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大人こそ,好きなことを研究してみたらいいと思いませんか?

先日,私が参加している大学のゼミに社会人の方が見学に来ました。

その方は仕事を続けながら修士課程に通って研究することを希望されていて、学生や先生達にアドバイスをもらっていました。

今のゼミには社会人を辞めて修士課程に入学している人や、民間企業での就職を経てアカデミックポストに戻った先生もいますが、どちらも「自分の経験としては,やはり専業でないと難しかった…」とおっしゃっていました。

現実的には,社会人をしながらきちんと成果を出すレベルで研究に打ち込むのはやはり難しいのだと思います。周りの研究者達も、みんな結局は私生活のあらゆる部分を研究に捧げているように見えます。

しかし,それでもなお,私は思うのです。
特に何も目指さない,自分のための研究があってもいいのではないでしょうか。いわば「道楽」としての研究です。

道楽:本業以外のことに熱中して楽しむこと。趣味として楽しむこと。また、その楽しみ。

デジタル大辞林(小学館)

私は現在,会社員+研究者見習いの二重生活をしています。大学院を出てから約10年,研究に関わる仕事をしていますが,自分のスキルとして特に研究者に適したものがあるようには思いません。勉強はたいして得意でもありません。よって,研究者としての自分の未来に大きな期待はありません。

それでも,仕事をしながら学んだり,調べたり,書いたりする生活って単純に楽しいのです。仕事も研究も両方やるからこそ見えることがあると思うし,社会人研究仲間も増えてほしいので,ぜひ大人の学びの良いところを紹介させてください。

①社会を知った大人にとって,勉強は新鮮な喜び

若かりし頃,大学院生だったわたしは,学問なんてやっぱり机上の空論だわ,社会に出たほうがいろいろ学べるにきまってる!と大学院を飛び出していきました。

書を捨て街に出た先には,確かに「実地ならでは」の学びはあったと思います。体系的な学問としての学びではなく,社会の壁に激突し,時に怪我をしながら手探りで学ぶのもやはり面白いことです。

しかし,結局社会に出ることで,わたしはたくさんの「知りたいこと」に出会ってしまったのです。
会社員として過ごす日々の中では,「なるほどあの時学んだ理論はこれね」という体験もあれば「このテーマに対する研究,たくさんあるんだろうな…どうなっているんだろう」という体験もありました。

その生きた疑問や,体当たりで学んだ経験を持って学校の机に戻ると,そこには新鮮で純粋な「知ることへの喜び」がありました。

社会人を経験したからこそ,大学の椅子に座ることのコストを肌で感じ,学べることの有り難みが身に染みて、何事も楽しく熱心に取り組めるような気がします。


②「大事なのに社会では学べない基礎」が身につく

会社は学校ではないので,例えば「文章を読む」とか「書く」とか,そういうことに関して指導してもらう機会は少ないです。

企画書だとか稟議書だとか報告書だとか,目的の明確な書類をたくさん読んだり書いたりすることはありますが,誰かから丁寧にフィードバックをもらえることばかりでも無く,鋭く論理的な矛盾を突っ込まれることもそうそうありません。

研究というのは意外にも(?)物書きの仕事であり,さまざまな文章を書く機会に恵まれます。いまだに先生や査読者から自分の書いた文章をメッタ切りにされますが,その経験はとても貴重で改めて学ぶことばかりです。


③ゆっくり考えることを許される贅沢

一般論として、やはりビジネスにはスピードが求められます。
即決,即レス,仕事が早いね!は社会での褒め言葉です。
特に私のやっている広報の仕事などは,社会の変化や話題に敏感な人が多く,毎日サクサクと大量の情報をさばくのも仕事です。

一方で,分野や内容によって様々でしょうが,私の知っている心理学の研究は割と長い期間で形にすることが多いような気がします。

修士課程を修了するのが目的であれば,2年間かけて1本の修士論文を書かせてもらえます。同じ研究テーマについて何年間も考え続けることができるのは最高に贅沢なことに思えます。

すぐにアウトプットして,すぐに評価されることが求められる世の中で,じっくりいろんな角度から自分が納得できるところまで考えて良い,というのが許される世界はそんなに多くないような気がします。

③お客様のためじゃなくていい

会社員としての仕事は「私がやりたいことをやりました」は基本的に通用しません。
お客様のニーズがあり,組織のニーズがあり,上司のニーズがあり,そこを満たすことと引き換えにお給料をもらっているようなものなので当然です。

もちろん研究にも社会的なニーズは存在しますが,基本的には自分が知りたいと思ったことをテーマに調べ始めてもいいということが,新鮮に思えます。

社会人であれば,日々の仕事で「他者のニーズ」を汲み取る作業を多かれ少なかれ経験していると思います。
そのスキルをもって,自分の好奇心で始めた研究を社会的なテーマに押し上げてしまうこともできるのが大人の強みではないでしょうか。


④コミュニティ&アイデンティティを分散できる

つまるところ,単純にいろんな「場」があるっていいなと思います。
仕事に行き詰まったら研究があり,研究に行き詰まれば仕事があります。

仕事でやらかしてしまった失敗を,研究室の人たちは知りません。
論文にダメ出しされて落ち込んでも,会社の上司にはバレません。

そんなふうに自分の役割やアイデンティティを分散していると,評価されることや求められることもそれぞれに違っていて,それはなんだか楽なことのように思います。

違うコミュニティ,違う人との関わり,違うやり方による学びを統合することで新たなエネルギーになるような気がします。

⑤研究すること、が目的でもいいかも?

研究したい,博士号を取りたい,と話すと「それで何目指すの?」と言われることがあります。

もちろん今やっていることが複合的に何か良い方向につながるとは信じていますが,研究に対する努力は必ずしも金銭的に回収しなくても良いと思っています。何かを知れば新しい扉が開きます。知りたい,という人間の根源的な欲求を満たす,それ自体が目的です。

心理学の分野だけでも,わたしが一生かけても決して頭に入れることのできない知識があります。もちろん心理学以外にも膨大な数の学問があり,その総量は想像することもできません。

自分のちっぽけな人生をひとつ費やしても,すべてを知ることができない。その絶対的な事実が,まるで中身が絶対に減ることのないキャンディボックスのようで,わたしを嬉しい気持ちにさせるのです。

時間の問題,仕事の都合,お金の問題など現実的な壁はありますが…社会に出た大人だからこその研究との向き合い方があるといいなと思います。



研究の知見を正しくビジネス現場に応用することで、研究で食べていける社会を目指しています。