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【超短編】第12話 石渡さん

美和が教室の扉を開けると、石渡さんが本を読んでいた。

まだ誰もいないだろうと思っていたので少し驚いて、挨拶が不自然に遅れてしまった。
「おはよう」
石渡さんは静かにこちらに視線を移すと、小さな声で「おはよう」と言い、また本の世界へ戻っていった。

美和は落ち着きを取り戻して、自分の席へと向かった。
教室の後ろには文化祭で使用した物品がまだ無造作に置かれている。先生に毎度注意されるが、誰も片付けようとしない。

室内がやけに寒いので、美和はコートを脱ぐのをためらった。見ると、教室の窓が全て開け放たれている。

石渡さんが開けたのだろうか?

そもそも、この時間帯の教室の様子を、美和は知らない。
普段は遅刻ぎりぎりに教室に入ってくるタイプだし、朝練の時は直接更衣室に向かうからだ。

今日は朝練がなくてよかった。
舞には、すぐにバレてしまうだろう・・・私の、赤い、目に。

今日は早く起きたのではない。眠れなかった。
家族にも会いたくなかったから、ひとりで朝ご飯を食べて家を出た。
それでも二番手だったとは。

美和はコートのままで自分の席に座ったが、どうも落ち着かなかった。
こんなに早く学校に来たことがないから、どうしていいかわからない。

美和は石渡さんを見た。

石渡さんは、ひと言でいうと地味だ。
石渡さんとはほとんど話したことがない。美和の知る限りの石渡さんは、成績は上位っぽくて、どうひいき目にみても女っ気がなくて、賑やかさでいうとクラスで三、四番目くらいの地味なタイプの女子グループの中に属している。
同じ年に生まれているはずなのに、お互いの世界が遠い。

美和は席を立つと、石渡さんの側に寄った。

「石渡さん、いつも早いの?」

石渡さんが明らかに狼狽しているのがわかった。やはりお互いに、そこそこの距離感を感じているようだ。
美和を見上げると、「うん」とだけ答え、視線を本に戻していいか迷っているようだった。

「窓、石渡さんが開けてるの?」
「うん」

「寒くない?」
「うん、けど、換気、必要だから」
「換気?」
「ストーブで、空気、悪いから」
「ああ、そっか。本、何読んでるの?」
「あ、これ?えっと・・・」

石渡さんがブックカバーを外し、表紙を見せてくれた。『怪しい来客簿』・・・そもそも本といえば漫画しか読まない美和には聞くだけ無意味ではあった。

美和は石渡さんの前の席の椅子に座った。
「石渡さん、私さあ・・・」

「昨日、徳島君に告白したんだよね」

石渡さんが狼狽を増幅させているのがわかる。けれど、美和はとめられなかった。

「知ってると思うけど、徳島君は明子と付き合ってるの。けど、文化祭での徳島君みたら、我慢できなくなっちゃった」
「ちゃんと告白してフラれたら、スッキリするかなあって思ってたけど、そうでもないんだね、難しいよね」
「って、こんな話、なんでいきなり石渡さんにしてるんだろ。ごめん」

なんで、石渡さんにこんな話してるんだろう?
舞なら、私の気持ちを全部受け止めて、慰めてくれるだろうけど、今回はなんとなく話したくなかった。
石渡さんなら、誰にも言わないから?ふだん仲良くないから、何の利害も発生しないから?
石渡さんを友達と思ってない自分がいるから?
最低だ・・・

「ごめんね。ごめん・・・」
美和はうつむいて、また目の奥がじんわりと熱くなってくるのを感じた。もう石渡さんを見るのが怖かった。

「あ、そうなんだね・・・徳島君、かっこいいからね」

美和が顔を上げると、石渡さんはとても困ったような、はにかんだような表情をして、席を立ち、教室の窓を閉め始めた。

閉まる直前の狭くなった窓の隙間から、びゅっと冷たい風が入り込んで、美和の目の奥を通り抜けていった。

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