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「教育におけるAI活用」に対する基本的な考え(2023年11月版)

某メディアから取材を受けることになりました。事前に記者さんからの質問に答えるメールを書いていたら、それなりにガッツリしたものが書けてしまったので、少し編集してこちらにも載せておきます。期せずして、生成AIの教育利用に対する基本的な考えを書くことになりましたので。


ガイドラインを意識するか

授業で生成AIを活用するとき、正直なところ、あのガイドラインはそこまで意識していません。

と言うのも、あのガイドラインは「暫定的な」「機動的に改訂」として出されましたが、7月以後そのまま放っておかれています。(中では色々やっているのかもしれませんが。)

その間に生成AIの方が飛躍的に進化を遂げています。新しくできるようになったこと、改めて見えてきた大切なこと等を考えると、ガイドラインの方を見ているよりは先を見据えた方がいい実践ができるでしょうし、附属としてはむしろ「ガイドライン改訂の参考になるような先進的な実践を行うこと」の方が大切ではないかと考えています。(まあ、ガイドラインを無視はしませんが。)

ついでに書くと、あのガイドライン最大の問題点は、生成AIを「情報活用能力」の枠組みで捉えようとする傾向が強すぎることではないかと感じています。学習の基盤となる資質・能⼒として情報活用能力が位置づけられているのは重々わかっていますが、生成AIをそこからだけ捉えるのは無理ですし、どちらかというと問題発見・解決能力がなければ使いこなせないことの方が重視されるべきだと思いますし、言語能力だって問われます。

色々考えると「早く予告通り改訂されないかなぁ」と思ってしまうわけで、私としては「ガイドラインを待つのではなくて、2,3歩先を行こう」と思うわけです。

授業における生成AI活用が有効に機能するためのポイント

小学校の場合、児童に直接、AIを触らせるわけにはいかないので、「教師が使い、その結果を共有する」という形を取ります。また、小学校には「情報」等の教科があるわけではないので、既存の教科の授業で、その教科の目的を達成させるのに役立つようにAIを使うことが求められます。そうした条件を勘案した上で、私がAIを授業で使う上で有効だと思うポイントは以下のようなことになります。

◯意見やアイディアをAIに求める

これまで教室には先生と児童しかいなかったわけですが、そこに第三の存在として生成AIが入ってきました。「足りない視点を見つける」ということもありますが、それ以上の効果もあります。例えば、友達が相手だと気を遣って言えないようなことも、生成AIが相手であれば児童は遠慮することなく批判的な意見を言うことができます。これを利用して、国語や道徳などの教科で児童の議論を活性化させるといった活用をしてきました。

或いは、児童と同じ課題を生成AIにやらせてみる。不十分なものが出来上がってきたらそれを批判的に見ながら自分の成果物をブラッシュアップさせる。そんな使い方が有効です。

◯児童の意見を分析して即座に返す

ガイドラインが出された直後にCode Interpreterが実装されましたが、これはかなり画期的でした。ご存知の通り、例えばExcelファイルを読み込んで分析する、といったことができるようになったわけですが、これによって授業のスピードが俄然上がりました。

これまでも授業のふり返りをオンラインフォームで集約することはありましたが、(ものによりますが)集約されたデータは35人学級だとなかなかの分量になります。これを教師が即座に読みとることは不可能なので、授業が終わった後にゆっくり読んで、次の授業でそこから大切なことを抽出して紹介するような使い方しかできませんでした。

しかし、Code Interpreterの登場でそこは大きく変わりました。今は以下のような流れで行っています。

  1. オンラインフォームで児童から意見を集約する場面を授業の中盤にもってくる。

  2. 児童からの回答をダウンロード。

  3. 児童の名前、アカウント等個人情報を削除。

  4. AIに読み込ませて分析させる。

  5. AIが出してきた回答を児童に紹介。

  6. AIが出してきた回答の妥当性を更に児童に考えさせる

つまり、これまでは次回の授業まで待たないとできなかったことが、今回の授業の中でできてしまう、といったことが起こっているわけです。

◯授業研究

これは授業前後の話になりますが、指導案、児童のふり返りといったデータをAIに読み込ませて授業研究を行うことが非常に有効です。

先日、公立小学校に頼まれて研究授業の講師をしてきました。1週間くらい前にその学校の先生から指導案が送られてきたのですが、それをAIに読み込ませて「この授業の期待できるところと課題をあげてください」と入力すると、それなりの答えが返ってきます。そこから更に質問を重ねていって出てきた答えを元に講演の内容を組み立てました。

ChatGPTの画面を見せながらそういう話をしてそれだけでかなり驚かれましたが、先週、私が行った国語の授業の教材文と指導案、児童のふり返りをAIに読み込ませ、「この授業の成果と課題を教えてください」と入力し、結果を出させるのを実演したのも衝撃だったようです。AIが瞬時に「授業の成果と課題」を出してくる様は驚愕をもって迎えられました。

