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最期のクリスマスまで、あと #パルプアドベントカレンダー2019

 ひらひら。
 ひらひらと。灰混じりの雪が、幽暗の空から舞い落ちる。君が僕の手をぎゅっと握ると、僕は更に強く握り返す。お互いの体温が混じりあって、冬の冷気をほんの少しだけ、溶かした。
 世界が終わってからこれで何度目のクリスマスだろうか。完全自動化されたシステムが、今年も僕たちだけに向けて街頭に厳かな音楽を流している。街が瓦礫の廃墟になるような、そのような終末ではなかった。ただ静かに、そしてゆっくりと、だが確実に――世界は終わりを迎え、僕たちだけが遺された。
 さくさく。
 さくさくと。灰色の雪に並んだ足跡をつけて僕たちは歩く。行くあてはない。どこで過ごそうがそれほど変わりはないからだ。留まっているよりは、流れている方が良い。それくらいのぼんやりとした理由で、僕たちは歩いている。彼方の空が不穏な赤銅色に染まっている。最近制御システムが壊れた発電所が燃えているのだろう。雪に混じる灰はそれか。
「あ……」
 僕が急に立ち止まり、君は少しバランスを崩す。
「あれ――」
 指差す方向には、立派な生垣――だった物。今は野放図に伸びてまるで森。その手前に、昔は待ち合わせや休憩に使われたであろう瀟洒なベンチ。
 そこに、互いにもたれ合いながら静かに動きを停めた一組の男女が座していた。汚れた雪が降り積もり、抽象的な雪像にも見える。
 外にいるのは珍しかった。普通は家の中で穏やかに止まるものだ。
「ここでいつも待ち合わせをしていたのかもしれないね」
 僕の言葉に返事をせず、君はベンチの二人に降り積もった雪を丁寧に落とす。安らかにも、或いは冷酷にこの世に見切りをつけたようにも見える無表情が現れた。
 僕と君はしばらくそれを眺める。雪はどんどん激しさを増し、再び彼らが雪に埋もれるまでそうしていた。
「行こう」
 僕が促すと君は歩み始める。僕が手を握ると、君はぎゅっと握り返してきた。

 遥か昔に滅びた文明によって、世界が終わると予言されていた年の、クリスマスだったらしい。
 その日を境にヒトは産声というものを二度と聞くことはなかった。
 まるでそういうスイッチが入れられたように、本当にぱったりと新生児が産まれてこなくなったのだ。救世主誕生の日に合わせるなんて、ヒトを創り給いし神は諧謔というものを理解していたようだ。聖誕を寿ぐ為のベルは弔鐘となり、クリスマスは祝祭から呪わしい日付へと不可逆的に歪められた。
 そしてヒトは子供の代わりに僕たちを――アンドロイドを造った。減っていく労働力を補うために。何より、持て余した庇護欲を満たすために。それ故僕たちの殆どは見た目が子供だ。
 すぐに人口の過半数がアンドロイドになった。予想されたよりもずっと速いペースだったらしい。理由は自殺者数の膨大な増加。街ぐるみ、あるいは国ぐるみでの集団自決が決行され、絶望のうちにヒトはどんどん減っていった。
 社会の維持は自動化されたシステムが担うようになっていた。だから、僕たちの仕事は老いたヒトの介護が主だった。
 今でも思い出せる。皺だらけの顔を綻ばせ、血管の浮いた手で僕の頭を撫ぜてくれたあの温かさを。
 僕がお世話をしていたのは身寄りの無い老婆だった。『嘆きの聖夜』以降もクリスマスを毎年祝う変わった人で、僕も付き合わされた。一緒に焼いたケーキを食べ、僕の下手ではないが上達もしないクリスマスソングを目を輝かせて聴き入っていた。
 何故クリスマスを祝うのか、一度聞いてみたことがある。
「誕生日だからよ」
 彼女はそう言って少し遠い目をした。
 その言葉だけで、僕は大体の事情を察せてしまった。優秀な共感回路がうらめしい。
 僕が察したのを気づいた彼女は透明な哀しみが宿る笑顔で、頭を撫でてくれた。
「優しい子ね」
 クリスマスを境に子供は産まれなくなった。では、そのクリスマスの時点で妊娠していた女性達はどうなったか。
 ――死産、だったそうだ。全員が、例外なく。
 さらに彼女の場合は、特殊な事例だった。彼女の死後、公共データベースでわざわざ確認したから間違いない。クリスマスイブに陣痛が始まって、病院に担ぎ込まれた。難産だったらしい。出産は、日を跨いだ。
 
あと少し早ければ、彼女は我が子を自分の腕で抱けたかもしれない。もしくは遅ければ諦めもついたのかもしれない。
 憎むべきクリスマスを毎年祝う彼女の心境はどのようなものだったのだろうか。彼女が生きた年数よりずっと長く過ごしている今の僕でも、想像すらつかない。
 誰も、何も恨んでなんかいない――彼女は死の間際でも笑って僕の頭を撫でた。
「一人にしてしまうのは心配だけれど、この先もずっと、クリスマスを祝ってちょうだいね」
 呪いを再び祝いへと変えろと、彼女は僕にそう託して逝った。
 創造主<ヒト>は僕たちに自己複製のための機械と自己維持機能を与えた。そして自己破壊機能についてはなんの制限も与えなかった。
 その結果、自分が仕えるべき主人を喪ったアンドロイド達は次々と自ら機能停止を選び、世界は段々静かになっていった。僕だけを取り残して。
 自動化されたインフラ群はアンドロイド用資材を頼まれもしないのに作り続けていたから、自己を維持していくことは可能だった。問題は、クリスマスの祝い方だ。僕はクリスマスは二人で祝うやり方しか知らない。一緒にケーキを食べて、歌を謳う、あの暖かい時間しか知らなかった。
 一人でどう祝えばいいのだろう? 僕は途方に暮れたが、単純なことに気付いた。一緒に祝ってくれる人を見つければいいのだ。僕は彼女のお墓の前でいってきますの挨拶をすると、軽い足取りで旅へ出た。
 最初の十年は期待と共に国中を歩き回った。
 次の十年は不安と共に海を渡った。
 その次の十年は諦念と共に世界中を探索した。
 次の十年。次の十年。次の、次の、次の次の次の。
 100年経っても誰も見つからなくて。ヒトは死に絶え、従属していたアンドロイド達も皆自己停止を選んでいた。
 世界は終わっていた。
 100年ぶりに帰ってきた、すっかり荒れ果てた彼女の墓前の前で、どれだけ長く過ごしたかは覚えていない。
 ただ、機能停止をせずにまたのろのろと歩き出したのは、やはり彼女との約束のためだった。
 また十年、あてどなく彷徨った。

