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「映画を早送りで観る人たち」稲田豊史 著(光文社新書)を読む

 先日、今年のオスカー作品賞受賞作「コーダ」を見に行った際、前の席に座っていた若い女性が、スマホを見ながら映画を観ている場面に出くわした。たまたま、スマホの画面がわたしの目に入らなかったので、とやかく言わなかったが、そういう人物を見たのが初めてだったので、そのことを娘に話すと、「自分の部屋の中で、スマホを見ながら映画を観ているからそうなるんだよ。」と言われて、「そういうことか!!」と思っていた時にこの本を知ったので読んでみた。今の若い世代の人たちが置かれている情況がわかり、とても興味深かったので、少々長くなるが一部を引用して紹介したい。

第3章 失敗したくない人たち―個性の呪縛と「タイパ」至上主義

p132~p145

個性的であれ。さもなくば、死

 若者動向の話で必ず言及しなければならないトピック、それが序章でも触れた「オタクに憧れている」件である。
 少なくない数の若者たちが、「何かについてとても詳しいオタクに憧れている」にもかかわらず、「膨大な時間を費やして何百本、何千本もの作品を観たり読んだりすることを嫌う」という。
 オタクが社会から忌み嫌われていた時代を知る、そしてオタクが一般的な社会生活を放棄してでも対象に時間と愛をつぎ込む存在であるという認識の年長者にとつて、これほど胸をざわつかせる報告はなかろう。
 まず、「若者はなぜオタクに憧れるのか」から考えてみたい。そこには、彼らが受けてきた「個性的でなければいけない」という世間からの圧が厳然としてある。その象徴が、SMAPの『世界に一つだけの花』(2003年シングル発売)の歌詞で言うところの"ナンバーワンよリオンリーワン”だ。この曲は「個性を大事に」と言われて育ったゆとり世代(諸説あるが、ここでは概ね1987年から1990年代半ば生まれとする)が多感な頃に発表され、彼ら以降の世代の価値観と時代の気分を過不足なく表したことで、歌い継がれる名曲として歌謡史に名を残した。
 しかし、そのような価値観は彼らを呪縛もする。
「ゆとり世代は、東京に出てきてそこそこの大学に行って、そこそこの会社に入る人生では足りていないのではないか、と思い込むようになりました。”個性的じやなきやダメ”だという価値観が、多くの若者たちの間でプレツシャーになったんです」(森永氏)
本来、個性の尊重は、競争社会や学歴主義に対するオルタナティブ(代わりとなるもの)
として生まれた、「みんなに優しい価値観」のはずだつた。にもかかわらず、「個性的であれ」という外圧が彼らを苦しめるとは皮肉だ。
 彼らにとっての個性は、特徴というよリマストスキルであり前提条件。なければお話にならない基本能力のようなもの。
 その個性を中年世代にも理解できるもので例えるなら、パソコンだ。パソコンを操れるというだけで選民的な扱いを受けていたのは、平成初期までの話。今では会社員の最低必須条件になっている。使えなければお話にならない。

個性は何でもいいわけではない

 実際、多くの大学生が「個性的でなければ就活で戦えない」と感じている。履歴書に胸を張って書けるだけの″武器〃が欲しい。「本来は、その人がその人であるだけで立派な個性なのに、〃無理して個性を作らなければいけない″と焦っている」(森永氏)
 しかもその個性とは、特定の教科が得意だとか、多少英語が話せる程度では足りない。 一昔前や二昔前には趣味として定番だった「映画鑑賞」「読書」「音楽鑑賞」「スポーツ」などは、論外中の論外だ。
 ヒアリング時、ちようど就活中だつたIさんはこれに大きく同意した。
「面接はもちろん、エントリーシート上でも人とは違う自分を見せなきやいけないじゃないですか。自分らしさつてなんだろう、自分しかできなぃことってなんだろうつて、すごく考えるようになりました」
 Iさんは幼少期からバレエを習っているので、 エントリーシートにはそう書くことにしている。ただ、新しい人と出会つて自己紹介をするときには、バレエよりももつと別の個性があったほうがいいと感じるそうだ。
 それを聞いて不思議に思った。バレエは十分に希少価値のある個性ではないか。誰もが誰も、バレエを習っているわけではないし、習えるわけではない。
 しかし、それがダメなのだ。
「バレエを習ってると言ったところで、『ずつと習ってるんだ、すごいね』で、それ以上話が膨らまないんですよ」
 要するに、それについて知っている人、馴染みのある人が少ない個性は、個性としてコスパが悪い。バレエのなんたるかについて知る人の絶対数が少ないため、「あの振付、難しいよね」などというコミュニケーションに発展しないからだ。
「ジャニーズ好きとか、映画とか、普通のエンタメのほうが、話題としてはよっぱど盛り上がります」
 個性的すぎる個性は、個性として機能しない。

