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36才SEの転職日記 vol.4

ふとしたきっかけで転職活動を始めた36才システムエンジニアの日記。
妻子は里帰り育児をしており、転職を機に妻の実家のある島根県への移住を目論む男の日々の苦悩を綴ります。
時折出てくるアマデウスは我が家のねこの名前です。
2022/2/22 → 3/7のつづきです。


3/7時点の選考結果
A社 : プログラマでの選考辞退 → プロジェクトマネージャで一次面接待ち
B社 : スクラムマスターとしては不合格 → 別のロールで内定
C社 : 内定辞退
D社 : 二次面接待ち



2022/3/8 → 3/14


3/8

A社一次面接

開発チームのお偉いさんから勢ぞろいだ。四対一の構図は緊張する。

朝からビクビクして過ごした。
提出したボロボロプログラムに突っ込まれるのを覚悟して、もっとよい設計や実装はないかと開始直前まで必死に調べた。が、一向にプログラムの話が出ない。

もやもやするので、あの提出物をうけてなぜ面接しようと思ったのですか?と率直に質問する。

「まあ、いったんプログラムのことは忘れて。ね。話をしましょう」と課のマネージャが優しく答えてくれた。やはり相当ひどかったのだと、察した。

二時間の長丁場だ。
前半では、職歴やスキルについて職務経歴書に沿って話した。

問題は後半だ。
面接開始時に、そもそもプロジェクトマネージャの採用面接を急遽行うことになったので、後半の内容はこちらも手探り状態だと言われた。
どんな面接になるのか。とても怖い。

ふりかえりボードが画面共有される。現在チームが抱える悩みや問題点がずらっと貼られていた。

それを見ながら、チームが抱える問題にどう対応すべきかディスカッションをした。もろ業務ヒアリングみたいな感じだ。途中から部門長も、こうした方がいいんじゃない?ってアドバイスしてたのが面白かった。
該当チームはアジャイル開発を行っている。スクラムマスターとしての業務経験はないので、ずれた発言をしたかもしれないって不安が常につきまとった。

最後に他の企業の選考状況について聞かれた。
内定が出ていると素直に伝えた。三月中に回答する約束なので、どっちにせよ合否は早く出してほしいと。

和やかな雰囲気で面接は終わったが、どうなんだろうか。相変わらずわからない。ただ、転職活動が終わりに向かっていることは確かだ。

星街すいせいのStellar Stellarを大音量で流しながらうどんを茹でる。
すいちゃんは今日もかわいい。

一時間後に通過の連絡が来た。あまりの早さにびっくりした。
ありがたい限りだ。来週最終面接だ。

テンションが上がったので、アマデウスとライオンキングごっこをする。

明日上長に退職の意を伝えようと思う。


3/9

今日は在宅勤務だ。

上長に電話をかけようとするが、なかなか通話ボタンが押せない。
煙草が三本、灰になる。

できれば他の選考結果が出てから伝えたかったが、四月からの体制に大きく影響が出そうなので早めに連絡することにした。

電話して退職したい旨を伝えた。
家庭の事情なので仕方ない、上の方には私から伝える、とあっさりとした対応だった。このように割り切ってくださる方で本当に助かる。

しばらくして電話が鳴る。

やっぱり恐れていたことが起こった。島根でのフルリモート勤務を認めるので残ってほしいという話になった。本当にありがたいことなんだが、こうなってしまうと家庭の事情を盾にした穏便な退職が難しくなる。

実際に僕だけフルリモートになっても困るのだ。皆が離れて働くことを前提とした環境ではないと正直働き辛い。

そして、同じフルリモート勤務可能でありながら、現職より新しい環境の方が今の僕には魅力的に見えてしまう。とか。そんな言葉を伝えなければいけなくなる。

現職はとても良い職場だ。
ただ僕は、これから先エンジニアとして生きていくためにも、新しい環境で揉まれてみたい。各社との面接を進める中で、その気持ちが大きくなった。

そんなことを言葉に詰まりながら話した。

わかった。ボスから改めて電話があるかもしれない。そう言われて通話は終わった。

その日、ボスからの電話はかかってこなかった。


3/10

朝四時に起きてD社の面接資料を作る。
二次面接では与えられたテーマに対してプレゼンを行う。これまでの仕事とこれからの仕事について、僕の考えをスライドにまとめる。
眠い、が先送りにしてきたツケだ。

