イダセイコ
歌詞投稿をまとめてみました。ぜひ、眺めてみてください。
イダセイコのオリジナル曲の歌詞たち
初夏の花、大賀ハス。 透けるような神々しいピンク。 コロナウィルスに世の中が翻弄される2020年も、 千葉公園の大賀ハスはたくさんの花をつけ、ヒトを魅了している。 千葉公園の大賀ハスは、深い泥炭地から発掘された2粒の種から、 日本中に種を分け、時代を超えて咲く花。 その名も大賀博士と地元の学生さんたちの情熱が、奇跡のその種を見つけた。 息を潜めるように、早朝に咲くことも、 たった一晩で花の瞬間を終えてしまう切なさも、 2000年前にも咲いていたということも、 知れば知る
私の曲の中で、 これまでのレパートリーでも唯一無二の曲だ。 なにが?というと、 鍵盤を使って作曲した曲だからだ。 部屋にあった小さなキーボードで作った曲。 3枚目のアルバム「井田屋3」に収録されているが、 この時代の私の形容詞のような曲。 表立っては明るめの曲だけれども、 その中枢を流れるのは諦めやうんざりする気持ち。 風が変わっても、 時代が変わっても、 その花の姿は変わらない。何も告げたりはしないから。 返事がないと分かっていても問いかけてみたくなる。 返事の
ちいさなサカナ → ちいさな魚 → ちいさな差かな? 日本語が好き。 ダジャレが好き。 この言葉のマジックに気がついた時、 シメシメと思ったことは、内緒だ(笑) マイナス思考な私は、自己啓発本を読んでプラス思考に浸かりたいと願う。 どの本にも書いてある、口癖が人生を変えると。 いつも口にしている言葉や行動が人生を決めると。 根っこは、そうそう変わらない。 だけど、確かに思うんだ。マイナスよりはプラスがいいよね?って。 ものは、考え様。 どんなマ
ないものねだりのヒトという存在は、 自分の都合で?現実逃避で?憧れて? 「〇〇になりたい」 と、ふと想うもの。 このコロナ渦の退屈の中で、 私は時間をもてあますことを経験した。 いつからだろう? なにかに急かされて、いつもいつも「忙しい忙しい」。 いつ死んでも?すぐ死んでも構わない、なんて、 結構、危うい思考に至るほどに追い詰まっていた。 今思えば、勝手にだ。 館山の海に、夕陽が沈む。 秒針も音もなく、空の色を変えながら。 あっという間の、かけがえのない、短い時間。
いつも突然ピンチはやって来る。 友人のピンチの知らせに戸惑いながら、 なにも出来るコトが見つからなかった。 失意の底にある人に電話? かかってきたならまだしも、掛ける言葉が見当たらない。 弾丸で会いに行く? 悲しくたって辛くたって、そんなときほど笑顔のその人は、 精一杯の笑顔で迎えてくれるだろう。 果たして、それがその人の傷みを癒やすだろうか? 仕事も、お金のことも、夢も、人間関係も、恋も、 うまくいかないときはある。うまくいかないほうが多い・・・のは私だけか(笑) そん
恋時雨(こいしぐれ) 秋から冬にかけて起こる、一時的に降ったりやんだりする雨、時雨。 「涙を流すこと」という意味もあるそう。 ひと足早い梅雨入りの情報が耳をかすめて、 この曲を想った。 雨はいつかは止むのだけれど、 渦中においては永遠のような気すらして。 とくに、時雨はこじらせ気味なり。 恋時雨 触れる度に せつなく光る ひどく冷たい その手に抱かれる 好きになったら すでに 負けなのよ 追っては燃える 追われて消える さよならさえ いらない 胸に秘めた せ
待宵草(マツヨイグサ) そう言われて、姿が思い浮かぶ花だろうか。 夏の夕方、海岸や道端にやわらかい黄色い花を見つける。 一夜限り咲いて、その後は萎れて赤くなる。 花屋さんに並ぶような花ではないけれど、 その慎ましい佇まいと、 月を映したようなやわらかい黄色は、 憧れてやまない、しなやかな女性のように見えた。 待宵草 ずっと 忘れはしない遠い日々 もう 戻れない それは夢のあとさき 今 静かな白い浜辺に 風が吹く 足跡 口癖 その面影 すべてが 幻 帰る場所さ
2020、コロナ渦。 誰もが透明な恐怖と、時間軸のない不安の中にあって、 季節はそれを知ってか知らずか、桜の花も通り過ぎ、 梅雨の憂鬱な足音と、平行線の太陽と夏の匂い。 私ももちろん、そんな真っ只中にいた。 なにげない日常の、いつもいつも、毎日のように通るその道に、 稲田の水鏡の風景をみたとき、 そこにツンと立つ、稲の苗たちの希望に溢れた姿をみたとき、 「これをしあわせっていうんだな」、と心が小さくうなずいたのを感じた。 水鏡の5月 草いきれの向こうに 夏まだ早い
はじめましての方も、そうでない方も、 ここをたずねてくださって、 本当にありがとうございます、イダセイコです。 とにもかくにも、 初のこの投稿には、自己紹介なぞをざっくりと。 なんてことのない、 私からしたら、当たり前で平凡な日常の積み木。 ただ、生きるというひとつの物語は、 だれとも同じでない、唯一無二の作品。 それが私の「うた」という作品です。 メロディと詩で表現する音楽という世界観。 なによりも、 ほかのどんなモノやコトよりも 大切にしているものだから、