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興味がとっ散らかっているので

 この場を借りて整理してみます。時間とエネルギーに余裕があると、どんどん拡散していく。厄介なことにその拡散は、手当たり次第というわけではなく、遥か昔の記憶がぶり返したり、関係性を見出して、これも、あれも知らなきゃ、となってのものだったりする。それで、だんだん、結局自分はどこに行きたいんだろうとなる、というのを定期的に繰り返している。上半期は迷わない、と年始に決めたつもりだったが、その「勉強するぞ」のエネルギーが高まりすぎて、広がっていくのに比例して、Amazonのカート内のリストも即座にぽちったKindleも、Zoteroに保存した論文も、YouTubeやInstaPaperのリストも増えていっている。それらを確実に読み進めていくために優先順位をつけられたら、などと期待して。

 現在受講しているクラスでいうと、「AI時代の感情史」がトップの面白さだが、その興味の大元は、科学技術政策、というか全体的な「科学技術が解決する」雰囲気にのまれている感じがどうにかならないものか、というところ。生命倫理が面白く感じたのもこれ。セキュリティの勉強をするのもこれ。そして、それぞれに潜るほど、つくづく、ごくごく少数の人が思い描いた世界観にその他大多数がその時間を金銭と引き換えにしながら巻き添えをくらっているだけなように感じざるを得ない。国境がない独裁者がいる、といったイメージかもしれない。陰謀論の思想はこういう感覚だろうな、という推論から、陰謀論とか偽情報、特にそれが文化圏・言語圏をまたいでどう共有・発展していくのか、というのも気になっている。この関連で、外交、国際政治の観点を吸収しようとしている。
 
 一方で、基本的には科学は発展していってほしい、科学技術についても薬もワクチンも観測・測定手段も、がんがん進歩してほしい、その世界から降りた代わりに後方支援をするつもりで今の仕事を選んだつもりでいる。万が一億万長者になることができれば基礎研究のための基金を設立する、というのが学振の申請書を提出した直後からの夢(単に、申請書を書き続けるプレッシャーには私はこの先耐えられそうにない、お金を出す側になってやる、という勢い)。ただ、そのマイ「後方支援」のコンセプトは、研究している人が見ている世界もそれぞれだけれど、その外にいる人が見ている科学とのギャップがもたらしてきた課題とそのギャップそのものへの興味にある。そこが科学コミュニケーションにつながり、分野がある程度消化できてきた結果、結局何を伝えなければならないのか、そもそも科学とは人にとって何なのか、という問いを、現実的なレベルでは現在進行形で勉強しながら、そのもう少し抽象的なところ、哲学的なところはまだ考え・記述するための言語を、生命倫理、感情史の勉強、それに関連する領域から学んでいる状況。科学とは何か、に関する自分なりの仮説、確かめようがないから説明というべきか、についてはまた別のnoteにしたい。

 科学技術の発展・振興の経済的利益をベースにしたトレンドへの違和感、と、そもそも科学って何、が交差するところがニューロテクノロジーであり、精神・神経疾患の領域なのかもしれない。自分にとって。ニューロテクノロジーで語られがちな人間の将来像の違和感、そこの世界観に描かれていないものを言語化できるようになるために、そもそも今どこまで、どの界隈で語られているのかを把握しようとしている。

 そして、書いてきたように、全てが自分の「感じ」が出発点にある。それを誰かに届けられないものか、共有できないものか、という願望を結局はどこかに持ち続けていて、それがアートに傾倒し、自分でも技術を身に付けたいと常々思っているところにつながっているような気がする。表現技術としてみているから、そこから言語、作り手の方へも興味が広がっていく。

 さて、優先順位とは、、

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