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まねきねこ

奇跡のような時間だった。
島に来て20日ほど経ち、特にすることも無い夕方。
散歩でもしようかと、外へ出た。
野良猫が集う家が近所にあるので、いつもそこで暇を潰す。
到着するとやはりそこには猫たちがいて、寝そべっていたり、追いかけっこしたり、自由に過ごしていた。
大体30分くらい気が済むまで猫を眺めて、その後は適当に散歩して家に帰る。
それがいつものルーティンだった。
けれど、今回は違った。
かなり高齢のお爺さんが1人で住んでいると思っていたその家から、私の母くらいの年齢と思わしき女性が出てきたのだった。
朗らかな雰囲気をまとったその女性は、私に声をかけた。
「猫が好きなの?」

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たくさんの猫が集うこの家には、思った通りお爺さんが1人で住んでいた。
ここ最近お爺さんの体調が思わしくなく、娘であるこの女性が、妹さんと代わる代わる頻度を増やして会いに来ているのだと言う。
聞くと、少し前にも私の姿を見ていたらしい。
勝手に猫を観察しているところを、家の人に見られていたとは。
私は即座に謝った。
家の前を長い間うろうろしてすみません、餌はあげてません、触ってもいません、勝手に色々すみません…と。
お爺さんとは数回顔を合わせたが怒られたことはなかったので、猫を眺めていても大丈夫なのだと勝手に自己判断していた。
すると女性は、「いいのいいの!!何時間でも見て!!ああ、この子は猫が好きなんだなあって見てたの。」と、寛容な言葉をくれた。
私は心の底から安堵した。
ここの野良猫たちに癒され、いつも元気を貰っていたので、こちらとしてはお礼を言いたいくらいだった。
北海道の美唄というところに住むという女性は、
家が農家をしていて、稲刈りをするために近々飛行機で帰るという。

島には動物病院が無い。
去勢手術をしていない猫ばかりだから、どんどん増えてしまっているそうだ。
確かに、この家の周りでは数が把握できないほどの猫を見かける。
餓死させるのが1番いけない、とお爺さんは言っているそうだが、これだけ増えてしまってどうしたらいいかわからないのだと、娘である女性は悩んでいた。
ここなら餌をやってもらえるだろうと、捨てていく人たちもいたという。
猫に罪はないが、近所の方から苦情も来ている以上、早めにどうにかしないといけないような、目を逸らしてはいけないような、そんな問題になってしまっている。
お爺さんも病気を患い、もう長くないと聞いた。
遠方に住む娘さんたちだけでこの問題を解決するのは、かなり大変なことだろうと思った。
女性の、猫たちを見つめる目が優しかった。
私に出来ることと言えば、どんな方法になろうと彼女たちなりのやり方で、無事に解決できることを祈るしかなかった。

近所で住み込みで働いていることを話した。
そこでの仕事や人間関係の悩みも、これからどう生きていこうか模索していることも、自分の性格のことも…この女性とはさっき初めて会ったばかりだというのに、なんだかたくさん喋ってしまう。
短い髪にゆるくパーマがかかっていて、目元が優しく、常ににこやかな表情の女性。
母と同じくらいの年齢だからだろうか、持ち前の穏やかな雰囲気からだろうか、こんなことまで、と思うようなことまで話してしまった。
彼女は、うんうん、いいのいいの、大丈夫、と私の話を聴き、優しく包み込んでくれた。

「休日何をしたらいいかもわからないような島に、1人でよく来たね。北海道、函館までしか行ったことなかったのに、札幌飛ばしてこんな僻地の島まで来たんだよ!すごいじゃない!しかもそこで頑張って働いて…もっと自分を褒めてあげてね。」

うっかり泣きそうになってしまった。
自分と一緒に働く女の子があまりに仕事ができるので、比較されて辛い。
スピードを求められても上手く立ち回れなくてもどかしい。
赤裸々に話すと彼女は、それは私が成長するために、そういう人と一緒になるようになってるのよ、と言った。
あなたの特性が活きる場所が必ずある、と。

彼女には子どもが2人いて、それぞれ自由に生きているのだそうだ。
娘さんと私は似ているところが多くあるようで、重なって見えると彼女は言った。
優しくて、人に強気で立ち向かえない人もいる。そんな人を好きな人も、またいる。
だから大丈夫だよと、言ってくれた。
彼女自身も元々は島で暮らしていたが、看護師になるために高校は北海道本土の学校へ通ったのだと言う。
それから縁あって旦那さんと出会い、看護師ではなく、農家になった。
周りからは苦労して看護師の資格を取ったのになぜ農家なの?と散々言われたようだ。
けれど、周りの意見なんて関係ない。
何か嫌なことを言われても、その人は責任をとってくれない。
自分の人生は、自分のものなんだ。
彼女はそう思い続け、自分の道を歩いてきた。
この人の言うことは、なんか違う気がするな。
この人と話すと、胃の辺りが気持ち悪くなるな。
そんな人がいたら、そっと離れなさいと。
細胞レベルで感じて、嫌だと思ったら嫌なの。
嫌なところに居続けたら、病気になってしまうから。
優しい口調だけれど、はっきりと言い切る彼女に圧倒された。
安定した職を手放してまで島にやってきた私に、深く刺さる、けれども抱きしめられているような、心震わされる言葉たちだった。

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なんと、お裾分けと言ってウニを頂いてしまった。
そんなことがあるだろうか。
猫を眺めつつ2時間近くも立ち話してしまった挙句、ウニまで貰ってしまった。
不思議な出会いに感謝して、彼女とお別れした。
外はすっかり暗くなり、少し肌寒かったけれど、心の温度は高く、幸せな気分でいっぱいだった。
それもこれも、島の猫たちが繋いでくれた、ちょっとした奇跡のようなものなのかもしれない。

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