Z世代の個性発信欲

 ”ナンバーワンよリオンリーワン”の洗礼を受けたゆとり世代以降で、注目したいのが「Z世代」だ。
 Z世代の定義も諸説あるが、概ね1990年代後半から2000年代生まれ、2022年時点で10代後半から20代半ばくらいまでの若者を指す。第1章でヒアリングした大学生たちやゆめめ氏もZ世代だ。
 Z世代は1960~1970年生まれのX世代、1980~1990年生まれのY世代(≒ミレニアル世代)に続く世代。Y世代が「デジタルネイテイブ」、つまり社会人になる前からインターネットやパソコンのある環境で育つてきた世代であるのに対し、Z世代は「ソーシャルネイテイブ」と呼ばれる。ソーシャルとはソーシャル・ネツトワーキング・サービス(SNS)のこと。10代前半からスマホでLINEやインスタグラムゃTwitterに親しんできた世代である。
 Z世代のおもだった特徴としてよく挙がるのが、以下の項目だ。

①SNSを使いこなす
②お金を贅沢に使うことには消極的
③所有欲が低い(モノ消費よリコト消費)
④学校や会社との関係より、友人など個人間のつながりを大切にする
⑤企業が仕込んだトレンドやブランドより、「自分が好きだから」「仲間が支持している から」を優先する
⑤安定志向、現状維持志向で、出世欲や上昇志向があまりない
⑦社会貢献志向がある
③多様性を認め、個性を尊重しあう

 倍速視聴や10秒飛ばしの遠因に関連付けられそうだ。①④⑤はLINEグループの共感強制力が、②③はDVDやCDをはじめとしたパッヶlジコンテンツの所有欲が低くサブスクで済ませようとする気質が連想される。
 マーケティングアナリストの原田曜平は、ゆとり世代とそれに続くZ世代との違いについて、「SNSで叩かれたくないという『同調圧力』と『防御意識』が強かった思春期時代の『ゆとり世代』と、周りから心象が悪くならない範囲で、SNS上で周りと同程度に自己アピールしたいという『同調志向』と『発信意識』が強いZ世代」と分析している。
Z世代は、ゆとり世代と同じくLINEグループなどで和を乱さない意識が常に働いているが、それに加えて発信欲もあるのだ。
 そうなった背景については、1994年生まれ、ゆとり世代のインフルエンサー・ゆうこす(菅本裕子)の言葉が参考になる。
「私たち(ゆとり)世代が若い時に使っていたmixiやフェイスブックは、『人とのつながり』を重視するメディアでした。しかし、そこで過度に人とつながったことで、『SNS疲れ』するューザーが続出しました。その反動で、私たちより下の世代(Z世代)は、つながりよりも『発信すること』がメインのツイツターやインスタグラムが主軸になっていたんです」
 盛り上がっている話題を邪魔にならないようにただぼ―つと聞いていてはいけない、傍観者に徹してはいけない。既読スルーなどもってのほか。積極的に参加し、気の利いた一言で場を盛り上げる、かき回す。もしくは、多くの人がついてこられる程度の個性的すぎない個性を積極的に発信すべし―。

メジャーに属せない不安

 Z世代の親世代が大学生だった1980年代や1990年代に、「個性的であれ」というプレッシャーは今ほど大きくなかった。むしろ「多数派に属する」ことで心の平穏を得ていた若者は多かった。
 世の中でもつとも多数を占める集団に属していれば、あるいはそういぅ嗜好を自分に固定させていれば、大きく間違うことはない。皆が投票する政党に投票し、皆が食べるスイーツを食べ、皆が観るドラマを観る。人気ランキングは上から順に手に取る。皆が「いい」と言っているものだから、外れは少ないはず。仮に外れても、皆が一斉に恥をかくのだから、恥ずかしくはない。皆で愚痴を言えばいいだけのこと。
「多数派に属する」という選択は、多くの若者たちにとって「安心」だったのだ。
ところが、現在ではカルチャーシーンから多数派(メジャー)が消えてしまった。”ナンバーワンよリオンリーワン”が価値観の多様化を促進した結果、趣味や趣向の島宇宙化を招き、「圧倒的多数の、みんなが好きなもの」が激減してしまったのだ。
「昔は、仮に自分が無個性・普通ではあっても、『クラスの大体の女の子が好き、クラスの大体の男の子が好き』なものがあって、それさえ押さえていれば、圧倒的多数のメジャーに属しているという安心感を持てました。昭和末期から平成前半の女の子たち人気で言えば、光GENJI、安室奈美恵、浜崎あゆみなど」(森永氏)
筆者が属する団塊ジュニア世代の男性で言えば、『キン肉マン』『ドラゴンボール』『SLAMDANK』」いったところか。
 遡れば昭和40代(1965~1974年)には「巨人。大鵬。卵焼き」という流行語があった。当時の子供たちの誰もが好きなものの代名詞だ。王貞治・長嶋茂雄のON砲でジャイアンツが日本シリーズ9連覇。優勝回数32回という驚異的な強さを誇った横綱。大鵬の大人気。砂糖を使った甘い卵焼きが庶民の食卓に登場して子供たちの好物となったのも、この頃である。
 普通の子供たちが全員「好き」なものが、かつての日本には存在した。しかし、今はそれが非常に少ない。趣味も嗜好も多種多様。細分化している。
「”普通”が失われてしまったんです。結果、無個性だとどこにも属せず、とても不安を感じる。その不安に駆られて、無理をしてでも”趣味を持たなきや””好きなことを見つけて打ち込まなきゃ″と焦る」(森永氏)
 本来、趣味も好きなこともやりたいことも、自然に湧き上がってくるのを待てばいいはずだが、彼らは悠長にそれを待つことができない。なぜなら、インターネツト、特にSNSからは、すでに名前や顔が売れている同世代のインフルエンサーたちによるキラキラした個性的なふるまいが、嫌でも目に入ってくるからだ。
 学生のうちからPVを稼ぎまくるブロガー。イラストに「いいね!」がつきまくるアマチュア絵師。博識を極めた結果、崇められるガチオタ(本気のオタク)。キラキラした交友関係を誇示する学生起業家……そんな”個性的”な彼らと″無個性”な自分を比べ、焦らないはずがない。
 ミレニアル世代やさらに上の世代が”ライバル”の対象とするのは、教室や職場で視界に入る人たちだけだった。しかしZ世代はSNSで有名な同世代というだけでライバル対象となる。
「今の大学生たちは『知らない人でも全然ライバル対象になります』とはっきり言っています。私が大学生だった5年前もSNSは使っていましたが、自分とまったく接点のない子までライバル視する意識は、周囲も合めてあまりなかった」(ゆめめ氏)
たった5年で、状況は大きく変わったのだ。

