れていて格好良い
「交響曲第25番」は、「ウィーン就活旅行」の直後に書かれた作品です。
就職活動という面ではうまくいきませんでしたが、モーツァルトはウィーンで、ハプスブルグ家の君主マリア・テレジア(マリーアントワネットの母親)をはじめ、多くの有力者と交流することができました。
当時のウィーンには、政府の支援を受け、国内外から優れた音楽家が集まっていました。
モーツァルトはこのウィーン旅行で、「交響曲の父」と呼ばれるハイドンなどの音楽家の作品に触れ、影響を受けたと考えられます。
ハイドンはちょうどその頃、短調(マイナーキー)の作品を多く書いています。
「交響曲第25番」が短調で書かれたのは、ハイドンをはじめウィーンで触れた音楽の影響かもしれません。
1768年から1772年ごろのハイドンの作風は、「短調」や「フーガのような対位法(複数のメロディを重ねるような書法)」が特徴です。
実験的な手法を多く用いたこの時期のことを示すのに、
「シュトゥルム・ウント・ドラング(嵐と衝動)」
という、なんか格好良い名前が用いられます。
■イントロ「タタータータータ…」のダンスミュージック感が格好良い
「交響曲第25番」冒頭の「タタータータータ…」という部分。
とても印象的なフレーズです。
この「タタータータータ…」、音楽用語では「シンコペーション」といいますが、裏拍にアクセントがくる音型が使われています。
スコアを見てみると、
低音を担当するチェロとコントラバスが、
表拍(ダンスビートのキックの位置。「ずっチーずっチー…」というリズムの「ずっ」の部分)を、
ヴァイオリンとヴィオラのメロディが
裏拍(ダンスビートのハイハットの位置。「ずっチーずっチー……」の「チー」の部分。)を、
それぞれ担当しています。
スコアだとわかりにくいので、楽譜をシンプルに書き直してみました。
「交響曲第25番」の冒頭部分が、ダンスビートと似たような構造になっていることがわかります。
現代のダンスミュージックにも通じる、推進力と躍動感に満ちたフレーズです。
モーツァルトさんは、この「タタータータータ…」という「シンコペーション」のリズムがお好きだったようで、いくつかの他の作品でも同じような音型が使われています。
もしモーツァルトが現代に生きていたら、ダンスミュージック界でも活躍していたのかも……?
時代も国もジャンルも超えて愛されていて格好良い
Snow Man「EMPIRE」サンプリング元、
《モーツァルト作曲「交響曲第25番 ト短調 K. 183」第一楽章》について解説しました。
当時17歳の、(就活が上手くいかずちょっと将来が不安だったかもしれない)モーツァルトに、
「いまあなたが書いてる曲、251年後に日本のトップアイドルが踊って歌って大ヒットするよ」
と言ったら驚くでしょうか?
18世紀末に書かれた作品が、時代も国もジャンルも飛び超えてリミックスされ、2024年の日本で新鮮に響いている…すごいことですよね。音楽って格好良い。
Lulla Music 1:さみしんぼモンスター
Tr.3 モーツァルト: 子守歌 (フリースの子守歌) ー 井出 音 研究所 & 松岡美弥子
※「モーツァルトの子守唄」は、モーツァルトの作品ではありません。
(なぜか気になった方はこちらの記事もチェックしてみてください。)
#3 「モーツァルトの子守唄」は、モーツァルトの作品ではない? | 音楽おもしろ豆知識
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