もちろんAIが出してきた答えを読み解くのにはそれなりの知見が必要になるので、初任者がすぐにAIだけで授業研究をできるようになるとは思いませんが、授業研究がかなり変わってくるのではないか、という予感がしてきています。

生成AIを活用する中での問題点

他方、小学校でAIを活用することの問題点としては以下のようなことが考えられます。

◯AIの進歩が早すぎる

とにかく進歩が早いので、「これはいい!」と思ったことが1週間で「もっと簡単にできるようになった!」のようになることがあります。まあ、これは多くの学校の先生は気にしなくていいのかもしれませんが。

◯教科の目的を達成させることに役立たせつつAIについても学ばせなければならない

これが一番むずかしいと思います。どの教科でもAIを使える場面はありますが、やはりAIを使うことがその教科の目的達成に有効でなければ使う意味がありません。そうした場面を探し、授業に実装するのはなかなか大変です。

◯どうやってAIについて教えるか

小学校の算数で割合、統計といったことが出てくるのは5・6年生です。それとて初歩的なものですから、AIの仕組みについて教えるといっても「AIはディープラーニングしたデータから統計的に云々」と言ってもかなり厳しいと思います。私が担任している4年生であれば尚更です。現状、私としては「たくさんAIを使い、体験から『AIとはこういうものである』ということを体感させる」しかないように考えていますが、果たしてそれが正解かどうかはまだわかりません。

変えるべき発想

少し大きなことを書きます。生成AIの登場によって、我々はいくつか発想を転換しなければならないことに向き合わねばならないと考えています。

◯コンテンツからコンピテンシーへ

これは学習指導要領が改訂されるときから言われてきたことですから「今更?」という感じもしますが、どれだけ「コンテンツからコンピテンシーへ」と言っても、あまりピンと来ていなかったようなところがあったのではないかと思います。

しかし、生成AIの登場で、このワードは突如猛烈な切実感をもって再び我々の前に出てきたように感じています。何しろ、この世界のありとあらゆるコンテンツを飲み込み、人間が生成しようとするコンテンツのかなりの部分を作れてしまうものが登場してしまったわけですから。

「では、これからの時代にはどんなコンピテンシーが必要なの?」という問いに我々は真剣に向き合わなければならないでしょう。それはやはりかなり大きな発想の転換を伴うものだろうと思います。

◯AIを使えば使うほど人は考えなくなる…わけがない

私のAIを使った授業を見てくださった方からしばしば言われることに「AIを使ったら考えないようになってしまうのかと思っていたのですが、逆なんですね!」というものがあります。

「AIを使ったら考えないようになってしまう」という発想を持ったことがなかったので、初めて聞いたときは「え?」と思いましたが、なんとなくそうした発想を持ってしまっている人は、実は結構な数いるのかもしれません。

だとしたら、その意識を変えていかねばなりません。もちろん使いようだと思いますが、AIを使えば使うほど考えるようになりますよ。AIからより良い結果、より自分の望む結果を引き出そうと思ったら、プロンプトをどんどん改良していくことになります。

改良するためには、自分がそのことについて深く考えていかねばなりません。AIの進歩によって、かなり不完全なプロンプトでも望んだ結果を得られるようになっていくかもしれませんが、それはスピードが上がるということ。AIを使えば使うほど、本質的な「俺は何を求めているのだ?」という問いを考えるようになっていきます。

教師に求められるのは?

生成AIが進歩していく中で、教師の役割はどう変わっていくでしょうか?

「コンテンツを伝える存在」でなくなるのは当然ですよね。ある程度の個人指導も恐らく生成AIで出来てしまいます。協働学習のファシリテートも、もう少し技術が進歩したらAIを実装したロボットが出来てしまいそうな気がします。では、人間の教師がすべきことは何でしょうか?

「学びの楽しさ、面白さを伝える」ことなのではないかな、と思います。それには、学びのプロセスの中で、児童生徒に心から共感する存在が必要ではないでしょうか。そこにこれからの教師の役割があるのではないか。この辺り、もう少しうまく言語化できればと思っていますが、大枠ではそんなことを考えています。(これって結局、ICT×インクルーシブ教育の発想だよな、とも思ったり。)

おわりに

「ちょっと編集して」と書いておきながら、大幅加筆してしまいました。AIも使わずに。いやはや。

取材では、社会の授業を見ていただく予定です。玉川上水について学習する単元で、「玉川上水の水が引かれるようになって武蔵野台地はどのように変わっていったか」を考えます。児童が出してきたアイディアをAIに評価させ、これを児童に返して更に考えさせるということをやろうと思っていますが、さてどうなりますか。

それはそうと、この記事、わざわざ(2023年11月版)としました。それこそこれは「暫定的な」もの。「機動的に改訂」していかなければなりませんからね!

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