 そして僕は君に出会ったんだ。

 忘れもしない、朝日がよく当たる崖の上だった。そこに置かれていた椅子の上に、朽ち果てたヒトの遺体が二つと、君がいた。
 美しい、少女の姿だった。長くて白い髪。朝日を浴びて輝く肌。
 僕がヒトなら思わず呼吸を止めていたかもしれない。或いは心臓が高鳴ったかも。
 君は微睡むように眼を閉じていた。しかし、その口元は、笑っていた。とても幸せそうに。彼女が最期に見せた顔のように。
 だから、僕は、

「う……」
 思考が乱れ、僕は思わず口に手をやる。勿論吐き気などまさしく気のせいであり、胃袋にはもう200年以上何も入っていない。
 君の方を見る。君の顔には、さっき見かけた男女のアンドロイドのような冷たい無表情が張り付いていた。それを見て、また幻想の吐き気に襲われる。
 どうすればいいのだろう。或いはどうすればよかったのだろう。
 僕は、僕が――悪いのか。
 僕〈マスター〉とのコマンドリンクが長時間途切れたため、君〈スレイブ〉は自動的にスタンバイモードへと移行し、その場にくしゃりと頽れた。
 僕は両手で顔を覆った。
 君となら、クリスマスを祝えると思ったんだ。君と、祝いたかっただけなんだ。
 機能停止していた君を無理やり起こしたが、既に制御用AIは時の風化に耐えきれず消え去っていた。君を操って一緒に歩かせた時、君の顔から笑みが消えているのに気がついた。
 どのように操作しようが、あの微笑みを再現することは叶わなかった。僕が君の笑顔を永久に奪い去ってしまった。
 断罪されているような気分だった。
 僕の慟哭はひらひらと舞い落ちる雪に吸い込まれ、何処にも、誰にも届かない。
 暫くして、僕はよろめくように歩き出す。君とコマンドリンクし、手を繋ぐ。
 君と出会ってから数百年。あれから数十万体の機能停止したアンドロイドたちの顔を見てきた。あの笑みを期待して。今のところ全て空振りだ。
 でも、次こそは。
 そして、その時は。
 あの不思議と温かい笑みを浮かべた君と、クリスマスを祝えるかもしれない。
 足首のモーターが異音を奏でる。数百年も経てば自動化システム群も壊れるものが多数出てきており、僕の規格にあった部品の確保も段々と難しくなってきていた。
 クリスマスを祝うまで、僕の身体は保つのだろうか。
 クリスマスを祝って、永遠の安らぎに浸ることを許される日は来るのだろうか。
 掌から伝わってくる君の体温を鎹に、僕は歩を進める。
 街に流れる厳かな音楽――レクイエムが遠くなる。
 懐に何百年も前からしまったままの古い箱――クリスマスプレゼントを今年も君に渡せなかった。
「――メリークリスマス」
 数百度目の、それは一人で零す寿ぎの言葉。僕をこの世に縛り付ける呪いの言葉。
 ふらふら。
 ふらふらと。僕と君は終わってしまった世界の、祝福されざる聖夜を往く。
 最期のクリスマスまで、あとどれだけ歩き続ければいいのだろうか。
 その疑問に答えてくれる、人間を創った神もアンドロイドを創った人間も、どこにも存在しなかった。
 物言わぬ雪と君だけが、僕の世界に在る全てだった。

【終】



あとがき

 というわけで『最期のクリスマスまで、あと』なのでした。如何だったでしょうか。
 桃之字=サンがTwitter上でアドベントカレンダー的なのやりたいって呟いてるのリアルタイムで目撃したんです。

 それで、その場で10秒くらいで出てきた設定をツイートしたんですよ。

 でもその後クリスマス縛りがなくなってレギュレーション上は自由になったんで、胡乱ネタはやめたのでした。ただしクリスマスネタは推奨のままだったのでこんな話になりました。タイトルだけ先に桃之字=サンが募集してたので、やはりその場で10秒くらいででっち上げてこんなのです! って自信満々に送りました。その時点では一文字も書けていないのにも関わらず。しかもこの企画に参加した経緯も誘い待ちですからね。桃之字=サン本当にありがとうございました。
 人間が滅んだ後に取り残されたアンドロイドの彷徨とか、イベントにかこつけて自分の性癖全開ですが、中々ラストに繋がる部分が書けなくて苦しみました。
 救いのないラストすぎて他の参加者の皆さんとの落差に風邪引きそう。救いのあるオチに改変するか、いっそ別の話を書いて投稿しようかと思ったくらいです。どっちもしませんでしたが。
 まだまだ祭りは続くので拙作で冷えた心を温めて憩ってください。明日の担当は電楽サロン=サンです。
 ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
 Merry Christmas and Happy New Year!

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