自己紹介欄に書く要素が欲しい

「ハマれる趣味を、どうやって探せばいいですか?」
「好きなことを、どうやって見つければいいですか?」
「やりたいことが見つかりません。どうすればいいですか?」

 彼らの不安は、ネツト上でよく見かけるこのような相談の形で現れる。親切なインフルエンサーやオンラインサロン主が、その相談相手や受け皿になっているのは周知の通り。
 属するだけで安心できていたメジャーが消えた状況下、彼らが探しているのは拠りどころだ。自分が属しているだけで楽しいと思える場所。「それがオタクという属性です。オタクって、はたから見てて、すごく楽しそうじゃないですか」(森永氏)
 それが、「若者がオタクに憧れている」の正体だ。ただ、オタクと言っても博識を旨とするような研究系のオタクではない。アイドルやアニメのキャラクター、あるいはクリエイターの”推し活動”をしているオタクだ。
「推し活動をしているオタクはすごく輝いているから、自分もああなりたいと切望する。もしそうなれて、オタクという属性を手に入れられれば、結果的に自分は”個性的″にもなれる、と捉えている」(森永氏)
 不安も解消できるし、個性も手に入る。 一石二鳥だ。ただ、目的とプロセスが逆になってはいないか。
 従来のオタクは、何かが好きすぎるあまり、大量に観たり読んだりする。その結果、他のジャンルが気になってきて興味が広がり、さらに大量に見たり読んだりして、好きなものへの理解をどんどん深め、その過程を楽しむ。SF作品をきっかけにして物理学に興味を持ったり、ファンタジー作品への理解欲求が宗教や神話を学ぶことにつながったりする。そうして、充実したオタ活を満喫するのだ。
 しかしオタクに憧れる若者たちは、拠りどころとしての”充実したオタ活(推し活動)”を手に入れることを、まず目的に設定する。
 つまり正確に言えば、彼らは「オタクになりたい」のではなく、「拠りどころになりうる、好きなものが欲しい」だ。それが個性的な自分を手に入れる切符となり、同時に実利的な効果も得られる。「もっと正直に言うなら〃自己紹介欄に書く要素が欲しい〃ですね」(森永氏)。エントリーシートの見栄えを良くするために、ボランティア活動に参加したり、サークルの幹部をやったりするのと同じだ。
 現在の若者は、「好きなものや、打ち込めるものがない」という状態を、1秒でも早く脱したい。「高校2年くらいまでに、親や学校から『やりたいことや興味があることを絞れ』って言われまくりますから。昔の若者は、彼氏や彼女のいないことがプレッシヤーでしたが、今の若者は打ち込める趣味や好きなことがないこと、つまり″推しがいないこと”がプレツシャーになっています」(森永氏)
 なにやら、「好きな人はいないけど、早く結婚したい」の類いに通じるものがある。あるいは、「今やりたいことはないけど、何かはしたい。だからこのサロンに入会しました」のほうが近いだろうか。

「オタク」パブリックイメージの変遷

 ″推し″という言葉は実にうまくできている。
「私、韓国アイドルが大好きなんですけど、〃韓国アイドルオタク〃とまでは言えないんですよ。もっと詳しい人がたくさんいるので。だけど『△△というグループを推してる』なら、胸を張って言えます」(ゆめめ氏)
「オタク」という語感にはその道のプロフェッショナル、専門家でなければ名乗れないハードルの高さがあるが、”推し”はただ純粋に好きだという謙虚な気持ちの表明だ。”にわか″でも安心して使える。

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