誠実ということ

主に多くの人が思う誠実さは「やさしさ」や「義理堅さ」というイメージでしょう。

しかし意味は「まじめで、真心があること。」だそうです。

真心とは「うそいつわりのない心。」

らしいです。

「誠実でありたい」

「誠実にみられたい」
は全く異なるということですね。

「誠実でありたい」
というのはうそ偽りない心でであること。
つまり自分に嘘はつきたくない。
相手にも嘘はつきたくないというこですね。

言い換えれば我がまま。

誠実というのは自分に厳しいと思われますが実はそうではなく、自分にも厳しいが時には相手にも厳しいという暴力性があるみたいです。


では「誠実に見られたい」
とはどんなことでしょう。

嘘偽りなく
見せる
魅せる
といえますね。

つまり嘘偽りなく魅せるという嘘をついている。
誠実さという嘘を見せている。

この場合「ただの嘘つき」の出来上がりです。

では「誠実な人だとよく言われる。」
この場合はどうでしょう。

今までは自分がどう在りたいかでしたが
客観的にそう見える。

その場合は
自分がどう在りたいかとは別物で、
自分の意見は全くありません。
他人がどう世界を見ているかに委ねられます。
その世界にはこう在りたいという自分は全く無視され、自分の思う誠実さは相手にとってはわがままであるか、嘘つきであるか、やさしさでしかない。

しかし「やさしさ」は
やさしさでしかなく誠実さとは別物。
イメージでしかない。
というより何となくでしかない。

得られた教訓
誠実という社会生活では重要とされる性質により規範、ルールが生まれるならばヤクザや暴力団の世界と変わらない世界で生きていることを自覚し、もし自分の中でグループ分けをするならば誠実さを重視しないこと。

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