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ポスト・ポストカリプスの配達員〈20〉

 モスクワから既に二時間以上走っているというのに、コンパートメントの窓から見える景色は一面憂鬱なポストの原だった。かつて存在したとされるシベリアの広大なタイガは全てポストに置き換わってしまっている。遠くに赤黒く霞んで見えるのはシベリアンポスト山脈。鉄道を開通する際に撤去されたポストの残骸の上にポストが生え、自然崩落してはまたポストが生え……という工程が二百年以上に渡り繰り返された結果、シベリア郵便鉄道と並行するように1000メートル級の山脈が出現してしまった。
「はいアガリー」
 さっきからやっている、ナツキから教えて貰ったポストカリプス前文明のカード遊戯、ババ抜きはナツキの圧勝が続いていた。
「このゲームには何か必勝法でも存在するのか……?」
 俺は唸りながら再び配られたカードを手に取る。タグチは早々に酔って眠ってしまったので、俺とナツキとマナカの三人で遊び耽っていた。
「あったとしても教えなーい」
 一等客室は三メートル四方という列車のサイズから考えれば破格の広さで、中の調度も高級品とまではいかないが整っている。2階建ての車両をぶちぬいているので天井は高いが、建材に練りこまれた発光素子と増光素子が照明を賄っているため部屋の中に影はない。
「ナツキはそういうところは昔から変わってないねえ」
 とマナカ言った。俺はこいつにも負け続けており最下位を独走中である。
「ん……? 二人ってさっきが初対面じゃなかったか?」
「ああ――そうだったね。なんだか初めて会った気がしなくってさ」
 曖昧な顔に曖昧な笑顔を浮かべたマナカから、俺はカードを引き抜く。げえ、ジョーカー!
 俺がジョーカーをナツキに引かせようと一枚だけさり気なく突き出したその時、列車が短いトンネルに突入し、気圧差で耳鳴りが発生した。耳鳴りどころか、まるで頭の中で誰かが怒鳴っているかのような感じだ。横を見るとナツキも頭を抑えていた。
「おや、二人とも大丈夫? なにか飲み物でも買ってこようか?」
 耳鳴りが酷くてよく聞こえないが、俺はとりあえず頷いた。
「じゃあちょっとこれを借りるよ」
 マナカはナツキの首からぶら下げている物をひょいと取ると、そのまま客室から出て行く。ますます強くなる耳鳴りに俺は頭を抑えてうずくまることしか出来ず、ナツキがマナカの後を追おうと立ち上がっては座る、その混乱している様もどういうことか理解する余裕はなかった。

 マナカ・タダナオは、〝この世〟の人間ではない。
 全人類がその二重螺旋に宿す郵便番号、概念住所を世界で唯一持たない存在である。概念住所を持たないということは、あらゆる郵便――即ち情報のやりとりから無視されるということだ。事実、生物学的なマナカの母親は自身が妊娠した事実にすら気付かずに臨月を迎え、出産した。幼少期をどうやって生き延びたのかマナカ本人にすらその記憶はないが、物心ついた時には既に郵政省の研究所で育てられていた。
 〝突破した者達〟のテクノロジーを解析し、それを再現するだけの能力を持った郵政省ですら、マナカの正体を把握出来なかった。何故、万人が持つ郵便番号が遺伝子に刻まれていないのか。何故、それでも生きていられるのか。そこに関わっている力とは何か――。
 調査が終わる前に第四次環太平洋限定無制限戦争が勃発し、マナカはその特性を買われて諜報員として戦いの裏で暗躍した。だが郵政省は途中から敵性国よりも、謎の敵との戦いに重きを置くようになっていく。ポストを用いたテレポートをする際に襲い掛かってくる存在、『手紙の悪魔〈メーラーデーモン〉』である。そしてその謎の敵すらマナカを無視した。故に彼はカンポ騎士団の郵聖騎士として叙任され、アルティメット・カブ『ツァラトゥストラ』の配達員〈ポストリュード〉となった。

「久しいね、トリスメギストス。なんでそんな姿になってるんだい?」
 マナカは手に持つインカンに話しかける。
ナツキ達にかけた暗示をとっとと解け、このユウレイ野郎!
 電磁波、重力波、音波、念波、ニュートリノ、あらゆる波長で最大出力の警告音を鳴らしながらトライが言った。ナツキやヤマトの頭痛の正体はこれである。
「口の悪さは直ったはずじゃなかったの? あとうるさいから少し声落としてくれないかな」
 マナカが顔を――顔、と呼んでいいのかも分からない曖昧模糊な物をしかめながら言う。
 情報を発しても何も返してこない存在は、一般的には虚無として扱われる。だがマナカ自身には意識が備わっており、その虚無から情報を発してくる。すると人の意識はどうなるか。虚無の中に確かに存在する〝何か〟を、この世の物とは違うレイヤーに立つそれを理解しようとして、自らの認識を歪め出す。自分が理解できる存在を一から想像して、それをマナカという虚無に被せることによって深淵に飲まれることを避ける。いわば精神の自衛作用だ。
「だから別に俺が暗示をかけてる訳じゃないんだよ。不可抗力ってやつでさ」
『ツァラトゥストラの演算能力を借りれば仮初の〝皮〟を被れたはずだ。そうせずに近づいてきたということは貴様は俺達に対して何らかの害意があるとしか見なせん』
 現在機体を失ったAIであることが幸いして、トライはその〝不可抗力〟を受けなかった。トライから見た――いや〝見えない〟マナカは喋る時だけ水面に顔を出す魚のように感じられる。黙ると――情報の発信を止めると、水面は波一つ立てずに凪ぐのだ。
「ああ、ツァラトゥストラ。あれはもうない」
『……なんだと?』
「俺もあのポストカリプスが起こった時に休眠についたんだ。ただ概念住所を持たない俺は〒空間に入ることが出来ないから地殻の中でね。で、しばらく経ってからツァラトゥストラの警告で目を覚ましたんだけど、目の前に黒いガブリエルがいてさ」
『ダーク・ガブリエルと接触したのか!?』
「うん。それで俺は相変わらず無視されたんだけどツァラトゥストラだけは持って行かれちゃったよ」
 ツァラトゥストラはマナカの特性に合わせた隠密性特化型機体だ。その休眠モードを見つけ出すとは、普通のアルティメット・カブには――あのミネルヴァにすら不可能なはずだった。サハラでトライ達がミネルヴァに襲撃されたのは重力エンジンを派手に吹かしてしまったのが原因だ。
 そこまで考えて、トライは気付く。モスクワでメリクリウスに襲われた理由は、まさか。
「そうだよ、俺がパトリックにナツキちゃんたちの情報を流してあげたの」
『――貴方は、何がしたいのですか。何を目的に動いているのですか』
「お? 冷静になった? 俺の目的なんて昔から一つさ」
 マナカは変わらぬ調子でそれを口にした。
「この、何もかもが『郵便』と紐付けられた狂った宇宙から逃げ出して、俺本来の居場所に戻ることだ。
 郵西暦から郵の字を取り払った、本来の世界線にね」

続く

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