今日は双子の定期検診だ。日帰りだが妻子が広島に来てくれた。
約一年前、子どもたちは低体重で生まれた。未熟児網膜症の経過観察のため定期健診だけは広島の大きな病院で診てもらっている。

子どもと二ヵ月ぶりに会った。ずいぶんと大きくなっていてビビった。可愛すぎて涙が出た。
無茶苦茶動き回るようになっていて、半日一緒に過ごしただけでとんでもなく疲れた。子どもの成長は早い。すごい!早く一緒に生活したい。


夜、D社の二次面接

凄そうな方々が並ぶ。皆さんマネージャクラスで年齢層も少し高め。
六対一。かなり気圧された。

僕のプレゼンの評価はわからないが、たくさんの質問が飛び交った。中には答えられないものもあった。鋭い指摘に冷や汗をかいた。

印象に残った会話がある。

プロジェクトマネージャが技術に疎いとプロジェクトを誤った方向に進める危険がある、と僕が話すと、開発者が柔軟に技術選択ができる環境を作ればいいんじゃない?開発者を信頼し十分にコミュニケーションをとればよいことではないのか?うちでは基本的にそうしている。

世界が違うと感じた。
所謂上流工程の人間が設計書をつくり、開発者はもくもくとそれに従う。この構図に大きな問題を感じていたので、あるべき姿だと思った。

D社を志望する理由については、企業の思想が好きなこと、思想がメンバに浸透している様子が見てとれることを挙げた。最後に決算報告書を映して収益体制が素晴らしいことを伝えた。
中型バイクを買える程度には株式市場に吸い上げられた経験が活きた。いや、それはわからんが。まあいいや。

だいぶ抽象的な話をしたので、正直あまり自信がない。
そして、この凄みのある方々と同じようなロールで働けるのか不安だ。
A社同様、早めに合否の連絡が欲しいとお願いした。

今日は果てしなく疲れた。


3/11

D社の合格通知が届いた。
昨夜の面接では、正直僕にはハードルが高い企業かもしれないと感じていたので嬉しい。泣きそうだ。近々条件面のすり合わせをすることになった。

出社してボスと直接会話した。
できれば残って欲しいけど、私自身も家族の方が大切だ。君の人生だから、思うようにしたらいい。と言ってくれた。

落胆されるかと思っていたけど、すごく暖かい言葉をくれた。
いつか、ドライブがてら島根に子どもを見に行くよ、とも言ってくれた。

ボスは本当に何もできない僕を現職に迎え入れ、やりがいのある仕事を与えてくれた。前例がない長期の育休も快く認めてくれた。
ボスに出会っていなかったら、薄給のweb制作会社と飲食バイトを掛け持ちする生活が続いていたかもしれない。
恩人だ。感謝しかない。だから、心苦しかった。


チームの後輩に辞めることを伝えた。
どうしても直接話したかったので午後休みの彼に電話してみた。幸い暇にしているようだったので集合場所を告げる。早退して彼の家方面へ向かった。休みだというのに迷惑な先輩だ。

少し驚いた後、まあ、そんなこともあるかなと思ってましたよ。って言われた。残りの時間をどう過ごすかなんて話をした。あと転職活動がどんな感じだったとか。

退職の影響が一番大きいのは彼だ。仕事が辛くならないだろうかと心配していた。

しかし、多分僕が抜けても彼は大丈夫だと、話すうちに思うようになった。
立派に成長している。ありがとう。

最後に、まだ公にしていないから黙っておいてくれ。そして、明らかになった際にはたいそうビックリした演技を頼むと言って別れた。


夕方から人生初のハッカソン的なイベントに参加している。金、土、日の三日間で新たなビジネスを創出しよう!ってテーマだ。ハッカソン恐怖症克服のために参加してみた。
三十分前に会場入りし、中村文則の悪意の手記を読んで時間を潰す。

忘れていた。僕はコミュニケーションが得意ではなかった。開始前に関わらずポツポツと人の輪ができている。
本を畳むがもう手遅れだ。早速孤立したので、この日記を書く。

開催前だが既に帰りたい。

ハッカソンでは自身のアイデアを発表し賛同者とプロダクトを作っていくって流れだった。

皆が、地方活性化的なキラキラとしたアイデアを発表する。
まあせっかく参加したからと、僕も発表してみた。

待ち時間のひとりぼっちが苦痛だったので、ぼっちを解消するサービスを一緒に考えませんか?って言ったら人が集まってしまい、チームリーダーになってしまった。どうしよう。土日で何ができるだろうか?

