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絶罪殺機アンタゴニアス外典 〜押し潰されそうな空の下で〜 #9

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 衝撃――意識の空白。
 暗闇――覚醒。
 気づけば、『 』は戦っていた。だが、何と戦っているのかは理解出来なかった。自分の認識能力では把握出来ない。ただ、「彼ら」としか呼べないものと飽くなき闘争を繰り広げていた。
 現在の『 』は人の数百倍の体躯を持ち、3400トンもの重量からは考えられぬ高速で移動し、その航跡に黒紫の曼荼羅の様な残光を残す。これは――何か。そう思考すると、意識が何処かと結びつくのを感じた。
『Antagonias』。
 空白になっていた自己にその銘が挿入される。
 ――ザッ。
 ノイズ。空白。覚醒。
 記憶――『母』に頭を撫ぜられる、感触の記憶。混乱する。何故なら、自分の母に撫でられた時、確かに幸福を感じていたはずなのだ。地下牢に閉じ込められてはいたが幸福と――そう呼んでしまっても構わない十年間だった。メタルセルユニットに覆われ、多数の貧民が食料配給券を巡って争う餓鬼道の如き巷の生活に比べれば、ずっと。
 だが、今『 』が感じているのは――ぞっとするほどの冷たさ。いや、直接撫でられた訳ではない。『母』とは生きているうちには、出会わなかったのだから。
「母はおなかがすいたの。とてもとてもすいたのよ。『アーカロト』、我が子よ――ひとつ、喰われてくれないか?」
「混じっている」。第五の絶罪殺機アンタゴニアスの繰り手、アーカロト・ニココペクと〈原罪の欠片〉内臓獄吏継承者、ヒュートリア・ゼロゼアゼプターの記憶が。
 罪業は何に宿るのか。古代よりそれは研究され続けてきたが、答えは未だ出ていない。罪人の身体の一部を切り離した後、処置を施して生かしておくとその部位は罪を持つ。内臓獄吏はその原理の応用で造られた存在だ。遺伝子に罪業を宿し、罪を継いでゆく。その際、継承者の記憶もコード化し次代の内臓獄吏の一部となる。言うまでもなく、記憶や人格なども罪業を構成する重要な要素だからだ。
 本来ならば劣性遺伝子として人々の間に潜み、確率で覚醒する内臓獄吏だが緊急時――即ち子孫を残さずに継承者に生命の危機が訪れた時、最も手近な罪人に遺伝子を撃ちこむ機能が備わっていた。人世に罪を絶やさぬ為に作り出された内臓獄吏の、執念と呼んでも差し支えないだろう。
 アーカロトとヒュートリアの記憶が混濁しているということは、内臓獄吏が大罪人を掌握しつつあるのだろう。
 ――ザッ。
 また場面は切り替わる。
 戦い。戦い。戦い。殺し。殺し。殺す。
 絶罪殺機の繰り手の記憶は闘争に塗れていた。しかし侵食/解析が進み、ついにそれにも最期が訪れる。
《並列多元罪業変換機関/起動》《出力臨界》《無限蛇システムへの強制接続開始》《メタルセルユニット生産開始》
 ――ああ。
 これは。この記憶は。
 世界の終わりだ。
《――ワールドシェル、発動》
 そしてアーカロト/アンタゴニアス=ヒュートリアは、自らがたった今人類から永遠に奪い去る場所を最後に一度だけ、
 見上げた。
 ――大小様々な形の、白いものが浮かんでいる。あれは、そう、『雲』というのだ。強烈な光源――太陽に照らされて、地上に深い陰影を落としている。果てしなく広く、深く、そして青い。夢や現実や希望や絶望や生や死を全て孕んでなお余りある。遥か彼方、銀色をした球体が薄っすら浮かんでいる。月だ。
 空。
 求めて、焦がれて止まなかった場所。それがこんなにも近くに在る。
(ああ――)
 アーカロト/アンタゴニアス=ヒュートリアは、怯えるように、或いは乞うようにその手を空へ伸ばす。
(やっと夢が、叶った)
「んー。おめでとう、と言えばいいのかねえ? ヒュートリアちゃぁん」
 その瀟洒な男は、何の前触れもなしに視界に現れた。
(な、なんで、ここに)
「夢を追い求めた君の生涯が今ここで報われた訳だねぇ! だが、夢を果たした君には何が残っているのかな?」
 男は――クロロディスは答えずにその舌を振るう。
「はっきりと言ってしまうと君は予備でねえ、ヒュートリア・ゼロゼアゼプターちゃぁん。その予備がここまでの成果を挙げるとは、いやはや内臓獄吏を見くびっていたと言う他あるまいて! 私は最期にそのことを褒めに来たのだよ!」
(さい、ご?)
「興味深いデータが収集出来たので、私はお暇することにするよ。二度と会うことなはないのが実に寂しいよ、ヒュートリアちゃぁん。さようならだ!」
 現れた時と同じ唐突さで、クロロディスは消え去った。
 ヒュートリアは先ほどまでとは打って変わった不安な気持ちで空を見渡す。
 そして気付いた。これは空の青ではない。このアズールブルーは、自らの罪の色。ヒュートリアの罪業場の光だ。
(――あ、え?)
 自らを守るために、咄嗟に展開された罪業場はしかし徐々に減衰していく。
(どうなって……)
 全ての絶罪殺機には、罪深き魂のみを選別し聖域(じごく)へと速やかに葬送する機能が備わっている。
 アーカロトはマイクロニードルによる奇襲を受けたと同時に発砲し、内臓獄吏にとどめを刺した。肉体と未だ紐付いていたヒュートリアの魂、根源的主観が収穫される時が来たのだ。
(いや……いやだ。せっかく、おそらがみられたのに)
 泣きじゃくりながら見上げる。だが、そこは既にワールドシェルに――アーカロトの大罪に覆われた、押し潰されそうな空が広がっていた。
(ああ……ああああああああ……)
 ヒュートリアの魂とも不可分に結びついていた内臓獄吏のコドンすら分解が始まる。月の餓鬼たちへの供物とされるために。
 ヒュートリアは、自らを覆う罪業場を一旦解除すると真上に再展開した。
 見上げる。
 見慣れた、偽物の空。本もののそらにはくらべものにならない。けれど、これもやっぱりきれいだなあ。
 果てしなく青い空が、見たい。それが幼い頃から、そして〈原罪兵〉となった今も変わらぬ彼女の――ヒュートリア・ゼロゼアゼプターのたった一つのささやかな願いであった。
 ――そして、それが叶った時、彼女は死んだ。

