【ショートショート】絞った果実の残りかす
廊下から真っ暗な部屋に入ってきた私は、キッチンの簡易照明だけを灯した。
少しだけ肌寒さを感じていたが、暖房は付けなくていいだろう。今から火を使うし。
袋から取りだした果実を枝からもぎ取り、水を溜めた銀色のボウルの中に落とし込む。落ちた衝撃で底に一度だけ沈んだ其れは、すぐに水面にプカプカと浮かぶ。わたしは指でゆっくりと一つの果実を水の中に押し込んでみる。
緩やかな球体の表面に指はつるりと滑って、また上に上がっていく。
「セリ、また採ってきたの?」
居間の奥から掠れた声が聞こえた。ソファの影が暗闇の中ですこし膨らんだ。わたしはそれだけを確認して手元に視線を戻す。
「貴方は今日もずっと寝ていたのね、カノン」
「成長期だからね」
「二十歳も過ぎてるのにいつまで成長するつもりなのかしら」
ぺたり、素足が床に張り付く音がした。形の違う実たちを仕分けていく。形の悪いものだけを使うつもりだった。
ところが今回の収穫では傷んだ果実はさほどないようだった。採るのが早かったのだろうか。
渋々綺麗なものからも数十個つまんで鍋の中に入れる。
「君の成長期は完全に止まったみたいだよ」
暇なんだろう。睡眠と食事だけを繰り返しているカノンの口ぶりは、日々ミリ単位でズレていく。
コンロのスイッチを捻り、弱火に調整してから鍋の中の水の量を調整した。理想は果実が均等に水に浸るまで。
「ねぇセリ、煮込んだ葡萄の皮はどこへいくの?」
「消えちゃうのよ。跡形も残らずね」
「絶対煮詰めすぎただけでしょ」
水の表面にぷくりと泡が湧き始めたら、ヘラで果実をつつく。ぺたぺたと、カノンはこちらに近づいているようだった。
「そうかしら」
「姿が消えるほど煮込んでしまうなんて、君も随分執念深いよね」
「そうかしら」
今度はもう少し力を込めて、押しつぶすようにした。ぐしゃりと嫌な感触が右手に伝う。
「正解なんて誰にもわからないわ」
「君だって同じことさ」
「そうね。でも貴方もジャムを作ればわかるわ」
甘い香りがわたしを包む。カノンは顔を顰めてキッチンを離れていく。わたしは、次に鍋に入れる砂糖を秤にのせていく。
「嫌だね。君もそいつも、いつまで経っても甘いから」
再び暗闇の中へ消えていく。棘のある声は、やがて吐息に変わっていく。
わたしは、手のひらに少量の果実をのせて口に含む。まだ酸っぱいな、と顔が歪んで、再び砂糖の分量をはかりはじめたのだった。
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