帰り道、新たな転職エージェントからヘッドハンティングの連絡が来た。
デブサミでの登壇資料を見たらしい。なんなんだろう。この二ヶ月、不思議な力が働いている。丁重にお断りした。


3/12

ハッカソン二日目

午前中にやることメモを電車の中で書いた。
・チームリーダーとしての考えの周知。やる以上優勝したいと伝える
・メンバの期待値のすり合わせ。自己紹介シートを書いてもらう
・インセプションデッキの我々はなぜここにいるのか?をやる
車とスケボーのやつをもとにMVPの説明
・ビジョン策定。エレベーターピッチを作る

午後までには自走するチームにしたい。

なんか、優秀な方々ばかりだったので、
ドラッカー風エクササイズ → 我々はなぜここにいるのか? → エレベーターピッチ をやったら勝手に回り出した。

リーダーがどうこうしなければって考え自体が間違いだった。

まあでもプロジェクト管理やアジャイルの知識が生きた気がして嬉しい。


3/13

ハッカソン三日目

ラジコンで動き回る猫ロボを作った。
ぼっちめがけてアマデウスの鳴き声を垂れ流しながら間抜け面の猫が接近する。本気で馬鹿馬鹿しいものを作るのが楽しすぎた。

夕方から審査員に対してプレゼンをした。

準優勝。
社会問題の解決をビジネスに落とし込んだチームが優勝した。
準優勝。喜ぶべきはずだけど、悔しすぎて泣きそうだ。優勝したかった。


3/14

経営戦略部には、上長から辞める旨を伝えてもらった。
とある方から、期待してたのに…。ってメッセージが届いて胸が痛んだ。

組織を抜けるには色々な痛みを伴う。組織とのつながりが強ければ強いほど、きっと痛みは大きい。今の職場は離職率がかなり低い。僕をはじめ皆が痛みに慣れていない。

ここ数年、僕なりに社内改善を進めようとしてきた。期待してくれる人もいたんだろう。アクションを起こしても反応が少なく虚しさを感じていた時に、声を届けてくれていれば。とか今更思ったりする。


夜、A社との最終面接

採用担当から「代表との面談なので、緊張せずに気楽な気持ちで臨んでくださいね」と開始前にメッセージが届く。

緊張しないわけないだろ!!

代表、採用担当、僕の三人体制。

仕事やこれまでの人生について一時間ばかり話した。
少し真面目な話はしたものの、大半が雑談だった。

突如、M-1の中川家のように活躍して欲しいと言われた。

???

代表曰く、M-1の歴史の中でトップバッターで優勝したのは第一回王者である中川家だけだと。つまりA社初のマネジメント専門要員として、以降現れるかもしれない人材に埋もれず、優勝する勢いでやっとくれってことらしい。わかりにくすぎて笑った。

全体を通してあまり緊張はせず、緩やかな雰囲気で会話が進んだ。
こうも普通にお話ししただけって感じだと、逆に不安になる。何を見られているのかよくわからない。何が基準なんだろう?
それがわからない僕は、きっと採用業務に向いていない。

とにかく、一ヵ月半に渡る転職活動、最後の面接が終わった。

転職活動開始時に感じていた苦痛や恐怖はいつの間にか無くなった。
そもそもA社の選考を受けていなければ、プログラマのロールをさっさと辞退していれば、あんなに毎日悩むこともなかっただろう。
しかし、そのA社と先ほど最終面接をした。不思議な因果だ。

乾杯して早めにアマデウスと一緒に寝た。
お腹の上で眠るアマデウスが重くて二度ほど目が醒めた。



3/14時点の選考結果
A社 : プログラマでの選考辞退 → プロジェクトマネージャで最終結果待ち
B社 : スクラムマスターとしては不合格 → 別のロールで内定
C社 : 内定辞退
D社 : 内定



vol.5に続く。次回最終回。

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