見出し画像

絶罪殺機アンタゴニアス外典 〜押し潰されそうな空の下で〜 #1

 絶罪殺機アンタゴニアス目次へ

  果てしなく青い空が、見たい。
 それが幼い頃から、そして〈原罪兵〉となった今も変わらぬ彼女の――ヒュートリア・ゼロゼアゼプターのたった一つのささやかな願いであった。
 ――そして、それが叶った時、彼女は死んだ。

 ヒュートリアが初めて人(ツミ)を殺(オカ)したのは、15歳の時のことだ。罪人の穎才たる〈原罪兵〉にしては、かなり時期が遅い。理由は単純で、それまでは両親に匿われ隠され育てられてきたからだった。
 罪業エネルギーが思想からインフラまでもを掌握するこの世界において、子供とは愛され慈しまれながら育てられるモノではない。子殺しは大罪だ。故に緊急時のエネルギー源として利用価値が高く――その観点から大事には、される。愛してはならぬ。慈しんではならぬ。
 ヒュートリアは未熟児として産まれた。そしてある程度まですくすくと育ち――5年目でその成長は完全に停止した。〈法務院〉が提供する医療の質は極めて高い。病気等で死なれても罪業は発生しないからだ。長生きして人を殺すか、殺されるかして貰わなければならない。だから当然、ヒュートリアも徹底的に検査された。そして判明したのは先天性幼形成熟〈ネオテニー〉という病名と、自己免疫系不全とペプチドのミスフォールドが複雑に絡みあった症状であり、治療は不可という事実であった。
 市民IDを持ち、ある程度の裏表双方へのコネがあった両親は、そこで判断を違えた。愛と慈しみ故に。検査結果を揉み消し、表向きはヒュートリアを死亡した事にし、実際は邸宅の地下に作った部屋でひっそりと育てたのだ。身長も体重も全く増加しなかったが、知能だけは幸い常人と変わらぬ発達を遂げた。唯一の娯楽は父が与えてくれる様々な失楽園前の禁書たちだった。そこに描かれている様々な物語に、ヒュートリアは魅了された。特に、頻繁に出てくる『青空』という言葉に。
 どのような、ものなのだろう。それは果てがないのだという。白い『雲』が浮かんでいるのだという。書物の中の人物たちは夢や現実や希望や絶望や生や死を其処に託していた。相反する概念も全て受け入れる場所なのだ。極めて歪な環境で育った少女の憧れは、やがて祈りから信仰へと至った。
 閉じ込められてはいたが幸福と――そう呼んでしまっても構わない十年間だった。メタルセルユニットに覆われ、多数の貧民が食料配給券を巡って争う餓鬼道の如き巷の生活に比べれば、ずっと。
 幸福の終わりには、当然悲劇が付き纏う。
 近隣の住人による密告だったと思う。もしくは単にバレたのか。真相は分からない。ただ、両親は思考警察より先にやってきた〈原罪兵〉によってヒュートリアの目の前で凌遅拷問台にかけられて絶命し、そしてヒュートリアも同じ装置に括りつけられそうになった。
 その時――ヒュートリアの遺伝子の中の〝なにか〟が、目覚めた。
 〝なにか〟は身体の成長に回されるはずだったエネルギーを貯め込んでいた。十年もの間、ずっと。ヒュートリアの幼い両腕の筋肉が異常な隆起を示し、びっしりと縦横に毛細血管が浮かび上がる。血管は破裂し、青い痣を作り、皮膚を裂いて血飛沫が霧散し――気づけば〈原罪兵〉は罪業場を展開する暇もなく首を〝取られて〟死んでいた。ヒュートリアは無表情に、ずぶずぶと首の断面に手を埋めると、一息に脊椎を引き抜いた。そこに〝それ〟はあった。奇形腫の如き肉の塊――罪業変換器官。罪から熱を取り出す、種のない奇跡の仕掛け。
 〝なにか〟の活性化と同時に様々な知識もRNAからデコードされヒュートリアの海馬に刻み込まれていた。だから、あとはやるだけだった。

 ヒュートリアは、自ら生み出したアズールブルーの罪業場を用いて、生家を両親と原罪兵の死体ごと消し去った。
 そして自ら〈法務院〉へ出頭し、正式に〈原罪兵〉として登録された。

続く

PS5積み立て資金になります