志望動機とかいう邪魔者

この春,大学院に進学しました。
進学が決まってから,毎日が何かの締め切りであるかのような焦燥感が身体の内から沸きあがるのを感じています。

それはこれから行なわなければならない研究のことや,就職のことが大部分を占めているのだろうと思います。

ひとたび就職のことを考えてしまうと,私は非常に憂鬱な感情に襲われます。心の奥底に今か今かと待ち構えていた山賊が憂鬱以外の感情を全て奪い去ってしまいます。奪われた感情を日常の中に見つけるまで,私は不要と判断されたために取り残されたそれを背負ってまた麓まで戻らなければなりません。

就職のことを考える中での感情の剝奪を免れたことはありません。いったい何が山賊たちをそこまで搔き立てるのか。おそらく一つの原因はタイトルにも書きました「志望動機」でしょう。

志望動機こそが,今,私を苦しめている山賊の正体であり,私が人生という実体のない大きな山を登頂しようとしているのを邪魔しているものの正体に違いありません。

私は周りの登山者を見てみました。皆,確かに苦しい表情をしており,目は黒く濁り,夢か現かの世界をさまよっているように思えました。このような様子でありながらも,一進一退を繰り返し,着実に登頂へと歩んでいくのです。

次に私は自分を見つめました。幾度となく山賊と争ってきたその双眸の間には大きな山が聳え,確固たる地盤を築いており,一個の生命体としての脈動を感じさせるほどに立派でした。眸は大部分が世界に対する諦めに占拠されていましたが,奥底でわずかに就職のシステムに抗う意志の光が明滅していました。

どうやら登頂に至るには意志の有無が,世界をありのままに受け入れることができるかどうかが関わっているのではないかと思いました。

話が少し逸れてしまいました。

なぜ就活では「志望動機」などくだらないことを言わせるのでしょう。私は思うのです。「その企業に入りたいという熱意」と「働きたいという熱意」は全くの別物であると。この2点が完全一致して線として繋がることなんてありえません。

「企業への熱意」はおそらく競合他社とどのくらい差別化できているかで相手は知ろうとしてくるのでしょう。けれどもその企業のことを深く知ったところでどうなるのでしょうか。経営者に近い視点で物事を考えられるようになる?その企業の弱点が見えてくる?進言したって却下でしょうに。

志望理由の良し悪しでその後の業績は変わってくるのでしょうか。確かに志望理由をすらすら言える人はそれなりに優秀かもしれません。けれどもその人が優秀かどうかは志望動機など聞かずとも他の質問でも分かることでしょう。もっとその人の本質が分かるような「休日の過ごし方」や「人生哲学」を語らせるべきなのです。本当に会社に貢献できるかどうかは志望動機では分からないのです。

実際に働いてみてもいないのに,企業側から公開されている情報にどれだけの真実があるのでしょう。私たちはお花畑を見せられるばかりで,実際にそれを支えている日の目を見ない地下にいる昆虫たちを見せてもらっていないのです。与えられた上辺だけの情報から編み出される言葉に何の意味があるのでしょう。

そんな定番な予測できる質問に対して私たち就活生が返す言葉から,面接官が読み取る情報は絶対に必要な情報なのでしょうか。志望動機がなくなるだけで我々がどれほど前向きに就活に邁進できるのか想像していただきたい。おそらく就活中につく嘘や誇張の7割は消えるでしょう。就活の辛さはこの嘘や誇張を「しなければならないこと」にある気がしてなりません。

人間とは本来,好奇心に満ち,無駄が大好きなものです。私も大好きです。なのに就活ではその本来の自分からかけ離れたその企業にマッチした自分を「演出」しなくてはなりません。毎回毎回,自分を騙して,偽って喋らなければならないその違和感の連続に疲弊していくこと,さらに就活が長引くにつれて「企業に合った自分」を演出しなければならないことが就活の辛さの本質なのではないでしょうか。

内定が出ず,自暴自棄になる就活生が多いことは検索しただけでもよく分かりますかります。生きるための手段として働くのに,働くことそのものによって,もしくはその過程で死を意識してしまうなんてあってはならないはずです。もしそうなのであればシステム自体が間違っているに他なりません。

今から10年後,我々に次の世代が生まれてさらに20年後,その子が今と同じシステムで就活をすることを思うとあまりに可哀想ですし,ずっと変わらない未完成の就活システムを完成品と言い張っているかのようで私は恥ずかしくなります。

我々生物にとって子どもは宝です。だからこそ,その子たちにはより良い環境で生を全うしてほしいと思いますし,そのためには我々ができる限りその環境を整えてやらなければならないのです。我々の就活が終わったからそれで終わりというのはあまりに浅はかです。後代のためにより良いものを残すことが我々の使命なのです。


色々書きましたが,とにかく私が言いたかったのは「志望動機なんてどうでもいいじゃん,働かせてくれよ!!一生懸命頑張るから!!」ってことです。

長々と書いてしまいました。ここまで読んでいただきありがとうございました。

共感・反論などあらゆるご意見お待ちしております。


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