 † † † †

 結論から言ってしまうと、今回の「狩り」は大失敗であった。ギドの苦い顔というのを、アーカロトは出会ってから初めて見た。そもそも今回の仕事は〈組合〉の幹部の子息が殺された報復として依頼されたものだったが〈組合〉自体がこの前の酒場での一件でその屋台骨が揺らいでおり、報酬どころの話ではなくなっていたのだ。
「むぐむぐ。骨折り損のくたびれ儲けというわけか」
「あ、アーカロトさま! さいころをたべてはいけませんわ! すごろくのにかいせんめをやりますのに! ぺってしてくださいまし」
「ばつゲームでジジイにさけのませようなんていいだしたのだれだよ……」
 カルがドン引きしながら言う。
「いやーこうなると面白いんだわこいつ」
 ゼグが更にアーカロトに酒を流しこむ。
《繰り手の血中アルコール濃度が上昇。意識の酩酊を確認。警告:任務遂行能力が無視しえぬほど低下する恐れあり。可及的速やかに〈接続棺〉へ帰還し、アセトアルデヒドの強制分解措置を受けられたし》
「がぼがぼ。……ところでシアラ。君は――空というものを知っているか?」
「そら?」
 唐突な質問にきょとんとするシアラ。青い血脈の少女はしかし、すぐに笑顔になって答えた。
「しってますわ! おそらはあおくて、くもがあって、どこまでもつづいていて、てんごくもそこにあるのですわ!」
「天国ぅ~? うっさんくせえ。だいたいどこまでも続いているってどういうことだよ。殻ん中なんだから絶対に果てがあるだろ」
 ゼグがもっともなツッコミを入れる。
「わたくしにいわれましても……それで、おそらがどうかしたのですか?」
「――君は、空が見たいと思うか?」
「はい! みたいですわ!」
 シアラは元気よく即答した。
「……そうか」
 アーカロトは目を瞑る。ヒュートリアがこちらの記憶を感じていたように、あの時アーカロトにも彼女の記憶が流れ込んできていた。空に恋い焦がれた、罪人の想いが。アーカロトの身体中に刺さったマイクロニードルは既に〈接続棺〉で浄化したが、記憶だけは残った。
「でも、わたくしは、セフィラのおそらもすきですわ。ずっとずっと、へやのなかでくらしてきましたから、はじめておそとにでたときに、あまりのたかさにめまいがしましたわ!」
「でも、この世界の空は偽物だ」
「おそらに、ほんものやにせものがありますの?」
 シアラの無垢な質問に、アーカロトは答えに詰まった。
「ひろくて、きれいで、くるしいとき、うれしいときにみあげるばしょ。それがおそらだと、おじいさまにならったのですわ。むかしむかしの、はてしないそらも、いまのセフィラのそらも、だったらおなじおそらだとわたくしはおもいますわ」
 アーカロトは、シアラのその答えに固まった。そして、
「あーじぃじないてるー」
「ないてるー」
「シアラがなかしたー」
「わたくしのせいですの!?」
「いや、これは泣き上戸ってやつだな。ジジイになると涙腺が脆くなるんだろう。おら二回戦目やるぞ。次こそは勝つ」
 大罪を犯し、アーカロトは賭けに勝った。その結果、人類は今日もこうして存えている。
 罪深く、重苦しく、押し潰されそうな空の下で。
 アーカロトはサイコロを振る。
「内臓獄吏にやられる。一回休み。やれやれ誰だい、こんな悪趣味なマスを作ったのは」
 子供達は一斉にアーカロトを指差した。


絶罪殺機アンタゴニアス外典 〜押し潰されそうな空の下で〜 
『Beneath the Sinful Sky……or Under the Heavenly Air』is the END.

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