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3度の飯がなによりも

3度の飯より〇〇が好き!という表現を、よく耳にします。
私は、3度の飯がなによりも好きなので、3度の飯より、の後に続く言葉を見つけることができません。

絵を描くこと、文章を書くこと、大切な人たちと話すこと、それは私にとってとても大事なもので、絶対に手放したくないものでもあります。
1日、1週間、1か月、何も描かず、何も書かず、誰とも話さなかったら、それはもはや私ではないように思います。
しかし、おそらく死ぬことはありません。
私が食べることに幸せを感じるのは、おいしいものを味わえることだけでなく、生きることを実感できるからなのかな…?と思いました。
だって何も食べなければ、人は呆気なく死にます。

食の幸せを倍増する方法を、私はいくつか知っています。
まず、大切な誰かと一緒に食べることです。
自分が作った料理を振る舞ったり、お気に入りのお店に一緒に行くのもいい。
不思議なことに、大切なあの人と食べるご飯は、例えコンビニ弁当でも、おいしく感じるのです。
寒い日、部活終わりに友達と食べたピザまんの味。
放課後、家に帰って母と食べた手作りのスイートポテトやクッキー、鬼まんじゅうの味。
近所のお寺の住職さんとシェアして食べたドーナツの味。
たくさんの忘れられない味が、その人と過ごした時間とともに蘇ります。

友人と公園で食べるパン屋さんのパン、とかね。

そしてもう1つ。
これも、忘れてはならないことだと私は思っています。
1人で、心から食べたいものを食べることです。
SNS映えだとか、健康的かどうかとか、そういうことは一旦置いておきます。
そして、自分の心に「何が食べたい気分?」と問いかけます。
それを作るでもいいし、買ってくるでもいい。
1人で、出来れば自分が安心できる場所で、ゆっくりと味わって食べる。
たまには心に従う選択をしないと、自分の本心が隠れてしまって、出てきてくれなくなります。
いつも、ダイエットや健康、食費を気にかけている人こそ、たまにはほっとひと休みしてみてほしいのです。
私も、ダイエットや健康を気にして、食べたいものではないものを食べていた時期がありました。
けれど、心は満たされるはずもなく、(お腹も満たされない)ストレスばかりが溜まっていきました。
たまにでもいいのです。
むしろ、たまにだからいいのかもしれません。
ずっと頑張るなんて無理です。
さあ、聞いてみましょう、「今何が食べたい?」

ここからは少し、私の欲望にまみれた夢について、話します。
死ぬまでに、食べてみたいものはありますか?
それをどんなシチュエーションで、どのようにして食べたいか、考えるのが楽しいのです。
そのいくつかをここで紹介します。

①でっかいでっかいサーモンを、手袋をつけてそのまま齧りたい(わさび醤油で)

②やきとりを大量に買ってきて、キンキンに冷えたビールと共に食べたい(1人でも誰かとでも)

③高級な、美味しいバターとあんこを買ってきて、これまた高級なパンに乗せてたらふく食べたい(お供は牛乳かな)

④ホックホクの焼き芋を食べ比べしたい(紅はるか、紅あずまとか色々、バターも載せたい)

⑤美味しいインドカレーを好きなだけ食べたい(誰かとシェアして数種類食べたい)

きっとまだまだ増えていくことでしょう。
話は変わりますが、今年の4月にコロナに罹患した時のことです。
その際、味覚も嗅覚もなくなった期間がありました。
私は絶望し、元に戻らなかったらどうしよう、と恐怖を抱きました。
おいしいご飯が目の前にあって、それを口に運んでも、匂いがしない。
咀嚼しても、味がしない。
あまりに悲しく、無表情で食べ物をただ取り込むことしかできませんでした。
幸い、3日ほどで味覚も嗅覚も回復しました。
改めて、食べ物をおいしく食べられることに感謝して、1食1食を大切にしていきたいです。

健康に留意し、身体の求めているものを食べる。
これからも私は、3度の飯を愛し、生きてゆくのだと思います。
もし良かったら、今食べたいものをコメント欄で教えてください^_^
食べ物の話なら、きっと無限にできます(笑)
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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